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当たり前は当たり前じゃない

昨日とは一変して、最近真剣に自分の頭の中をアウトプットしていなかったので整理をするために書こうと思う。


私は通所の障害者生活介護事業所の生活支援員である。


いつも通り出勤をした朝、電話があった。私が担当してるグループの利用者さんが突然死したという連絡だった。昨日まで一緒に食事をしニコニコと過ごしていた男性だった。

彼は26歳。大きな体だったが、マスコットのような存在でみんなに愛されるキャラクターだった。

死因は心臓発作であり、予兆なく夜中呼吸が止まり心肺蘇生をしたがそのまま亡くなってしまった。


18歳で特別支援学校を卒業し、うちの事業所を利用していた。

26歳であれば、まだまだ人生これからという頃だ。

しかし亡くなってしまった。

そして、思う…

彼の生涯は本当に楽しいものだったのか…


学校を卒業してからうちの事業所に通い日中を過ごすことが彼の人生の大部分を占めていたわけだ。

その人生を有意義なものにするために我々支援者はいるわけだが、果たしてどれだけ有意義なものにできたのだろうか…


私たちは職業として、生活支援員という肩書きを名乗り勤務をして給料を貰っている。勤務時間が終われば家に帰ることができるし自分の好きなことをすることができる。極端な話、業務内容や支援内容はどうであれ1日が過ぎればお金を得ることができ定型業務さえこなせば良しということになりかねない。いや、ある意味ではそうだ。

しかし、そうであってはならない。

利用者1人ひとりの人生の大半がその中にあり、それをサポートするために我々がいるということをいつもいつも考えていなくてはならない

彼の死をきっかけに改めて強くそう思った。


むしろそう思い、生活を豊かにするためにとかよりよく生活するためにどんなサポートが必要か常に常に考えなくてはこの仕事のやりがいにつながらないし、「福祉」という仕事の立ち位置も変わっていかないと思うのだ。


大変だからとか

誰でもできるとか

お世話しているとか

「福祉」という大義名分にあぐらをかき、そういった意識がまだまだ日本の福祉業界にはあって、気づけば経験だけはあるようなベテラン職員が幅をきかせるようになって若い職員はついていけず、やめていく

こんな負のスパイラルがまだまだあるように思う。

知らず知らずに私もそのスパイラルに飲み込まれてはいないだろうか…

それで結局「人手不足」となる

辿っていくと自業自得なのではないだろうか…


話は逸れたが


彼の死を受けこの仕事の責任感や覚悟がどれだけあるのか

考えさせられた


やはり大切なのは、資格とか経験とかではなく「本気度」なのだと思う。

「なんとなく」でやっていては「なんとなく」の結果しか得られない


突然の「死」があるように当たり前のことが当たり前じゃなくなることがすぐ目の前にあるのだ。


だからその一瞬一瞬に本気で向き合い生きて生きなくてはならないと思う。


若くして亡くなった彼が天国でもニコニコと笑って過ごしていることを願います。



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