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さよなら、さよならあの初夏の日〜ukka・川瀬あやめ卒業公演〜

「推し」という言葉は便利で厄介だ。

「推し」という言葉は私たちの好意を分かりやすくしてくれた。応援したくて、姿を見ると嬉しくなって、胸がぎゅっとなって、でも恋情とはちょっと違う形。
ただ、「推し」という言葉でラベリングがされることで、「推し以外」という存在が同時に誕生してしまった。「好き」という言葉の上に「推しじゃないけど」という副音声がたまに聞こえる。推しじゃないから見なくていいの?推しという言葉をエゴイズムのために振り回していないか?
そんなふにゃふにゃ蠢く感情は、常に私の頭の中で囁き続けている。

ukkaはなんとも捉え難いグループだった。
音源を聞いたりYouTubeを見る限りではお淑やかで澄み切った印象だったが、一度生でライブを見に行けば、パフォーマンスや歌唱力の力強さやメンバーの現代っ子な賑やかさというギャップに驚かされた。
Allout secondの最後の挨拶では皆の見ている方向が見事にバラバラで笑ってしまったが、その不安定ながらにしゃんとした姿がukkaの魅力であった。

あやめちゃんの卒業は、私の中では今年の春に解散したまなみのりさとどうしようもなく被ってしまう。
「アイドルをやりきった」という言葉に対して私は返せる言葉を持たない。
残されたあと少しのやりたいことを着実に実現していくあやめちゃんの姿を見ると、アイドルは終わる間際がキラキラするんだなあと否応なく実感し、風呂敷を畳んでいく姿に行き場のない切なさが湧き上がってくる。
まみりの「栞」が解散まで聞けなかったことに反し、ukkaの「つなぐ」は執拗なまでにリピートしている。
8分の6拍子の軽やかさの中に織り込まれる3拍子のワルツや情景を限りなく浄化させた言葉があまりにも美しくて、聞くたびに神妙な気持ちになる。


あやめちゃんの卒業公演は、「演出」という言葉以上にあやめちゃんの意志が強く介在しているように感じた。
曲が始まる度に「ああ、あやめちゃんはこの曲が好きだったんだなあ」と思わされ、しんみりさせずに明るく晴れやかに終わりたいんだなという気持ちが強く伝わってきた。

「時間。光り輝く螺旋の球。」は、6人でのフォーメーションはいよいよ最後だと思うと瞬きをする間すら惜しい。空ちゃんの歌う落ちサビで下手側から6人が展開していく動き(勝手にukka版人間の進化図と呼んでいた)が好きで好きで、配信で、現場で、いろんな角度からいつも目に焼き付けていた。今日だってやっぱり美しかった。

「せつないや」から始まるあやめちゃん曰く「大人っぽいukkaブロック」は、私が好きになった頃のukkaを思い出させた。
4人時代、衝動的に見に行ったukkaはいつも張り詰めるような気迫に覆われていた。コロナ禍だったこともあり、声援もなく着席でみたukkaは一つの芸術鑑賞のようであった。
「ねぇ、ローファー。」はそのさらに前、みっぴの卒業公演で「ukka、好きかもしれない」と思った気持ちを思い出させた。あの時もほぼ最後列で、今回もほぼ最後列で、景色の見え方が重なったということもある。やっぱりukkaのダンスはホールで全景を見るのが美しいのかも。
「おねがいよ」は全てのメンバーの全ての歌唱が良かった。過去一くらいに最高のパフォーマンスに思えた。ずっと迷子になっていた私の好きなukkaというのを再提示してくれた気がした。

「カノープス」から「リンドバーグ」は、宇宙から青空へと視点が降りてくるようでなんで爽やかな繋がりなんだろうと感嘆する。
本編最後の「つなぐ」は如何にしんみりした空気の中始まるのだろう、と思っていたけれど、案外「鉤括弧閉じ」と声が聞こえるような、粛々と歌い上げられ一旦幕が閉じていった。

アンコールはひたすらに盛り上げ曲のてんこ盛りで、泣く暇なんて与えられなかった。
「タリルリラ」で壇上に駆け上がるあやめちゃんを見て、うわっこれが本当に最後か、と胸に迫り来るものがあったけれど、ここで言えなかったらずっと後悔する。
今まででいちばん腹から声を出した「お前がいちばん」コールだった。(そして喉が枯れた。)

あやめちゃんは晴れやかに、凛として舞台を去っていった。


ukkaはなんとも捉え難いグループだった。
あやめちゃんの挨拶で、皆んなが向いている方向がバラバラなのは自覚的だったんだなあと分かってちょっぴり安心してしまった。
卒業が発表されてから現場に幾度か通う中で、私がukkaを見に行く理由の土台にはあやめちゃんがいたことに遅ればせながらに気付かされた。
それこそ所謂「推し」ではなかったけれど、ukkaのライブを見にいきたい、ukkaのライブが良かったと思う根底にはあやめちゃんのパフォーマンスがあった。好きだけど「推し以外」、と安易にラベリングして感情を平べったく処理をすることで、この好きが本来はどういった形だったのかにあまりにも無頓着になっていたのかもしれない。

ワンダリルラという大好きな曲に出会えて、今までで一番ukkaを見に行けた年になったことは僥倖だった。
一方で、現場を重ねていくことで気持ちがぐるぐるしてしまうことが増えて、この半年間で純粋に「ukkaの現場」を楽しめなくなってしまった。
そんな中で、一旦の区切りとなる今日のライブでの最高のパフォーマンスを見て、真っ直ぐにukkaが好きだった頃の気持ちを思い出せたのは良かったし、その己の有り様に心から安堵した。

どうか近い未来、ホールが恒例になってトロッコにも載ったりして、「ukkaのいちばん熱い時期を見逃しちゃって残念だったね」と私を笑い飛ばしてほしい。

それまではしばし。

たくさんの思い出をありがとうございました。

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