私とワルツを

 この世界には男女だけで無く、アルファ、ベータ、オメガという三つの種類に人を分ける事ができる。
 この世界の殆どの人間がベータに属し、この世界ではベータ同士で結婚するのが普通である。希な存在であるアルファとオメガは対照的な存在であった。アルファは様々な面において優れており、社会的に地位の高い者が多い。そんなアルファは貴重な存在であるので、社会的に優遇されていた。アルファと対照的な存在であるオメガは、希な存在であるアルファより更に少なく絶滅危惧種として扱われるほどであった。そんな存在であるというのにオメガはアルファのように優遇されず、それどころか軽視される存在であった。それは、三ヶ月に一度アルファやベータを惑わすフェロモンを放つ発情期が訪れるからである。
 発情期から逃れる方法が無い訳では無い。番と呼ばれる存在のアルファを作れば三ヶ月に一度訪れる発情期が訪れる事は無くなる。しかし、一度番を作ってしまうと相手のアルファが死ぬまでそれは解除されない。そして、社会的に地位の低いオメガが番になってくれるアルファを見付けるのは難しい事であった。
 オメガは性別関係無く子供を産む事ができ誰をも惑わすフェロモンを放つ発情期が訪れる為、繁殖の為の存在として扱われていた。





一章 フィアリェータヴゥィ

 先程試合を終えたユーリ・プリセツキーは、着替えを済ませコーチのヤコフ・フェルツマンと試合会場を離れようとしていた。先程の試合の結果はユーリにとって満足できるものであった。ジュニア最後の試合であった先程の試合を優勝して終える事ができた。
 シニアの世界でも活躍してみせる。否、活躍しなくてはいけない。自分には養わなければいけない家族がいるのだ。そう思いながら廊下を進んでいたユーリは、そのまま会場を出るつもりであった。しかし、突然尿意に襲われ立ち止まった。
「あ、トイレ行って来る」
「先に行っておけ馬鹿もん! しかもヴィクトルは何処かに勝手に行ってしまうし」
 ヤコフが言っているヴィクトル・ニキフォロフは、ユーリと同門の選手である。先程までは一緒にいた彼であったのだが、気が付けば何処かに行ってしまっていた。記者かファンに捕まっているのだろう。ヴィクトルは世界選手権五連覇を成し遂げたリビング・レジェンドと称されている選手である。そんなヴィクトルは常にファンや記者などに囲まれていた。
 ヤコフは短気な性格をしている。彼が苛立っているのはいつもの事であるので、ヤコフと付き合いの長いユーリはそれを気にせずトレイに向かう。
 ユーリが向かっているトイレはロビーにあるトイレでは無く、選手しか入る事ができない奥にあるトイレである。わざわざそちらに向かっているのは、ロビーのトイレは大勢の人間がいるからだ。トイレぐらい落ち着いて入りたかったので、ユーリはそちらまで行く事にしたのだ。
 既に殆どの選手が会場を後にしているので、奥には人の姿が全く無かった。さっさとトイレまで行ったユーリは、トイレに入ると所用を済ませた。洗面所まで行き手を洗いそのままトイレを離れるつもりであった。しかし、水を止めようとした時体を突然異変が襲った。先程まで何とも無かったというのに、今は全身が熱くなっていた。まるで高熱が出ている時のように体が熱い。
「はっ……はっ……はっ……」
 熱さに耐えきれなくなり、ユーリは崩れ落ちるようにして床に座り込んだ。掃除はしてあるが、普段ならばトイレの床になど不衛生であるので座り込んだままでいる事はできない。しかし今のユーリはそんな事すらも気にしている余裕が無かった。
 忙しなく呼吸をする事によって熱が体から逃げるかもしれないと思っていたのだが、熱が体から逃げる事は無かった。それどころか、一層体が熱くなるだけであった。頭が朦朧として考える事ができないでいると、双丘の間が濡れているように思えた。そこは濡れる事が無い場所である。そんな場所が何故濡れているのかという事が分からず戸惑っていると、今度は体内が疼いて来た。
「なんだよ……これ……」
 ユーリの口から出た声は苦しそうなものであるだけで無く、熱を孕んだものであった。
 何かで体内を擦られたい。そんな事を考えるなどおかしいという事は分かっているのだが、体内はむず痒くなったままであった。直ぐにそれは耐える事ができないほど強いものへとなった。
 そんな事などできないとユーリが思っていた時、扉が開く音が聞こえて来た。扉の方に視線を遣るのすら億劫であったが、それでも扉に視線を遣る。扉の前には今日のジュニアの試合に出ていた選手の姿があった。他のジュニアの選手に興味の無いユーリは、彼の顔を見た記憶はあったが名前までは覚えていなかった。
「凄いフェロモンの匂いがするから来てみたら、まさかあのユーリ・プリセツキーがいるとはな。……てっきりアルファなんだと思ってたぜ。まさかお前がオメガだったとはな」
 男の発言を聞き、息を乱しながらもユーリは目を見開いた。自分がオメガである筈が無い。自分はアルファである筈だ。十五歳を迎えると受けなくてはいけない検査をユーリはまだ受けていない。それでも自身がアルファであると思っていたのは、周りから間違い無くアルファであると言われていたからである。
「ちがう……」
 苦しさからいつものように睨みを利かせる事も威圧感を出す事も今のユーリにはできなかった。否定したというのに、男はにやにやとした気持ちの悪い笑みを浮かべたままであった。そんな男がユーリの元へとやって来る。
 ジュニアの大会に出ていたという事は、彼は十八歳以下である筈だ。ジュニアの大会には十八歳までしか参加できない。しかし、そんな年齢に彼は見えなかった。二十歳程度に見える彼の顔は欲情に染まったものであった。
 今まで男から欲情した顔を向けられた事がユーリは無い訳では無い。女顔であるのがいけないのか、昔から男からそんな顔で見られる事が多々あった。今までは気持ち悪いと思い苛立つだけであったというのに、今は無限の不安に襲われていた。
 側までやって来た彼に腕を掴まれる。腕を引っ張られ、ユーリは立ち上がりたく無いというのに立ち上がる事になった。
「止めろ」
 強い口調で言いたいというのに、口から出たのは弱々しい声であった。こんな声しか出す事ができなかった事に動揺していると、男に引き摺られる事になった。歩きたく無いというのに、体に全く力を入れる事ができずユーリは男のなすがままになっていた。個室まで行くと、男にそこへと押し込められる事になった。
 乱暴に押し込められた事によって、ユーリは便座で足を打ちしゃがみ込む事になった。直ぐに後ろから男に腕を掴まれ体を反転させる事になった。そして便座に座る事になると、腕を離した男が抱きついて来た。
「やめろ……やめろ……」
「オメガは繁殖の道具なんだから大人しく抱かれろ。今日の大会でお前にボロ負けしてむかついてたんだが、これですっきりできる。あークソ。良い匂いがしやがる」
 他人から賤しまれたのはユーリにとって初めての経験であった。己がオメガである事を知り衝撃を受けたばかりのユーリには、そんな男の言葉は胸を抉るようなものであった。屈辱を感じているのだが、体に力を入れる事ができず男を自分から離す事ができない。それでも諦めずに体を動かしていると、男に体をまさぐられる事になった。
「あっ……」
 口から溢れた声は、今までそんな声など出した事が無い甘美なものであった。そんな声を出してしまった事にユーリは動揺した。その間も男は体をまさぐったままになっており、既に熱くなっている体が更に熱くなった。
 淫靡な熱を体から放ちたい。そんな衝動が襲っている事に戸惑った。
「やめ……」
 もう体を使って抵抗する事ができず、小さな声で楯突くのが精一杯であった。そんな声で言っても男が止める筈など無かった。嫌だというのに抵抗できない自分にユーリが苛立っていた時、足音が聞こえて来た。
「凄いフェロモンの匂いがすると思って来てみたんだけど。嫌がってるみたいだから止めた方が良いと思うよ」
 個室の扉が開いたと思うと、そんな声が聞こえて来た。男が邪魔で扉を開けた相手の姿を見る事はできなかったのだが、声を聞いただけで誰なのかという事が分かった。
「ヴィクトル……」
「何でここにヴィクトルが!」
 小さな声でユーリが名前を呼んだ後、後ろを振り返っていた男が慌てた様子でヴィクトルの名前を口にした。個室に現れたのは、いつの間にか居なくなっていたヴィクトルであった。
「オメガだって相手を選ぶ権利はあるよ」
 ヴィクトルはユーリに気が付いていない様子であった。気が付いていれば、いつも捉え所のない態度の彼でも驚いた顔へとなるだろう。憧れの存在であるヴィクトルにオメガである事を知られたく無い。顔を背ける事ぐらいで彼に知られずに済むとは思えなかったが、それでも顔を背けていると男が体から離れ個室を出て行った。
「大丈夫? ……ユーリ」
 声を掛けながらユーリへと視線を遣ったヴィクトルから名前を呼ばれる事になった。彼が驚いているのだという事を声からだけで無く、彼の表情からも察する事ができた。
「見んな……」
 無様な姿をヴィクトルに見られたく無かったのだが、彼は視線を離そうとはしなかった。
「ここにこのままいたらまた襲われる事になってしまうよ。更衣室にでも移動しよう。直ぐにオメガのスタッフを呼んで来るから」
 オメガのフォロモンに唯一惑わされないのは同じオメガである。その為彼はそう言ったのだろう。ユーリはそれを察し首を縦に振った。
「立てるかい?」
 首を縦に振り立ち上がろうとしたのだが体に力を入れる事ができなかった。
「ほら、無理しないで」
 ヴィクトルの手が伸びて来る。腕を引っ張られた事により立ち上がったのだが、立ったままでいる事ができずヴィクトルに体を預けた。
「んっ……!」
「なっ……!」
 ヴィクトルに体を預けた瞬間、体の中に電気のような痺れが走っていきユーリは目を見開いた。体に走っていた痺れは直ぐに消え去ったのだが、既に上がっている体温が更に上がり下肢の中心に熱が集まっていった。それだけで無く、先程から疼いていた体内が更に疼いた。目を見開いたままヴィクトルを見ると、同じように彼も目を見開いていた。
「まさか……オメガの発情期のフェロモンがこんなに強烈だとはね」
 ヴィクトルは今まで見た事が無い程苦しそうな顔へとなっていた。彼がフェロモンに耐えているのだという事を、その様子から察する事ができた。体を密着させた事により、フェロモンを強く感じる事になったようだ。
「はっ……んっ……」
 今にも理性を飛ばしてしまいそうにユーリはなっていた。体を襲っている淫靡な熱が強くなったのは、アルファであるヴィクトルと体を密着させたからなのだろう。優秀なスケート選手であるヴィクトルは、当然のようにアルファであった。
 それならば、何故先程の男に抱き締められた時はそんな風にならなかったのだろうか。先程の男もアルファであった。アルファにも優劣があるのかもしれない。ヴィクトルが強いアルファであったので、こんな風になってしまったのかもしれない。
 全ては憶測でしかない。答えを確かめる方法が無いだけで無く、そんな事をする余裕は今のユーリには無かった。
「はっ……はっ……だけよ……」
 こんな事を言いたく無いというのに、勝手に口からその言葉が出てしまった。ヴィクトルが苦悶するような顔へとなった。彼が何故そんな顔になったのかという事を考える事ができるような余裕は今のユーリには無かった。今のユーリが思っている事は、早く熱から開放されたいという事だけであった。
 己ではこの熱をどうにかする事はできない。ヴィクトルに縋れば熱から開放される事ができる筈である。そう思いユーリはヴィクトルに縋った。
「たすけろ……びくとる……」
 眉間に皺を寄せていたヴィクトルが顔を近づけて来る。直ぐに唇にヴィクトルの唇が重なって来た。
「んぅ……」
 唇が重なっているだけであるというのに気分が高揚し、甘い目眩へとユーリは襲われていた。
 唇が重なっている部分から溶けてしまいそうであった。何も考える事ができなくなっていると、ヴィクトルの唇が離れた。そんな唇は直ぐに再び重なって来た。唇を重ねては離す事を繰り返しながら、ヴィクトルは体を撫でていった。
「んっ……あっ……」
 ヴィクトルが撫でている部分に甘い痺れを感じ、勝手に口から淫らな声が溢れてしまう。微かにその声が気になったのだが、声を抑える事ができない。啄むようにして唇を重ねていたヴィクトルが、深く唇を重ねて来た。
「んぅ……」
 口腔に舌が絡みついて来る。初めて他人の舌をそこで感じた。初めて感じたそれは、舌を痺れさせるほどの快感をもたらすものであった。ヴィクトルが舌を絡みつけるのを止めると、快感を欲しユーリは自らの舌を彼の舌に絡みつけた。
「はっ……んぅ……」
 何時までも舌を絡みつけていたかったのだが、腕を撫でていたヴィクトルの手が腰に移動しそこを撫で始めた事によって舌を絡みつけられなくなった。手が勝手に震えてしまう程の快感へとユーリは襲われていた。
「あっ……ん……はっ……」
 顔を上げている事ができなくなり顔を俯けると、離れていたヴィクトルの顔が再び近づいて来る。
 先程までは気が付かなかったのだが、空のように澄んでいて宝石のように美しいヴィクトルの青い瞳はいつもよりも濃い色へとなっていた。今のヴィクトルの瞳は冬の空のような色をしていた。今まで見た事が無い色へとなっている瞳から目を離す事ができずにいると、再び唇が重なって来た。
 先程のように深く重なるのだと思っていたのだが、ヴィクトルの唇は軽く重なるだけであった。直ぐにそんな唇をヴィクトルは離してしまった。
「ここだと人に見つかってしまうから移動しよう」
「あるけ……ねえ……」
 ここは何時誰が入って来てもおかしく無い場所である。彼の言う通りここから離れた方が良いのだという事は分かっていたのだが、体に力を入れる事ができず歩く事ができそうに無かった。
「抱いて行くから安心して良いよ」
 腰を屈めたヴィクトルの腕が膝の下へと入って来た。ヴィクトルが腰を伸ばした事により、足が床から離れる事になった。軽々とヴィクトルに抱き上げられてしまった事を普通の状態であれば悔しく思っただろう。しかし今のユーリはそんな事を考える事ができなくなっていた。
 ユーリの体を抱き上げたままヴィクトルが個室を出て行った。そのままトイレの扉まで行った彼は、扉を開け外に出た。遠くから賑やかな声が聞こえて来ている。聞こえて来ている声は記者やファン。そして、選手のものなのだろう。先程までその中にいたのだが、今はそんな声がしている場所が別世界のように感じてしまう。
 廊下を進んでいたヴィクトルが足を止めたのは、更衣室の前であった。更衣室の扉を開け中に入ると、ヴィクトルは扉を閉めた。先程この更衣室を使った時は人の姿があったのだが、今は人の姿が無くなっていた。かちゃっという音が聞こえて来た事から、ヴィクトルが更衣室に鍵を掛けたのだという事が分かった。
 扉を離れたヴィクトルは更衣室の中央にある長椅子まで行くと、ユーリの体をそこに下ろした。長椅子で仰向けの格好で寝転がっていると、直ぐに息を荒くしたヴィクトルが覆い被さって来た。先程まで余裕があるように見えたのだが、今はそんな余裕が消え去っていた。何故彼が急に余裕が無くなったのかという事が分からなかったが、彼が自分を求めている姿を見て満たされるような気持ちへとユーリはなった。
 先程は優しく口付けをしていたヴィクトルであったが、今度は荒々しく口付けをされる事になった。舌を絡みつけて来るだけで無く口蓋を舐められ、舌の裏側を舐められる事になった。甘い痺れを口腔だけで無く首筋に感じ、ユーリは体を弓なりにした。
「あっ……んぅ……」
 絶頂感は直ぐに通り過ぎていった。絶頂に上り詰めたばかりであるというのに、ユーリの体はまだ快感を求めたままになっていた。びくびくと体を震わせながら、唇を離したヴィクトルに熱い視線を向ける。
 眉間に皺を寄せているヴィクトルに体をまさぐられる。ただ体を触られているだけであるというのに、それに感じびくびくと体を揺らしながら甘い声を口から零す。
「ん……あっ……ふぅ……」
 既に濡れている双丘の間が更に濡れるだけで無く、体内を抉られたいという強い衝動に襲われていた。
「もう……挿れろ。まてねえ……」
 顔を顰めた後舌打ちをしたヴィクトルは、体を離すとユーリのズボンを脱がせた。先程試合を終えたばかりのユーリは青と赤のロシア代表ジャージという格好であった。そしてヴィクトルは、赤と白のジャージという格好であった。
 ズボンと共に下着を脱がされた事によって、ユーリは腹部に付きそうな程立ち上がっている花芯を露わとする事になった。こんな風になっているここを人に見られるのは初めてである。花芯にヴィクトルの視線を感じ微かに恥ずかしくなったのだが、そこを隠す事はしなかった。そんな事をしている余裕が無かったからだ。
 早く熱から開放されたいと思っていると、ヴィクトルがズボンと共にその下に履いている下着を下ろした。そうする事によって露わとなった物を見てユーリは目を丸くした。
 下着から露わとなった物は、ユーリが知っている物と大きさだけで無く形が全く違っていた。シャワー室で一緒になり見た彼の物はこんなにも大きく無かった。そして、こんなにも雁が張っていなかった。威圧感すらも感じる存在であるそれを見て息を飲んだ後、ユーリは彼が今からこれをどうするつもりなのかという事を察した。
 まだ十四歳であるユーリには当然情を重ねた経験が無かった。それどころか、スケートの事ばかり考えていた為閨の事に同じ年頃の者よりも無知であった。それでも、男同士は後方にある秘部で性器を受け入れるのだという事ぐらい知っていた。
 ヴィクトルの物を見詰めていると、それで体内を抉られる事を想像してしまう。腰が重くなり下肢の中心に熱が集まっていった。
「はやく……」
体を捩りながら催促すると、直ぐにヴィクトルが肉の塊と言いたくなる物を掴みその先端を蕾へと宛がった。蕾に触れている物で早く体内を抉って欲しくて、自然と蕾を収縮させてしまう。肉塊を見詰めていると、それが体内に潜り込んで来た。
「んぅ……!」
 肉塊で体を貫かれユーリは大きく目を見開いた。それが体内に潜り込んで来る事によって感じたのは、目を見開いてしまう程に強い快感だけであった。直ぐにヴィクトルの体が双丘へとぶつかった。その事から彼の物が根本まで埋まったのだという事が分かった。
 あんなに大きな物が体内に潜り込んでいるというのに、苦しさは全く感じ無かった。自分のそこが受け入れる為の場所へと変わってしまっているように感じる。実際にその通りなのだろう。自分の体はもう以前とは違うのだ。その事を嫌悪したのだが、自分の体を元通りにする事などできない。
「ユーリ」
 聞こえて来たヴィクトルの声は、今まで聞いた事が無いようなものであった。
 ヴィクトルは一度聞いたら忘れる事ができないような独特の声をしている。耳の奥にいつまでも残るような声に甘い色が混ざっていた。そんな声を聞く事によって、ユーリは耳の奥にぞくぞくしたものを感じた。それは、体を疼かせるようなものであった。
「はやく……」
 肉塊で体内を擦って欲しい。欲求を我慢できなくなり強請ると、ヴィクトルが腰を動かし始めた。
「あっ……んぅ……ああっ……!」
 体内で肉塊が動き出した事によって、全身が震えてしまう程の快感に襲われる事になった。拳を握りしめてそんな快感に耐えていると、腰を動かすのを止めたヴィクトルの顔が近づいて来る。彼が唇を重ねようとしているのだという事を察し、ユーリは手を伸ばした。首へとしがみつくと、唇を塞がれる事になった。
 重なっていた唇が離れると、今度は深くそれが重なって来た。口腔へと潜り込んで来た舌がユーリのそれに絡みついて来る。舌を絡みつけられると甘い痺れがそこだけで無く喉の奥にもした。ヴィクトルが舌を絡みつけるのを止めてもまだ甘い痺れを欲していたので、ユーリは彼の舌に自分のそれを絡みつけた。
「んぅ……あっ……ふっ……」
 舌を絡みつけていると、ヴィクトルが小さく腰を動かした。肉壁を固い物で抉られ、指先が痺れる程の快感へと襲われた。甘い目眩に襲われるのを感じていると、ヴィクトルが重ねたままにしていた唇を離した。
 まだ唇を重ねていたかった。もう一度唇を重ねようとしたのだが、その前に腰を動かすのを止めていたヴィクトルが再び腰を動かし始めた。
「あっ……んぅ……ああっ……」
 体内を肉塊で擦られ目の奥に火花が散るほどの快感へと襲われた。首から手を離し拳を強く握りしめていると、ヴィクトルに腕を掴まれる事になった。背中へと手を彼が運んだ事から、背中にしがみつけという事なのだという事が分かった。背中にしがみ付く事によって、既に密着している体が更に密着する事になった。
 上着をユーリだけで無くヴィクトルも着たままになっている。直接彼の肌を感じる事ができない事をもどかしく思っていると、肉塊が先程までよりも奥へと潜り込んで来た。
「んっ……あっ……ああっ……」
 体内を抉られるだけで無く奥を穿たれた事によって、ユーリは絶頂感が近づいているのを感じた。体の中で大きくなっている快感に内側から責め立てられ、絶頂へと上り詰めたくなった。ヴィクトルの背中に時折爪を立てながら体内の快感へと意識を集中させていると、絶頂感に飲み込まれる事になった。
「んっ――!」
 体を弓なりにしながら肉塊を締め付ける。ユーリの体を襲っている絶頂感は、意識を飛ばしてしまいそうになる程強いものであった。風台風の中に飲み込まれていっているような気持ちへとなっていると、腰を動かすのを止めていたヴィクトルが腰を動かし始めた。
「やっ……あっ……んぅ!」
 先程絶頂へと上り詰めたばかりであるのだが、体内を肉塊で抉られ目眩がする程の快感へと再び襲われる事になった。その快感を最初は受け入れる事ができなかったのだが、直ぐに快感へと浚われる事になった。ただ快感に翻弄されていると、直ぐに絶頂感へと襲われる事になった。
「あっ……んぅ!」
 絶頂に何度も上り詰め、その度にヴィクトルの背中へとユーリは爪を立てた。ヴィクトルの様子を気にしている余裕が無かったので、強く爪を立てた事によって彼が眉間に皺を寄せている事に気が付く事はできなかった。
「ひっ……あっ……ああっ……」
 もう体力が限界になっており、これ以上されれば意識を失ってしまいそうである。そんな風に思っているというのに、淫靡な熱を体はまだ求めたままになっていた。淫らな自分の体が嫌になりながらも感じていると、体内を肉塊で抉り続けていたヴィクトルが先程までよりも激しく腰を動かし始めた。
「あっ……んんっ……ああっ……!」
 指先が震える程の快感に襲われ目を見開いていると、奥を穿たれる事になった。
「出すよ」
 聞こえて来たヴィクトルの声は余裕が無いものであった。ユーリはそれを聞き、ヴィクトルが限界へとなっているのだという事を察した。
 ユーリの体で快感を得て、更にヴィクトルは吐精しようとしているのだ。そう思う事によって心が満たされるのを感じていると、再度奥を穿たれる事になった。先程よりも激しく奥を穿たれ、まるで階段を踏み外してしまったかのように浮遊感へと襲われる事になった。
「……んっ!」
 顎をびくりと上に上げると、体内で既に大きくなっている物が更に大きくなった。ぶるりとそんな肉塊が震えると、最奥に熱い飛沫を叩きつけられる事になった。
 ユーリの体内に放たれた物は白濁である。しかし、今まで体内でそんな物を放たれた事が無いユーリが、何を放たれたのかという事に気が付く事は無かった。何であるのかという事は分かっていないが、それでも最奥に熱いものを叩きつけられる事に感じていた。
「あっ……んぅ……んんっ……」
 もう何度目かという事が分からなくなっている絶頂感から小刻みに体を震わせると、絶頂感が体の中を通り過ぎていった。
 何度も程絶頂に上り詰めているというのに、まだ体内が疼いたままになっていた。先程までは熱を逃がす事ばかり考えていたのだが、熱が少し逃げた事により頭が回るようになった。
 先程までの自分の姿は卑しいものである。そんな姿をヴィクトルに見られてしまった事にユーリは恥辱を感じていた。ヴィクトルの方を真っ直ぐに見ている事ができなくなり、頬を紅潮させながら顔を背ける。それでもまだ恥ずかしさが無くなる事は無かった。唇を噛みしめていると、体内に潜り込んだままになっていた肉塊が固さを取り戻すだけで無く大きくなった。
「――っ!」
 柔らかくなっている肉塊が急に固くなった事に驚き、ユーリは慌てて視線をヴィクトルに戻した。ヴィクトルは眉間に皺を寄せてユーリを見ていた。彼が何故そんな顔へとなったのかという事が分からずにいると、ヴィクトルが再び腰を動かし始めた。
「あっ……ああっ……!」
 体内を肉塊で擦られ、正常な状態へと近づいていた思考が再び曖昧なものへとなった。快楽を求める事しかできない状態へと引き戻され、ユーリはただ快感のままにはしたない声をあげ続けた。

 目を覚ますと白で統一された部屋の中にいた。ここが何処であるのかという事が分からず、ユーリは部屋の中を見回しながら体を起こそうとした。しかし、すんなりと体を起こすことはできなかった。まるで鉛でできた枷が体に嵌っているかのように体が重かったからだ。何故こんなに体が重いのだろうと考える事によって、意識を失う迄の出来事をユーリは思い出した。
 更衣室で何度も情を重ねる事により体力が限界になってしまい、意識を失う事になってしまった。目を覚ますと、滞在しているホテルの部屋にいた。側にはヴィクトルの姿があり、彼から食事を取る事はできそうかという事を問われた。空腹であったのだが食事よりも疼いている体をどうにかして欲しくて、ユーリはヴィクトルの体を求めた。そんなはしたない真似ができたのは、正常な思考が欠けていたからである。
 困ったような顔をした彼に体がこのままでは保たないので無理をしても食べた方が良いと説得され、体の疼きに耐えながら仕方無く食事を取った。その時何を食べたのかという事は覚えていない。食事を終わらせれば抱いて貰えるのだと思い、目の前にある物を口に詰め込み喉に流していった。
 食事が終わると直ぐにヴィクトルを求め、それに彼が応じてくれた。体を重ねては意識を失い、目を覚ますと再び体を重ねて食事を取る。どれぐらいそれを繰り返したのかという事が分からない。会場で体を重ねてから何日も経過しているようにも感じるし、一日しか経過していないようにも感じる。
 試合が終わってからどれぐらい経過しているのかという事が気になり、ユーリは重い身体を無理やり起こすとスマートフォンを探した。スマートフォンはジャージのポケットに入れておいた事を思い出し、体へと視線を遣った。そうする事で、意識を失う前までは何も身に付けていなかったというのに、今は上質な物であるという事が一目で分かる寝間着を身につけている事を知った。
 誰が服を着せたのだろうか。ヴィクトルしか着せてくれるような相手が浮かばないので、着せてくれたのは彼なのだろう。そんなヴィクトルは何処にいるのだろうか。何処にいるのかという事が気になったが、彼と顔を会わせたく無いという気持ちをユーリは持っていた。それは彼に痴態を見せてしまったからだ。浅ましい自分の姿を彼の記憶から消し去りたいとユーリが思っていると、扉が開いた。
 慌てて扉の方へと視線を遣ると、今し方顔を見たく無いと思ったばかりのヴィクトルが立っていた。ヴィクトルの方を真っ直ぐに見る事ができず顔を反らせていたユーリであったが、訊ねなければいけない事があるので仕方無く真っ直ぐに彼を見た。
「ここ何処だ?」
「病院だよ」
 そう言われる事によって、部屋の中が急に病室のように見えた。祖父が何度も入院しており、その見舞いの為に病室に行った事がある。そんな病室とこの部屋は似ていた。自分がいるのが病室であるのだという事が分かると、ユーリは何故自分がここにいるのかという事を不思議に思った。
「何で病院になんか」
「発情期が終わったみたいだから、妊娠の検査とオメガの検査をして貰う為だよ」
 発情期という言葉を聞きユーリは顔を強ばらせた。オメガであると言われた事を今まで忘れていたのだが、それを思い出す事になった。
「妊娠の検査は一応陰性だったけど、まだはっきりと分かる期間じゃないから後で検査した方が良いそうだよ」
 妊娠検査を今までした事が無いからだけで無く妊娠に関する知識が乏しかったので、陰性と言われても妊娠をしているのかしていないのかという事が分からなかった。それでもヴィクトルが落ち着いた様子であったので、妊娠はしていないのだという事が分かった。ユーリが妊娠していれば、ヴィクトルがそんな様子でいられる筈が無い。
 妊娠をしていない事が分かり安堵したのだが、そんな安堵は長くは続かなかった。もう一つの結果が気になったからだ。
「それで……オメガの検査は?」
 こんな事を訊ねなくとも分かっている。一週間も淫靡な熱が体から消え去る事が無かったのだから、自分がオメガである事は間違い無い。それでもユーリは検査の結果を訊かずにはいられなかった。微かにまだただ発情してしまっただけで、オメガでは無いのだという願望があった。
 ヴィクトルの返事を聞くよりも先に、彼が浮かべた表情から返事を察した。ヴィクトルは渋い顔へとなっていた。その事から検査の結果を察し、ユーリはシーツを握りしめた。
「オメガだったよ。君の年で発情期を迎えるのは希な事だそうだよ」
 分かっていた事であるというのに、それでも自分がオメガであるという事を知りユーリは絶望を感じていた。それだけで無く、蔑まれる存在であるオメガで己があるという事を知り矜恃が傷ついていた。
「そんなに落ち込む必要は無いよ」
 肩を落としていると、側までやって来たヴィクトルから優しく声を掛けられる事になった。彼が慰めてくれているのだという事は分かっているのだが、それでも彼のそんな発言はユーリの感情を高ぶらせるものであった。
「アルファのお前に俺の気持ちなんか分かるかよ!」
 才能に溢れた彼がアルファである事は当然の事であるので、今までそれを気にした事は全く無かった。それなのに、今は彼がアルファである事を妬んでいた。彼に嫉妬するだけで無く、そんな風に思ってしまった事にユーリは苛立っていた。
 ヴィクトルは反論すること無くただユーリの言葉を受け止めるだけであった。彼の顔色を失わせたかった訳では無いのだが、それでも彼が平然とした態度のままである事に苛立った。オメガである自分は蔑まれる存在だ。そんな自分を見下しているので、自分から何を言われても意に介す事が無いのだろう。否、卑屈になってしまっているのでそんな事を思ってしまったのかもしれない。ユーリは顔を俯けるとシーツを掴んだ。
 どんなにシーツを掴んでも針で突き刺されているかのような胸の痛みを誤魔化す事はできなかった。
「ヤコフにはその事伝えておいたから」
 衝撃的な事を告げられユーリは伏せていた顔を慌てて上げた。
「何でヤコフに!」
 自分がオメガである事はコーチのヤコフにも知られたく無い事であった。何故勝手にそんな事をしたのかという事を疑問に思うだけで無く憤りを感じた。
「伝えておかないと何かあった時に困るからね。それに、大会が終わった後何も言わずに居なくなった理由と、暫く連絡が取れたくなってた理由を説明しないといけなかったからね」
 ヴィクトルの返事は正論であった。図らずも何も言わず大会の後居なくなってしまったうえに、何日も連絡を取る事ができなかった。彼が心配しない筈が無い。理由をヴィクトルが説明するのは当然であるという事は分かったのだが、それでもまだ知られたく無かったという事をユーリは思ったままであった。
「ヤコフには他言しないで欲しいって言ってあるから。後、これ。これから毎日、朝食後に飲んでね」
 ヴィクトルが言いながら差し出して来た手には、白い紙袋があった。小さなその袋は、病院に行った時に出される薬の入った袋によく似ていた。差し出されている袋を受け取り中を見ると、思っていた通り中には錠剤が入っていた。
「何の薬だ?」
 自分には悪い所は無い。何故錠剤をヴィクトルが差し出して来たのかという事をユーリは不思議に思った。
「発情期を抑える為の抑制剤だよ。一度発情期を迎えると、番を作らない限り一生発情期は続く。まだユーリは番なんて考えられないだろうから、番になってくれる相手が決まるまで抑制剤を飲むんだよ。抑制剤をちゃんと毎日飲んでたら、発情期は来ないから普通の生活を送る事ができるよ」
 まだオメガであるという事を受け止めきる事ができていないユーリにとって、抑制剤をこれから毎日飲まなくてはいけないという事実は戸惑いを感じるようなものであった。そんな物など飲みたく無い。しかし、飲まなくてはまた淫らな熱に体を冒されてしまうだけで無く、誰彼構わず発情させてしまう事になってしまう。
 錠剤を袋に戻すと、薬の入っている袋をヴィクトルに投げ捨てたい気持ちへとなった。それに耐えながらユーリはヴィクトルを睨み付けた。
「お前が俺の番になれ」
 ヴィクトルが目を丸くした。
「……俺がユーリの番に?」
 ヴィクトルが驚くのは普通である。突然そんな事を言われれば驚くに決まっているというのに、彼の反応にユーリは不満を募らせた。
「お前に番がいるって話しは聞いた事ねえ。番がいねえんだったら、俺を番にしても問題はねえだろ」
 ユーリがヴィクトルにそんな事を言ったのは、アルファである彼が自分の番になれば抑制剤を飲まなくて済む事に気が付いたからである。抑制剤を飲むという行為は、ユーリにとっては屈辱的な事であった。それからどうにかして逃れたいと思っていた。
 ヴィクトルは絶句した顔へとなった後、困惑した面持ちへとなった。
「抑制剤をそんなに飲みたく無いんだ」
 ユーリが何故そんな事を言い出したのかという事を、ヴィクトルは察したようだ。何故なのかという事が分かったと言うのに、呆れたようにしてヴィクトルから言われ苛々して片付かない心地へとなった。
「アルファのお前になんか俺の気持ちは分かんねえよ!」
 癇癪を起こした子供のようであると言った後に思ったのだが、まだ興奮が収まらなかった。
 再び手に持っている紙袋をヴィクトルに投げつけたくなった。先程は衝動を抑える事ができたのだが、今度はそれをする事ができなかった。ユーリは紙袋をヴィクトルに投げつける。ヴィクトルはそれを落とすこと無く受け止めた。
「確かに俺には君の気持ちは分からない。今の君に俺が何を言っても聞き入れそうにないから、もうこれ以上何も言わないよ。ただ抑制剤は飲んだ方が良いよ」
 ユーリの元へとやって来たヴィクトルは、抑制剤の入った紙袋を再び差し出して来た。まだ苛立ったままであったので、素直にそれを受け取る事ができない。受け取らずにいると、ヴィクトルに強引に受け取らされる事になった。再びそれを投げつけたい衝動に駆られたのだが、今度はそんな衝動に耐えた。
 紙袋がぐちゃぐちゃになる程強く握りしめたユーリは、翌日病院まで迎えに来たヤコフと共に退院した。ユーリがオメガであるという事を知っている筈なのだが、ヤコフはその事について触れる事は無かった。

二章 ガルゥボーイ

 国が運営しているフィギュアスケート専門のスケート場の中には、食堂や売店などという施設もある。そんな食堂の中には、肩に付いてしまいそうな程長い髪の上側だけを後ろで結んでいる少年の姿がある。蜂蜜のような艶やかな金色の髪に新雪のような白い肌。グリーンガーネットのような緑色の瞳をした少年は、色彩を欠いた世界の中で圧倒的な存在を放つ花のようであった。
 髪と同じ色をした長い睫に縁取られた眦のきつい双眸。一度目にしたら目を離す事ができなくなってしまうような珊瑚色の薄い唇。意志が強い事を伺わせる釣り上がった眉毛。鼻梁の通った鼻。それらが綺麗に小さな顔へと収まっている少年は、まるで陶器の人形のようであった。
 ロシアの妖精と呼ばれる程の神秘的ですらある美貌の持ち主であるというのに、少年は不良少年さながらの粗暴な態度であった。外見は妖精と呼ばれている事を納得できるものであったのだが、中身はそんな外見からは想像もできないようなものであった。そんな少年。ユーリは先程練習を終えて、この食堂で食事を取っていた。

 食事の管理もアスリートにとっては怠ってはいけない事の一つであるとヤコフから口煩く言われているが、どんなに食べても太らない体質であるのでそんな言葉を気にせずユーリはいつも好きな物を食べていた。ファミリーレストランと比べても見劣りしない程料理の品数が豊富な食堂でユーリが頼んだのは、この食堂を利用した時にいつも食べているボルシチである。
 ボルシチをいつも頼んでいるのは、ボルシチが好きだからだけでは無い。ここのボルシチが美味しいからという理由もある。野菜がたっぷり入ったボルシチをスプーンで食べ終えると、食堂に来る途中買ったオレンジジュースを飲む。果実ジュースが好きであったので、ユーリは頻繁に林檎ジュースやオレンジジュースなどを飲んでいた。
 食事の前にもオレンジジュースを飲んでいたので、残り少なくなっていたそれは直ぐに無くなった。ストローから口を離し紙パックをテーブルに置くと、ユーリはポケットから白い紙袋を取り出した。ズボンのポケットに入れていた為に小さくなっている紙袋の中から錠剤を取り出す。
 ポケットから取り出したのは、毎日飲んでいる抑制剤である。朝に飲まなければいけないのだが、朝食を取る事が滅多に無いユーリは、いつも抑制剤を昼食の後に飲んでいた。
 発情期を迎えオメガである事が発覚してから、既に一年が経過している。最初は抑制剤を飲む事に抵抗があり飲む事に難色を示していたユーリであったが、今は食事の後必ず抑制剤を飲むようになっていた。それは、この薬を飲まなければアルファとベータを誘惑してしまう事になる事が分かっていたからだ。
 錠剤を口に含むと、ボルシチを受け取った後に汲んだ水でそれを喉の奥に流し込む。抑制剤を飲み紙袋に残った抑制剤を戻すと、紙袋をポケットに入れながら椅子から立ち上がる。皿が乗っているトレーを持って皿の返却口まで行くと、ユーリはトレーをそこに置いた。
 食堂を出て行こうとすると声を掛けられる事になった。
「あ、ユーリ」
「ミラ」
 ユーリに声を掛けて来たのはリンクメイトのミラ・バビチェヴァであった。ミラはユーリよりも三つ年上の十八歳である。赤毛が特徴の彼女は、女子世界ランク三位の選手である。
 有望な選手である彼女は勿論アルファである。そんな彼女は、料理が盛られた皿が乗った白いトレーを持っていた。その事から、ミラがこれから食事を取るのだという事が分かった。
 練習が終わりリンクを離れた時、ミラもリンクを離れていた。リンクメイトに声を掛けられていたので、今まで声を掛けて来たリンクメイトと話しをしていたのだろう。鷹揚な性格をしていると共に社交的なミラは友人が多かった。
「何食べたの?」
「ボルシチ」
 質問に答えるとミラが呆れた顔になった。
「あんたまたボルシチ食べてたの。好きだよね」
「うるせえ」
 ミラとは付き合いが長い。十歳でモスクワからサンクトペテルブルクにホームリンクを移して来てからの付き合いになるので、もう五年の付き合いになる。リンクメイトの中で彼女が最も会話をする相手である。それは、ミラが気軽に話し掛けて来るからだけでは無い。口が悪く愛想の無いユーリに話し掛けて来るのが彼女ぐらいであった事も理由である。
「相変わらず口が悪いわね」
 口が悪いという事は頻繁にミラからだけで無く、様々な相手からも言われている。皆からそんな風に言われているのは、ロシアの妖精などと呼ばれている容姿が原因である事は知っている。自分では己の容姿は有り触れた物であると思うのだが、周りからは中性的であるだけで無く儚げに見えるらしい。
「余計なお世話だ」
「今日はもう練習は終わり?」
 鋭い目付きで睨み付けたのだが、ミラは全くそれを気にしていなかった。睨み付けても彼女が気にしないのは今に始まった事では無い。その為、ユーリは彼女が全く気にしなかった事に対して何か思う事は無かった。
「ああ」
「じゃあ、お茶しに行こうよ」
「また彼氏と別れたのか?」
 ミラは恋多き女である。否、言い寄って来た相手と気軽に付き合っているので恋多き女というのとは少し違うだろう。頻繁に新しい恋人を作っては、些細な理由から別れるという事を彼女は繰り返していた。
 そんな彼女から何度も別れた恋人の愚痴を聞かされているユーリは、ミラが最近恋人と別れたと言っていたので別れた恋人の愚痴を聞かされる事になるのだという事を察した。
「そういう事だから、話し聞いて欲しいんだよね」
「愚痴の間違いだろ」
 一方的にまた愚痴を聞かされる事になるのだという事が分かっていたので顔を顰めた。恋愛経験が全く無いユーリにとって、徒事の話しは聞いていて退屈なものでしか無かった。
「お茶とケーキ奢ってあげるから。ユーリ、ケーキ好きでしょ? 美味しいケーキ屋さん紹介して貰ったんだ。ケーキ奢ってあげるから、私の話を聞きなさい」
「……わーったよ」
 美味しいケーキという言葉を聞き、ユーリは仕方無く同意した。そのケーキ屋を教えて貰い一人で行きたかったが、男が一人でケーキ屋に入るのには抵抗があった。ミラと一緒ならば気兼ねなくケーキ屋に入る事ができる。
「じゃあ、さっさと食べちゃうからちょっと待ってて」
 首を縦に振ると、ユーリはミラと共に先程までいた席へと戻った。ミラが食事を終えるのを待って、彼女と共に食堂を離れた。

 更衣室に荷物を取りに行きミラと共にスケート場を離れると、彼女に案内されるままユーリは街の中を歩いて行った。
 ミラに連れて行かれたのは、スケート場から徒歩で十五分ほどの場所にある童話の世界に出て来そうな店であった。顔を顰めてしまいたくなる程可愛らしい店に入る事を躊躇したのだが、ミラに店へと押し込められる事になった。
 店の中は外観と同様に、若い女性が好みそうな可愛らしいものであった。ピンクと白で統一された店内に胸焼けがしたのだが、出て来たケーキは情報通なミラが美味しいと言っていただけあって美味しかった。
 ミラの話しに相づちを打ちながらケーキと一緒に頼んだ紅茶を飲んでいると、彼女は言いたい事を言い切ったようだ。甘い物が苦手であるので珈琲だけを頼んでいた彼女は、珈琲を飲み始めた。ユーリがケーキを食べ終えると、ミラも珈琲を飲み終えたので店を出る事になった。
 ミラが奢ってくれると言っていたので彼女に支払いを任せて店を出ると、熱い空気が体に纏わり付いて来た。
 今日は黒いハーフパンツに合成樹脂製のサンダル。虎の絵が描いてある半袖のTシャツ。そして、その上からパーカーを羽織るという格好である。日差しが強い日は必ずユーリは半袖やタンクトップの上から何か羽織っていた。それは、日光に弱く長く日に当たると肌が赤くなり痛くなってしまうからだ。
 今着ている厚手のパーカーでは無く、薄手のパーカーを羽織って着た方が良かったのかもしれない。ロシアは常に寒いと思っている者もいるようだが、サンクトペテルブルクは夏になると平均気温が二十二度になり三十度を超える日もある。
 天気予報を見なかったので今日の気温が何度であるのかという事は分からないのだが、三十度近くあるだろう。店に入る迄よりも外の気温が高く感じるのは、先程まで冷房の効いた店内に居たからなのだろう。
「じゃあ、行こうか」
 熱さを我慢しながら入口でミラが出て来るのを待っていると、会計を済ませた彼女が店の中から出て来た。
「ああ」
 ミラと共にユーリは駅へと向かって歩き出した。
 ユーリはリンク場から電車を使わなければいけない距離にあるアパートメントで一人暮らしをしている。サンクトペテルブルクに来たばかりの頃はリンク場に徒歩で行く事ができる寮で暮らしていたのだが、ジュニアで入賞して賞金を貰うようになってから直ぐに寮を出てアパートメントを借りた。
 寮にはいつまでに出なければいけないという決まりは無い。居続けたいのならば居続ける事ができる。寮に居続ける事もできたというのにユーリが寮を出たのは、寮での人間関係が上手くいっていなかったからである。早く寮を出たいと思っていたので、賞金を貰って直ぐに寮を出た。
 話しをしながら駅へと向かっていると、いつも使っている駅の入口まで行く事になった。ユーリが足を止めるとミラも足を止めた。話しがまだ終わっていなかったので、まだそこでミラと話しをする事になった。店でケーキを食べている時は別れた男の話であったが、今しているのはスケートの話しである。
 別れた男の話は聞き流していたユーリであったが、スケートの話しは熱心に聞いていた。聞くだけで無く自分の意見も述べているうちに、店から駅へと行く時間よりも駅に着いてからの時間が長くなってしまった。それにユーリが気が付いたのは、ミラが長話をしてしまったと言った時であった。
「じゃあ、ね。ユーリ」
「ん」
 ミラと別れる事になり改札口へと向かおうとしたのだが、彼女が続けた発言を聞きその場から動く事ができなくなってしまった。
「変な人に声掛けられたら逃げるんだよ」
「変な奴になんか声掛けられねえよ」
 自分は女では無い。しかもミラの方が女である。普通は女性から男性に対して言う台詞を女性であるミラから言われ、ユーリは顔を顰めた。
「またそんな事言って。こないだ駅で変なおっさんに声掛けられてたじゃない。その前はリンク場の前で声掛けられてたよね。その前は」
「もうその話は良い!」
 これ以上思い出したく無い事を言われたくなくて、ユーリはミラの言葉を遮った。彼女の言う通りユーリは何度も変な相手から声を掛けられていた。
「顔が良すぎるのも大変だね」
 ミラは同情したように言っていた。同情された事により、以前から不満に思っていた事を吐き出したくなった。
「くそ……どいつもこいつも人の事変な目で見やがって!」
 声を掛けて来た相手の目的が己の体である事をユーリは理解していた。
 昔から頻繁に中年男性から声を掛けられていたユーリであったが、最初は相手の目的が何であるのかという事が分かっていなかった。食事に行こうという言葉や一緒にお茶を飲もうという言葉を最初は本気にしていたのだが、それだけが目的では無い。それは口実なのだという事と、本当の目的は体であるのだという事に今は気が付いていた。
「その見た目で中身がこれって詐欺だよね」
「好きでこんな見た目なんじゃねえよ」
 吐き捨てるようにユーリは言った。もっと男らしい顔の方が良かった。性別を間違われるような外見のせいで、今まで何度も嫌な目にあって来た。スケーターとしては今の外見は便宜なのだが、それ以外ではこの外見は損な事ばかりであった。
「黙ってたら美少女だもんね」
「俺は男だ!」
 美少女と頻繁に言われているが、ユーリはそう言われるのを毛嫌いしていた。
「知ってる。だから詐欺だって言ってるんじゃないの。ほら、そろそろ帰りなさい。遅くまでこんな所うろうろしてたら変な奴に連れて行かれちゃうよ」
 女に心配をされてしまった事を悔しく思ったのだが、彼女の言う通り遅い時間までうろうろしていると変な相手から声を掛けられる率が上がるので帰る事にした。ミラと別れの挨拶を済ませると、ユーリは改札口へと向かった。
 改札口の中へと入りプラットホームへと向かっている途中足を止めた。
(そうだ……お菓子買って帰ろうと思ってたんだった)
 毎日この駅まで来ているので、自宅の最寄り駅からこの駅までの定期券をユーリは持っている。定期券を持っているので電車に乗るのを止めてもお金が掛からないので、改札口から出る事にした。
 改札口まで戻ると、ユーリは改札口を出て駅の建物の中にある売店へと向かった。売店の中に入り商品陳列棚に並んでいるお菓子を幾つか手に取ると、キャッシュレジスターまで行きそこにいる店員に商品を渡す。
 黒いハーフパンツのポケットに入れてある財布を取り出し会計を済ませ、店員から商品を入れたビニール袋を受け取る。ポケットに財布を戻すとユーリは売店を出た。
「腹減ったな」
 改札口へと戻っていると、先程ケーキを食べたばかりであるというのに空腹感がして来た。売店にはレトルト食品やサンドイッチなども売っていた。お菓子だけで無く夕飯も買えば良かった。一人暮らしを始めて既に四年が経過しているが、ユーリは料理を作る事ができなかった。そんなユーリは、昼は食堂で取り夜は買って来た物か何か外で食べて済ませていた。
「……ハンバーガー食べて帰るか」
 ハンバーガーを食べて帰ろうかと思ったのだが、今からハンバーガーを食べに行くと店を出る頃には日が完全に落ちてしまう。店で食べるのでは無く持ち帰りをすれば良いのだという事に気が付いたユーリは、頼んだ物を持ち帰って家で食べる事にした。何度も足を運んだ事があるファーストフード店へと向かっている途中、駅の中にある珈琲のチェーン店の前を通る事になった。
 常に人が多い店の中には今日も大勢の人の姿があった。何度かミラに誘われて店の中に入った事があるが、一人で店に入った事は無い。それは、この店にいるのは大人の。更に瀟洒な格好の者ばかりであったからである。まだ自分には一人で足を踏み込む事ができない空間を眺めていると、テーブル席に座っている銀髪の男性に目を奪われる事になった。
 テーブル席に座っているのは、男女問わず魅了するような切れ長の双眸に鼻梁の通った高い鼻。なめかわしい厚い唇をした男であった。周りから浮く程に眉目秀麗な容貌をした男は、数時間前にスケート場で一緒に練習をしていたヴィクトルである。
 スケーターというよりも俳優でもしていそうな容貌をしたヴィクトルの目線の先には、彼と同じ年頃の女性の姿があった。ヴィクトルと釣り合いが取れるほど容貌の良い女性がオメガである事をユーリは察した。
 己がオメガである事が分かるまでは、相手がアルファであるのかベータであるのかオメガであるのかという判断ができなかったユーリであるのだが、今は一見しただけで相手がそのどれなのかという事を分別できるようになっていた。
 ヴィクトルが女性と一緒にいる姿を見るのはこれが初めてでは無い。何度も見た事がある。幼い頃はヴィクトルには女性の友人が大勢いるのだとそれを見て思っていた。しかし今は、彼が一緒にいる女性が友人などでは無い事が分かっていた。
 今までは顔を顰めて呆れるだけであったのだが、今は二人を見て苛立っていた。二人を見て苛立ったのは、ヴィクトルと一緒にいる女性がオメガである事が分かったからである。
「なんだよ……人にはあれから手出して来ない癖に」
 一年近く前オメガである事が発覚した事件の後、ヴィクトルは何事も無かったような態度であった。あの事に触れる事も無かったので、忘れてしまったのだろうかと思ってしまう程であった。
 そんな筈が無いので、彼は覚えているが忘れた振りをしているだけである筈だ。その事をユーリは不満に思うだけで無く、何故自分に手を出さないのかという事を思い不満が鬱積していた。
 ユーリは拳を握りしめると、女性と親しそうに話しているヴィクトルから視線を離しその場を離れた。ハンバーガーを買うつもりであったのだが、歯痒さからその事を忘れてしまいその事を思い出したのは自宅に戻ってからであった。既に出掛ける事ができないような時間であったので食事を諦めたユーリは、シャワーを浴びると飼っている猫と共に布団の中へと入った。

三章 ザラトーイ

「ユーリ、顔赤いわよ。熱でもあるんじゃない」
 リンクサイドに上がると、ユーリはそこにいたミラから声を掛けられる事になった。
「熱あるかもしれねえ」
 今朝目を覚ました時から体が火照っていた。休む事も考えたのだが、練習をしていれば元通りになるかもしれないと思いユーリは練習に来ていた。
「ヤコフに言って今日は帰ったら」
「……そうする」
 慮った結果、ユーリはミラの勧めに従う事にした。これ以上練習を続けても、明日一層体調が悪くなってしまうとしか思えなかった。ユーリは布でブレードを拭くと、エッジカバーをブレードに付けた。
「駄目だったらタクシー拾いなよ」
「わーってる」
 ミラの言葉に同意していたが、ユーリはタクシーを拾うつもりは全く無かった。それは、タクシーを使うと高い金を払わなくてはいけないからである。
 シニアが上がっても入賞を続けた為、大会に出る度にユーリは賞金を手に入れていた。大会に出る事によって獲得している賞金は、ロシアの平均月収を考えると大金である。そんな賞金を貰っているというのにタクシー代を出す事をユーリが渋ったのは、家族に賞金の殆どを送金しているからだ。
 そんなユーリが暮らしているアパートメントは、広さはあるのだが年代物の決して綺麗だとは言えないものであった。ユーリがスケート場の近くでアパートメントを借りず電車で通わなくてはいけない距離にあるそんなアパートメントを借りているのは、家賃が安かったからである。
「あれ、ユーリ今日香水付けてる?」
 その場を離れようとすると、ミラから声を掛けられる事になった。
「そんなもん付けてねえよ」
 普段から香水など付けていないというのに、体調が悪い日にわざわざそんな物を付ける筈が無い。
「そう。甘い匂いがするから付けてるのかと思った」
 不思議そうにミラが言ったので、ユーリは自分の腕に鼻を近づけた。電車で来る途中同乗していた者の香水匂いが移ったのかもしれない。そんな風に思っていたのだが、何の匂いもしなかった。
「何の匂いもしねえぞ」
「じゃあ気のせいか」
 話しが終わったのでミラの元を離れると、ユーリはヤコフの元へと向かった。
 ヤコフはユーリと同門であるギオルギー・ポポーヴィッチの練習を見ている最中であった。ギオルギーに向かってヤコフは叫声を上げていたのだが、彼のそんな声を聞き慣れている為ユーリはその声を気にする事は無かった。
 ヤコフの元まで行くと、ユーリがやって来た事に気が付いた彼の視線が向かう。
「どうした、ユーリ」
「熱あるみてえだから帰る」
 ヤコフが顔を顰めた。
「顔が赤いぞ。体調管理ぐらいきちんとしろ!」
「分かってるって!」
 一人暮らしであるので、体調は自分で管理しなければいけない。更に自分はアスリートであるので、体調は常に万全で無ければいけない。体調管理ができずに熱を出してしまったユーリをヤコフが怒るのは当然のことである。それは分かっているのだが、叱咤された事に苛立った。
 ヤコフに棘のある声で答酬すると男子更衣室へと向かって歩き出した。男子更衣室まで行くと、扉を開け中に入る。今はまだ皆練習をしている時間であるので、更衣室の中は無人であった。
 扉を閉めロッカーまで行くと、ポケットの中に入れてある鍵を使い自身のロッカーの鍵を開ける。中から靴を取り出し更衣室の中心にあるベンチまで行ったユーリは、そこに腰を下ろすとスケート靴を手早く脱いでいった。
 スケートをやり始めたばかりの頃はスケート靴を脱ぐのに時間が掛かっていたのだが、既にスケートを始めてから十年が経過している今は何も考えずとも脱ぐ事ができるようになっていた。スケート靴を脱ぎ先程ロッカーから取り出した靴に履き替える。
 スケート靴をそれを置く専用の棚へと置くと、ロッカーに向かう。ロッカーの前まで行くと、ユーリは目を見開いた。目眩が急にしたと思うと、既に熱くなっている体が更に熱くなった。呼吸を荒くしながらユーリは前屈みになった。
(やべ……来た……)
 一度だけ経験した事がある発情期に体の状態が均しいものであったので、発情期が来たのだという事が分かりユーリは狼狽した。発情期が来たのは、ヴィクトルが自分に手を出さない事に腹を立てあれから抑制剤を飲んでいなかったからだ。ヴィクトルをフェロモンで誘うつもりであったのだが、こんなに早く発情期が来るとは思っていなかった。
(こんなとこで……)
 ヴィクトルは今リンクにいるので、彼がここにやって来る事は無い。彼をフェロモンで誘惑する為に抑制剤を飲まなかったというのに、彼を誘惑する事ができないのならば飲まなかった意味が無い。ヴィクトルをただ誘惑したかっただけであるのだが、今更になってそれでは彼に抱かれたかったようであるという事にユーリは気が付いた。
 抱かれたいなどとは思っていない。オメガであるが自分は男である。男に抱かれたいなどと思う筈が無い。オメガの男は同性を受け入れる事ができる体の作りをしているのだが、恋愛をするのも情を重ねるのも異性とするのが一般的であった。
「くそ……」
 馬鹿みたいであると思いながらユーリは拳を握りしめると、これからどうするのかという事を思案した。しかし、熱によって思考が鈍っており頭が回らず考えが纏まらない。徐々に立っている事すらも辛くなり、ユーリはロッカーの前でしゃがみ込むと忙しなく呼吸をした。
「はっ……ん……」
 双丘の間が濡れているのを感じる。普段ならば気持ち悪いと思うような事であるというのに、今は全くそれを気持ち悪いと思う事は無かった。
 スケーターの殆どがアルファである。フェロモンに誘われてそんなアルファが更衣室にやって来れば、犯される事になってしまう。早くこの場から離れなくてはいけないと思ったのだが、体を動かす事ができない。
「……びくとる」
 名前を呼んでもリンクにいる彼に声が届く筈が無い。そんな事など分かっていたが、それでもユーリは彼の名前を何度も呼んだ。
 淫らな熱は強くなるばかりであった。熱を放てば楽になる事ができるのだろうか。そう思ったのだが、熱を放つ方法が分からなかった。ただ体を苛んでいる熱に耐える事しかできずにいると、後ろから声が聞こえて来た。
「ユーリがまさかオメガだったとはな。アルファなんだと思ってた」
 意識が朦朧としていたので全く気が付かなかったのだが、誰か更衣室に入って来たようである。顔を強ばらせながら後ろを振り返ると、リンクメイトの一人が立っていた。リンクメイトは大勢いるからだけで無く興味の無い選手であったので、顔は見た事があるのだが彼の名前をユーリは知らなかった。
「ああ、良い匂いがする」
 腰を屈めると共に肩を掴んだ男が首へと顔を埋めた。
「何しやがる!」
 男の行動に戸惑いながらも、男の顔を離そうとユーリは体を揺らした。しかし、肩を強い力で掴んでいる男の顔がそこから離れる事は無かった。
「離せ! 止めろ!」
「くそ……興奮する。発情したオメガの匂いは強烈だって聞いた事があったんだけど、本当なんだな。こんなに興奮したのは初めてだぜ」
 男の様子は発情しているものであった。フェロモンの匂いを嗅ぎアルファである彼は発情しているらしい。このままでは彼に犯されてしまう事になる事を察し、ユーリは背筋に冷たいものを感じた。
「やめろ! やめろ!」
 男から逃げる為には男から離れなくてはいけない。罵倒するだけでは男から離れる事はできないという事が分かり、ユーリは満身の力で抵抗した。しかし、体を動かす事すら億劫である今出せる力は微々たるものであった。
 男の体を離す事ができていないというのに、抵抗する事が限界になってしまった。暴れるのをユーリが止めると、男が首から顔を離した。男と目があう。劣情に染まった男の瞳を見る事によって、戦慄が体を突き抜けていった。
 瞬きをする事すらできないでいると、呼吸が荒くなっている男の顔が近づいて来る。男が唇を重ねようとしているのだという事に気が付き、不快で吐きそうな気分へとなった。
「やめろ!」
「オメガの癖に抵抗するんじゃねえ!」
 オメガである己が卑下されても仕方無い卑しい存在であるという事は分かっている。それでも、今まで実際にそんな扱いを受けた事の無いユーリは、言いようのない絶望に胸を苛まれた。
 ヤコフはユーリがオメガである事を他言しないだけで無く、あれから一度もユーリがオメガである事について触れる事は無かった。その為、ユーリは周りからオメガとして扱われた事が今まで無かった。
「大人しくしてろよ。直ぐに気持ち悦くしてやるからな。あのユーリを抱けるなんてラッキーだ。お前の事は前から気に入らねえって思ってたけど、その綺麗な顔はずっと汚したいって思ってたんだ」
 リンクメイトと言っても、同じ競技で競い合う相手である。リンクメイトの中には自分に厭悪の情を抱いている者がいる事は既知であったが、それでもその言葉を明確に投げつけられたのは初めてである。怒涛のような悲泣の心が募り、ユーリは顔を顰めた。
「孕ませてやるからな」
「やだ……やめろ……」
 体中の血が凍るような心地になり、ユーリは目を見開いた。魔法でもかけられたかのように動く事ができない。逃げなくてはいけないという事は分かっているのだが、逃げる事ができずにいると男の手が伸びて来る。
 男の手が体を這うとユーリは目を見開いた。
(嫌なのに何で!)
 嫌悪感がしているというのに、触られると淫靡な熱が沸き上がり体内が疼いた。体と気持ちが別物になっているようであった。そんな風になっているのは、発情期になっているからなのだという事は分かっていたのだが、それでもユーリは困惑せずにはいられなかった。
「んっ……あっ……」
 更に男に体をまさぐられる事によって、口から発情期の猫のような声が勝手に出てしまった。そんな声を出したく無くて声を押し殺そうとしたのだが、勝手に声が出てしまう。
「やめろ……んぅ……あっ……」
 体をまさぐっていた男はユーリの首へと顔を埋めると、痛みを感じる程に強く首を吸った。何度も首を吸われ感じたのは疼痛だけでは無かった。同じぐらいそこに快感も感じていた。
 気を抜けば快感に意識が飲み込まれてしまいそうであった。そんな事になどなりたく無くて懸命に意識を保っていると、首を舐められる事になった。
「んぅ……あっ……ああっ」
 不快感がしているというのに快感に襲われている事に嫌悪感がした。それから逃れるには男から奔逸するしか無い。しかし、自分の体では無いように体を自由に動かす事ができない。じりじりと胸を蝕まれていっているようにユーリが感じていると、練習着である黒いタートルネックのTシャツを裾から捲り上げられる事になった。
 胸の突起を晒す格好へとなると、男が胸へと顔を近づけていった。
「やめろ……」
 男が何をするつもりなのかという事は分からなかったのだが、それでもユーリは恐懼した。顔を顰めていると胸の突起を口へと含まれ驚愕した。男が何故そんな事をしたのかという事が分からず動揺する事しかできずにいると、そこを口で吸われると共に肌を直接撫でられる事になった。
「あっ……んっ……やめろ……あっ……」
 肌を撫でられ甘い痺れをそこに感じるだけで無く、唇で吸われている胸の突起に目眩すらする程の快感をユーリは感じていた。口を開いているのだが上手く呼吸ができない。そんな口から淫蕩な声を漏らしてしまったのだが、頭が快感によって塗り潰されておりそんな声を気にしている余裕が無かった。
「あっ……んぅ……やぁ……」
 既に下着をぐっしょりと濡らす程に濡れている蕾が更に濡れ、まるで粗相でもしてしまったかのようであった。気持ち悪さからユーリが体を捩ると、肌を這っていた手が下肢の中心へと向かった。
「やめろ! やだ!」
 男の手が何処に向かっているのかという事を察し、ユーリは体を大きく捩った。そこは自分でも触った事が無い場所である。そこを触れば快感がするのだという事は知っていたが、淫猥な行為であるとしか思えずそこを触った事は無い。
「やぁ! やめろ! やだ!」
 体を捩るだけでは駄目なのだという事が分かり、ユーリは男の肩を掴み己から離そうとした。しかし、男の体はびくりともしなかった。離す事ができなかった男に、ズボンの上から花芯を触られる事になった。
「んっ――!」
 肌が粟立つ程の快感にユーリが目を見開いていると、花芯を触っていた男の手がそこを掴んだ。
「もうここすげー固くなってるじゃねえか」
「ちがう! やだ! もう触るな!」
 拒絶をしているというのに花芯を男がズボンの上から触ったままになっていた為、快感が増し今にもそこから白濁が溢れてしまいそうであった。こんな卑しい男に触られて吐精などしたくない。それはユーリの矜恃が許さないものであった。
「こここんなにがちがちにしておいてそんな事言っても説得力ねえよ。さーて、ズボン脱ごうね」
「やぁ! 止めろ。やめ……止めろ!」
 花芯を触るのを止めた男がズボンを脱がそうとしたので、脱がす事ができないようにそれを手で引っ張った。しかし、手に力を入れる事ができずズボンを脱がされる事になった。
「下着も脱ごうか」
「やめろ……ぶっころす」
「おっかない」
 劣情によって頬を上気させている男は、笑みを浮かべたまま下着へと手を掛けた。先程手に力を入れる事ができなかったのだが、それでも下着を脱がされないようにそれを掴んだ。
「やめろ……やぁ……やめろ!」
 首を左右に振りながら抵抗したのだが、力が入らない状態で男に勝てる筈が無かった。下着を脱がされた事によって、濡れた双丘に外気を感じる。そこが濡れている事を一層感じるだけで無く、濡れた場所を晒す事になり汚辱をこうむった。
 もう睨み付ける事しかできず、ユーリは怒りをこめて男を睨み付けた。
「ははっ。こんな時まで人の事見下しやがって。今から俺にひーひー言わされるってのによ」
 男から嘲り笑われた事によって、彼が自分から馬鹿にされていると思っているのだという事が分かった。
「お前みてえな碌な成績も出してねえような奴を、わざわざ眼中に入れる筈がねえだろ。自惚れんな!」
 顔を顰めたと思うと、男の顔が怒りの色に一瞬にして染まった。男を怒らせてしまったのだという事が分かったのだが、先程の言葉を否定するつもりは無い。男の事など名前すら覚えていない程眼中に入れていなかった。
「……くそ!」
 憎悪を顔に滲ませている男に首を両手で掴まれ、ユーリは狼狽した。男が首を絞めようとしているのだという事が分かり、背筋に冷たいものが走った。
「馬鹿にしやがって! オメガの癖に……オメガの癖に……。オメガなんて下等な生き物の癖に」
 尋常では無い様子へとなっている男が首を掴んでいる手に力を込めた。
「やめ……ろっ……んぅ……!」
 じたばたと暴れたのだが、男は首を絞めるのを止めようとしなかった。息をする事ができなくなり意識が曖昧へとなっていく。このまま首を絞め続けられれば死んでしまう事になる。自分はここで死んでしまうのだろうか。
(死にたくねえ!)
 自分には支えなくてはいけない家族がいる。自分がこんな所で死ぬ訳にはいかない。そう思いユーリは再び抵抗した。先程までは全く体に力を入れる事ができなかったのだが、命が脅かされているからなだろう。今度は渾身の力で抵抗する事ができた。
「くそ」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 男が首から力を離した事により漸く息をする事ができるようになった。肩で息をしていると男の手が再び伸びて来た。伏せていた顔を上げる事によって、ユーリは男の目がまだ殺気を孕んだものである事に気が付いた。再び男が首を絞めるつもりである事が分かり、考えるよりも先に体が動いていた。
「待て!」
 待てと言われたからといって待つ筈が無い。待てば男に殺される事になってしまう。四つん這いの格好で逃げていたのだが、効率的でない事に気が付き立ち上がる事にした。しかし、体が重く立ち上がる事ができない。それでもロッカーに寄りかかりながら無理やり立ち上がろうとすると、背後から肩を掴まれる事になった。
「はなせっ!」
「大人しくしろ!」
 喚叫されたからといって大人しくするつもりは無かった。逃げる為に暴れたのだが、男の手が肩から離れる事は無かった。ぐいっと肩を引っ張られ、臀部を床に打ち付ける事になった。
「――っ!」
 臀部に鈍痛を感じ眉間に皺を寄せていると、腕を引っ張られる事になった。
 強い力で引っ張られ抵抗する事ができずなすがままになっていると、体を反転する事になった。男と向かいあう格好へとなり腕から手が離れたのだが、口で表せないほどの恐怖に囚われてしまいユーリは体を動かす事ができなかった。
「やっと大人しくなったか」
 先程までは殺気だっていた男であったが、今は再び劣情に顔が染まっていた。ユーリを厭悪しながらも劣情を抱いているのはフェロモンが原因なのだろう。フェロモンをどうにかしたいのだが、それをどうにかする事はできない。
 先程まで恐怖心から淫靡な熱が体から薄れていたのだが、再び淫靡な熱に体の内側から蝕まれる事になった。意識が霞み呼吸が荒くなる。男がそれを見て色慾に染まった笑みを浮かべた。
「……びくとる」
 背筋に冷たいものを感じながら、無意識にヴィクトルの名前を口から零してしまった。こんな時に彼の名前が何故出て来てしまったのかという事は分からない。彼が助けてくれる筈が無い。それが分かっていながらも名前を呼んでしまった己を恥ずかしく思った。
「ヴィクトルの事よく目で追いかけてると思ったら、そういう関係だったのか」
「違う!」
 こんな時にヴィクトルの名前を口にしてしまった事により、男に勘違いさせてしまったのだという事が分かりユーリは狼狽えた。
「でも番になってないよな? ああ、番にして貰えなかったのか。番なんてもんあのヴィクトルが作るはずがねえよな」
「そんな事は……」
 ヴィクトルに以前番にしろと言った時、彼にそれを拒まれている。それなのに否定しようとしてしまったのだが、その事を思い出して最後まで言葉を続ける事ができなかった。
「そうだよな。あのヴィクトルが番なんか作る筈がねえよな」
 男の言葉がユーリの胸に突き刺さる。男の言っている事は間違いでは無い。否、真実である。その通りであるというのに何故胸が痛くなってしまったのかという事が分からない。困惑した面持ちになっていると、男が硬い表情を解いた。
「俺が番にしてやるよ」
「はっ……?」
 全く予期していなかった事を言われ、ユーリは茫然たる顔へとなった。
「番になったら俺から離れられなくなる。あのユーリ・プリセツキーが俺の番とかおもしれえよな」
 男の瞳は真剣なものであった。戯れ言であるとしか思えない事であったのだが、男が本気で言っているのだという事が分かった。
「や、止めろ! やめっ!」
 こんな男と番になるという事は考えられない。抑制剤が飲みたく無くてヴィクトルに番にしろと詰め寄っていたが、この男と番にはなりたく無かった。
 うなじをオメガはアルファに噛まれると番になってしまう。彼がうなじを噛もうとしているのだという事を察する事ができた。うなじを噛む事ができないように、ユーリはそこを手で押さえながら男から離れようとした。しかし、再び強い熱へと蝕まれている体を上手く動かす事はできなかった。
「逃げるな。番になったら毎日抱いてやるぜ」
 毎日この男に抱かれる事を想像するだけで吐き気がした。
「止めろ!」
 咆哮すると同時に扉が開く音が聞こえて来た。男が扉の方へと視線を遣ったので、ユーリも視線を遣る。そこに立っている相手の姿を見てユーリは目を丸くした。
「……ヴィクトル」
 扉の前に立っているのは、練習中である筈のヴィクトルであった。

 喫驚した様子でユーリと男を見ていたヴィクトルが、眉を曇らせた。
「何してるんだい?」
 ヴィクトルの語調は厳しいものであった。ヴィクトルから詰問され男はたじろいだ様子へとなった。
「何でここにヴィクトルが!」
「喉が乾いたから飲み物を買いに行ってたら、諍いあう声が聞こえて来たから来てみたら……。ユーリ嫌がってるように見えるんだけど?」
 ヴィクトルの瞳は冷たい色へとなり、声色は普段のものよりも低いものへとなっていた。ヴィクトルが激高しているのだという事を、その事から察する事ができた。
 それを察したのはユーリだけでは無かったようである。先程から動揺した様子へとなっていた男が取り乱した様子へとなった。
「ヴィクトルもアルファなんだから分かるだろ! こんな強いフェロモン嗅がされたらおかしくなるに決まってるだろ。そうだ。ユーリが悪いんだ。ユーリがオメガなんかだからだ」
「人のせいにすんじゃねえよ」
 男の言葉をユーリは黙って聞いている事はできなかった。余計な事を言うなという顔で男に睨み付けられたが、ユーリはそれを気にする事は無かった。
「だったら、俺がこの後はどうにかするから出てってくれないかな」
 ヴィクトルは笑みを浮かべていたが、瞳は笑っていなかった。男は慌てた様子でユーリから離れると、ヴィクトルが立っている扉の方へと向かった。
「ユーリがオメガだって言いふらしたら殺すよ」
 ヴィクトルの発言に驚いていると、男がひっという小さな悲鳴をあげながら更衣室から出て行った。男が更衣室から出て行った事によりヴィクトルと二人きりになった。もう犯される心配も番にされそうになる心配も無い。体に入っていた力抜くと、ヴィクトルが扉の前から離れた。
 ヴィクトルから視線を離す事ができないでいると、ユーリの元へと彼がやって来た。目の前で足を止めたヴィクトルが腰を屈めた事によって、彼と目線の高さが同じになる事になった。
 ヴィクトルに全く劣情へと襲われている様子が無かったので気が付いていなかったが、ヴィクトルもアルファである。フェロモンの香りによって欲情を掻き立てられている筈である。彼にフェロモンが効かない筈が無い。先程欲情した男を目の前にした時は恐怖を感じたというのに、今からヴィクトルに抱かれるのだと思うと体が疼くだけで恐怖は欠片も感じ無かった。
「ユーリ、抑制剤を飲んでたんじゃ無かったのかい?」
 ヴィクトルの声は冷淡なものであった。その事から彼が立腹しているのだという事を察する事ができた。
「飲んでたけど……」
 フェロモンが効いていないのだろうか。そんな事は無い筈である。効かないのならば前回自分に手を出さなかった筈である。何故こんなにも平然とした態度でいられるのだろうか。ヴィクトルの態度をユーリは不思議に思った。
「発情期になってるって事は飲むの止めたんだよね。飲むの止めたら発情期が来るのは分かってたよね? 何で飲むの止めたんだい」
「それは……」
 ヴィクトルが自分以外のオメガと一緒にいる姿を見て腹が立ち、腹癒せにヴィクトルを誘おうと抑制剤を飲まなかった。今までそんな自身の行動を全く疑問に思わなかったのだが、今更になってそんな自分の行動が滑稽なものである事に気が付いた。その為、何故なのかという事を口にする事ができなかった。
「黙ってたら分からないよ。何で止めたの?」
 ヴィクトルの口調は、話さないという選択肢を選ばせないという事を示す強いものであった。黙っている事ができなくなり仕方無く質問に答える。
「お前が……。お前があれから手出して来ねえからだよ! しかもオメガのババアといちゃつきやがって! オメガなら誰でも良いんなら俺とすりゃあ良いだろ」
 冷静に言うつもりであったのだが、言っているうちに感情的になってしまい言うつもりで無かった事まで言ってしまった。恋人なのか体だけの関係であるのかという事は分からないが、先日一緒にいた女性を誹謗した事にヴィクトルは忿怒するかもしれない。女性を罵倒してしまった事を後悔すると共に、ヴィクトルの反応が怖くて視線を逸らした。
「それって俺に抱かれたかったって事?」
 聞こえて来たヴィクトルの声は憤っている様子が無いものであった。怒っていないようだ。ヴィクトルが憤慨しなかった事を不思議に思いながら顔を上げる事によって、ユーリをアクアマリンのような色をした青い双眸が捉えた。
「ち、ちがう……」
 一瞬動揺した後ヴィクトルの言葉を否定した。彼が思っている通りであったが、肯定する事がユーリにできる筈が無かった。
「違わないよね。俺に抱かれたかったんだよね?」
「ちがう……」
 認めてしまった方が良いのかもしれないという思いがあったのだが、認める事はできなかった。こんな虚辞を彼が信じる筈が無い事など分かっていたので、ヴィクトルの目を真っ直ぐに見ている事ができなくなった。
「本当の事言わないと、ここに置いていっちゃうよ」
「え……」
 慌ててヴィクトルに視線を戻すと、作り物のように整った笑みを彼は浮かべていた。こんな所に一人残されてしまえば、ここにやって来た者に犯されてしまう事になる。ヴィクトル以外の相手と絶対にしたく無い。先程の恐怖を思いだし肌が粟立った。
「した……かった。お前としたかったんだよ!」
 吐き捨てるようにして言うと、ヴィクトルが満足そうな顔へとなった。その顔から、ユーリの考えを彼が見透かしていたのだという事が分かった。
「俺の気持ちなんか分かってたんだろ! 分かってたんなら、なんでわざわざ訊いたりしたんだ」
「ユーリの気持ちが知りたかったからだよ。俺の事好きだからそんな事言ったんだよね?」
「ちがう……」
 ヴィクトルに恋慕などしていない。彼の事はスケーターとして尊敬しているが、そんな感情を抱いた事など無い。
「だったらなんで俺に抱かれたかったの?」
「それは……」
 何故なのかという事を聊かも考えていなかったユーリは、何故なのかという事を思惟した。しかし、頭が回らなくなっている為なのだろう。何故なのかという事が分からなかった。
「俺の事が好きだからそんな事を思ったんだよ」
「ちがう……」
 繰り返された事によって、違うと思っているのだが本当にそうなのかという事がユーリは不安になった。
「俺の事好きだから俺に抱かれたかったんだよ、ユーリは」
 諭すようにして言われ、先程まではそうでは無いという気持ちの方が大きかったのだが今はヴィクトルの言う通りなのかもしれないという気持ちの方が大きくなっていた。それでもまだそれを認める事はできなかった。
「ちがう……ちがう……」
「違わないよ。ただ抱かれたいだけなら、俺以外の相手でも良かったって事になるよ。俺以外の相手とはしたく無いんだよね」
 その通りであると思った。そう思う事によって、ユーリの中からそうでは無いという気持ちが消え去った。
「俺は……ヴィクトルが好きなのか?」
「そうだよ」
「何で……?」
 ヴィクトルに傾慕している事が分かったのだが、何故彼にそんな気持ちを抱いたのかという事が分からなかった。
「誰かを好きになるのに理由なんか無いもんだよ。気が付いたら好きになってるものだから、悩まなくても大丈夫だよ」
 ヴィクトルがそう言うのだからそうなのだろう。自分よりも恋愛経験豊富な彼がそう言うのだから間違いないだろう。ユーリが納得していると、ヴィクトルが口元を引き上げた。
「さて、ここにいたら誰か来ちゃうから俺の家に行こうか」
 自宅へと移動してユーリを抱くつもりなのだという事が分かった。
「ここでも平気だ」
 先程までは話しをしていた為に体を襲っている淫靡な熱を誤魔化す事ができたのだが、今は熱が体を包み体内が疼いていた。ヴィクトルの自宅まで我慢する事ができそうに無かったので、ここで抱いて欲しかった。
「駄目だよ。ちゃんと汚れを落としてからじゃないと抱かないよ」
 自宅に移動しようとヴィクトルが言ったのは、情交するのならば自宅の方が良いからなのだと思っていた。しかし、それだけで無く体を清めないと抱きたく無いからという理由もあるのだという事が分かった。
「……分かった」
 ヴィクトルの様子はユーリの意見を聞き入れるつもりが無いものであった。何を言っても無駄であるという事が分かり、ヴィクトルの言葉に従う事にした。
 満足そうな顔へとなったヴィクトルが両手を伸ばして来た。何をするのだろうかと思いながらヴィクトルを見詰めていると、腕を引っ張られた事により彼の胸に飛び込む事になった。
「んっ――」
 前回発情期になった時、ヴィクトルに抱き締められると頭が真っ白になってしまう程の快感が体に走っていった。体が密着する事によって同じように快感が走ったのだが、前回ほどそれは強いものでは無かった。前回のように理性を飛ばす事は無かった。
 前回は初めての発情期であったので、あそこまで感じてしまったのかもしれない。そんな風に思いながらヴィクトルに体を預けていると、体を抱き上げられる事になった。
「えっ……」
「暴れたら落とすから大人しくしててね」
 ヴィクトルがこのまま更衣室を出て行くつもりであるという事が分かり、ユーリは狼狽した。
「自分で歩ける」
「歩けないでしょ」
「歩ける」
 ヴィクトルの言葉を否定したが、立っている事ができるかどうかという事すらも不安であった。ユーリが頑なに抱き上げられた格好でいる事を嫌がった事により、ヴィクトルが呆れた顔へとなった。
「無理しなくて良いよ」
「無理じゃねえし。それにこんな恥ずかしい格好やだ」
「恥ずかしくなんか無いよ。大人しくしててね」
 嫌だと言っているというのに、ヴィクトルは扉に向かって歩き出した。こんな格好を誰かに見られれば慙愧にたえない。下ろして欲しかったのだが、何を言ってもヴィクトルが聞き入れそうに無いのでユーリはこれ以上何か言うのは諦めた。
 扉まで行ったヴィクトルは更衣室を出た後、駐車場に停めている車まで向かった。車に乗せられたユーリは、ヴィクトルの運転する車で彼のアパートメントまで行く事になった。

四章 アランジェヴゥィ

 ヴィクトルの自宅に行った事は無いのだが、彼の自宅がスケート場の付近であるという話しをユーリは聞いた事があった。そんな彼の自宅は、駐車場から浮いてしまう程派手な高級車で十分ほどで着く距離にあった。
 世界選手権五連覇を成し遂げリビング・レジェンドと呼ばれている彼は、実入りが良い。そんな彼が暮らしているアパートメントが広壮なものであるという事は簡単に想像できた。しかし、ユーリが思っていたよりもヴィクトルが暮らしているアパートメントは壮観なものであった。
 建てられたばかりに見えるアパートメントの中は、落ち着いた雰囲気であると共に良質なものであった。淫靡な熱によって意識が朦朧としていたのだが、それでもユーリはそんなアパートメントの中をまじまじと見ていった。
 ヴィクトルの部屋があるのは、高級ホテルと見紛うばかりの見た目のアパートメントの最上階であった。月の家賃は幾らなのかという事が気になっていると、ポケットから取り出した鍵で錠前をヴィクトルが解除した。車を降りた後再びユーリを抱き上げたヴィクトルが部屋に入り向かったのは、浴室であった。
 壮麗なアパートメントの中にある浴室は、絢爛なものであるだけで無く趣味の良いものであった。そんな浴室の中まで入ると、ヴィクトルに床へと下ろされる事になった。
「自分でシャワー浴びられる?」
「シャワーぐらい浴びられる」
「そう」
 ヴィクトルはユーリの言葉を疑っている様子であった。入浴を手伝うと彼が言い出すかもしれないと思っていたのだが、ヴィクトルは浴室の中にある物は自由に使って良いという事とバスタオルの置き場を教えてくれた後浴室から出て行った。
 彼が一人で入浴させてくれる事にしたのだという事が分かり安堵した後、ユーリは着ている物を脱いでいった。
「上着忘れちまった」
 服を脱いでいる途中、ユーリはロッカーに入れた上着をそのままにしてしまった事に気が付いた。その事に気が付く事によって、ロッカーに鞄も置いて来てしまった事やロッカーの鍵を開けたままにしてしまっている事に気が付いた。
「大したもん入ってねえし大丈夫か」
 カード類を持ち歩かないので財布の中には現金しか入っていない。そんな現金も食事代と交通費程度しか無いので、盗られても全く懐は痛まない。更衣室にはリンクメイトしか入る事ができないので、盗るような人間はいないだろう。それに、今から取りに戻るというような事はできない。
 荷物を取りに戻る事を諦め服を脱ぐと、ユーリは床置き式の湯船へと入った。ロシアでは湯船に入る習慣が無いので、湯船がある家は少ない。ユーリが今暮らしているアパートメントにも湯船は無い。湯をわざわざ湯船に張る事はせずに、備え付けられているシャワーで体を洗っていく。
「ん……」
 体をただ洗っているだけであるというのに、熱くなったままになっていた体が一層熱くなった。意識が朦朧としており、立っているのが辛くなって来た。
 しゃがみ込めば少しは楽になるかもしれないと思いしゃがみ込んだのだが、熱が体から逃げる事は無かった。それどころか、体内を指で抉りたくなってしまう程そこが疼いていた。しかし、体内に己の指を潜り込ませるなどという卑俗な真似をする事はできなかった。
「ユーリ」
 熱に耐えていると扉の向こう側からヴィクトルの声が聞こえて来た。
「びくとる……」
 消え入りそうな声しか今は出す事ができなかった。そんな声でユーリが名前を呼ぶと、直ぐに扉が開きヴィクトルが姿を現した。ヴィクトルは焦燥した様子であった。
「ユーリ!」
 強く口調で名前を呼ぶと、ヴィクトルは扉を離れユーリの元へとやって来た。側までやって来たヴィクトルが、シャワーの湯を止める。何も考える事ができなくなっていたので、シャワーの湯を出したままにしている事に気が付いていなかった。
「どうしたんだい?」
 ヴィクトルがしゃがみ込んだので、ユーリは彼の方へと顔を向けた。
「もう立てねえ」
「そうなんだ」
 全く違う理由でユーリがしゃがみ込んでいるのだとヴィクトルは思ったようである。安堵した様子へとなったヴィクトルがバスタオルを手に取った。
「立てるかい?」
 首を左右に振ると、ヴィクトルにバスタオルを肩に掛けられる事になった。軽く体を拭いた後彼に体を抱き上げられる。更衣室で同じように体を抱き上げられた時は羞恥に襲われたのだが、今はその事に対して何か思う事は無かった。何か思う事ができるような余裕が今のユーリには無かったからだ。
 なすがままになっていると、ヴィクトルはユーリの体を体を抱き上げたまま浴室を出た。ヴィクトルにそのまま連れて行かれたのは寝室であった。
 寝室はインテリア雑誌に載っていそうな瀟洒な家具で纏められていた。天井から幾つもぶら下がっている瓶に入った電球の下にある寝台まで行くと、ヴィクトルにそこへと下ろされる。
 ヴィクトルの寝台は一人で眠るのには大きすぎる物であった。この家に恋人や閨を共にしている相手を連れ込んでいるのだろう。ヴィクトルが放埓であるという事は既に知っている事である。それなのに胸に小さな硝子の破片が刺さったかのようにちくりと痛んだ。
 何故そんな気持ちになったのかという事をユーリは思案しようとしたのだが、頭が上手く回らず答えを出す事ができなかった。考えるのを止めると、今直ぐに体内を肉塊で抉って欲しくなった。
「はやく……んぅ……」
 息を乱してユーリはヴィクトルを求めた。
「先に体を拭かないと風邪をひいてしまうよ」
 肩に掛けたままになっていたバスタオルをヴィクトルが手に取った。ヴィクトルはまだ水気が残っている体を拭いてくれるつもりのようだ。
「んな事後で良い」
 濡れたままでいると風邪をひいてしまう事になる。そんな事は分かっていたのだが、今はそんな事よりも早く体に籠もっている熱を逃したかった。まるで今は熱砂の中に放り出されているような状態であった。
「駄目だよ」
 ユーリの言葉を無視してヴィクトルは体を拭き始めた。何を言っても彼が体を拭くつもりであるのだという事が分かり、仕方無くヴィクトルのなすがままになる。体を拭き終えたヴィクトルがバスタオルを邪魔にならない場所へと置くと、ユーリは彼の服を掴んだ。
「もう欲しいの?」
「欲しい……」
 淫らな自分をばつが悪く思える余裕は今のユーリには無かった。体を拭かれる事によって淫靡な熱が一層強くなっており、早く太く固い物で体内を抉られたくなっていた。
「素直に言えた事は褒めてあげるけど、まだ駄目だよ」
「何でだよ?」
 体を拭き終えれば体内を抉って貰えるのだと思っていたというのに、ヴィクトルにそうするつもりが無いという事をユーリは不満に思った。
「この間は何もせずにしちゃったから、今度はちゃんと前戯してあげるから」
「前戯って何だよ?」
 初めて耳にした言葉であったので、それが何であるのかという事が分からなかった。首を傾げていると、ヴィクトルが目を眇めた。
「舐めたり触ったりする事だよ」
「そんな気持ち悪い事わざわざしなくて良い」
 どこを彼が触り舐めるつもりであるのかという事は分からなかったが、それでもユーリは顔を顰めずにはいられなかった。
「駄目だよ。気持ち悦くしてあげるから」
 何を言っても無駄であるのだという事が分かり諦めると、ヴィクトルに体を抱き締められる事になった。首の後ろに手を添えているヴィクトルの顔が迫って来る。唇を彼が重ねようとしているのだという事に気が付き、ユーリはヴィクトルに唇を重ねられた時の事を思い出した。
 唇を重ねるとそこから溶けてしまいそうになった。唇を早く重ねて欲しくなっていると、唇に彼のそれが重なる。ヴィクトルの厚い唇が重なる事によって、唇から全身に向かって甘い痺れが広がっていった。瞼を開いたままでいる事ができなくなり、ユーリは瞼を閉じた。
「あっ……んぅ……」
 唇を重ねては離す事を繰り返され、頭の中が霞が掛かっているかのように不鮮明になって来た。口付けに溺れていると、唇が深く重なって来た。口腔へと舌が潜り込み、舌へとヴィクトルのそれが触れた。突くようにして舌を何度も触られ、そこだけで無く喉の奥がむずむずとした。
「んぅ……あっ……」
 舌が絡みついて来る事によって、まるで高熱が出ている時のように顔が熱くなった。舌を絡みつけて来るだけで無く、ヴィクトルは唇を吸い口蓋を舐めた。口腔が敏感になっており何をされても感じるようになっており、びくびくと体を震わせているとヴィクトルに背中を撫でられる事になった。
「あっ……んぅ……あっ……」
 ヴィクトルの手の動きは、ユーリの快感を高めるものであった。唇を重ねている事ができなくなり口を離すと、背中を撫でていた手が太股へと移動した。
「あっ……んぅ……」
 太股から下肢の中心へと向かって甘い痺れが走っていき、体内がむずむずとして来た。そこを抉られた時に体を襲った快感を思い出す事によって、既に疼いていたそこが更に疼いた。
「もう欲しい」
「さっき駄目だって言ったよね」
 どんなに懇願しても彼は肉塊をまだ潜り込ませるつもりは無いのだという事が分かった。体内の疼きに耐えるしか無いのだという事が分かり、ユーリは眉間に皺を寄せながら拳を握りしめた。そうする事によって疼きに耐えようとしていると、ヴィクトルに寝台へと寝かし付けられる事になった。
 体を起こしていることが辛かったので、体を寝台に横たえると体に入っていた力を抜いた。天井を見詰めていると上着を脱いだヴィクトルが覆い被さって来た。上半身に何も纏っていない彼は、頬に唇を落とすとその唇を下に移動させていった。
「んぅ……あっ……」
 肌を吸いながらヴィクトルが唇を移動させていった事により、肌を吸われた場所に甘い痺れを感じる事になった。そんな痺れは指先まで走っていき、シーツを握りしめてそれに耐えた。
「はっ……あっ……」
 ヴィクトルに肌を吸われる度に体を大きく捩っていると、鎖骨の下を吸っていた彼に胸の突起の片方を口へと含まれる事になった。そんな場所を口に含まれた事に驚いていると、そこを吸われる事になった。
「やだ……。俺おっぱいなんか出ねえぞ」
 胸の突起から唇を離し顔を上げたヴィクトルの顔は驚愕しているものであった。彼が何故そんな顔へとなっているのかという事が分からず、ユーリは困惑した。
「そうだね。まだ赤ちゃんいないから、ユーリはミルクは出ないよね」
 くすくすと小さく彼が笑った事から、自分がおかしな事を言ったのだという事をユーリは察した。しかし、自分の発言の何がおかしかったのかという事が分からなかった。眉間に皺を寄せていると、ヴィクトルが再び胸の突起を口へと含んだ。
「あぅ……んぅ……」
 再び胸の突起を吸った彼に、今度はそこを舐められる事になった。何度も舐めては吸う事を繰り返されると、そこにむずむずとしたものを感じるようになった。最初は痒いのだと思っていたのだが、執拗だとしか思えないほどそこを弄ばれ感じているのが快感であるのだという事に気が付いた。
「なんで……あっ……こんなとこ……へん……」
「ここは感じるところだからね」
 初めて知った事実にユーリは戸惑わずにはいられなかった。そんな所が感じる場所であるという事を知らなかった。
「はっ……やだ……やだ!」
 感じる場所である事は分かったのだが、それでもそんな場所を吸われて感じている自分が恥ずかしくなった。嫌がったのだが、ヴィクトルはそこを嬲るのを止めようとしなかった。暫くはそれでも制止したのだが、愛撫を続けられる事によって絶頂感へと襲われるようになり何も言えなくなってしまった。
「あっ……もうむり……んぅ……」
 絶頂へと上り詰めたいのだが、胸を嬲られる事による快感だけでは上り詰める事ができなかった。針の筵であるとしか思えない状態が限界になり、ユーリは助けを求めた。
「ここだけじゃイけない?」
 胸の突起から口を離したヴィクトルに、唾液によって濡れたそこを指で刺激される事になった。ぐいぐいとそこを押し込められる事によって、目眩がするほどの快感へと襲われた。しかし、それは絶頂へと上り詰める事ができる程強いものでは無かった。
「あっ……むり……むりだからもう止めろ」
「こっちじゃ無理なら下触ってあげるね」
「んっ……あっ……やっ!」
 花芯を掴んだヴィクトルにそこを擦られると、意識を浚ってしまう程の快感へと襲われる事になった。
「あっ……出る……でる!」
 体を弓なりにしながら目を見開くと、ユーリは限界まで大きくなっている花芯から白濁を放った。白濁が止まってもまだ快感が体の中に渦巻いたままであった。肩で息をしながら熱を放とうとしていると、花芯を再びヴィクトルに擦られる事になった。
「やだっ……出したばっか……やだぁっ!」
 先程白濁を放ったばかりであるというのに、花芯を擦るだけで無く根本にある双球を揉みしだかれ花芯が再び硬くなる事になった。
「あっ……やっ……んぅ……!」
 先程射精したばかりであるというのに、既に吐精感が込み上げて来ていた。体の中で一度大きくなってしまったそれは、消え去る事が無くそれどころか更に大きくなっていくばかりであった。
「出る……あっ!」
 怒涛のように快感が体に押し寄せて来る。肩を大きく震わせると、ユーリは体を弓なりにしながら花芯から白濁を放った。白濁が止まり体に入っていた力を抜くと、ヴィクトルが漸く花芯から手を離した。
「ここ舐めてあげるね」
 どこを彼が舐めようとしているのかという事を察し、ユーリは青くなった。
「そんなとこ止めろ!」
 ヴィクトルがしようとしている事は、ユーリにとっては常識を逸脱した行為であった。下肢へと顔を埋めているヴィクトルの肩を掴んだのだが、手に力を入れる事ができない。このままでは花芯を咥えられてしまう事になると思い狼狽していると、そこを口に咥えられる事になった。
「――っ!」
 口に咥えられると、全身に甘い痺れが広がり目の奥に閃光が走った。浮遊感に襲われていると、根本まで花芯を口へと含んでいたヴィクトルに舌をそれに絡みつけられる。
「あっ……ああっ……!」
 ヴィクトルが口に含んでいる場所が溶けてしまいそうであった。そこが無くなってしまうのでは無いのかという恐怖を感じたのだが、それは快感を薄める事にはならなかった。それどころか、快感によって直ぐにそちらの方が消え去ってしまった。
「はっ……出る!」
 先程から感じていた射精感から逃れる術など無かったので、花芯から白濁を放った。
 既に三度目の射精であったので白濁は直ぐに止まった。しかし、ヴィクトルがじゅぶじゅぶという淫靡な音を立てながら花芯を舐めしゃぶったままになっていたので、再びそこを固くする事になった。
「もうやめろ……やだ! やだ!」
 ヴィクトルから離れようとしたのだが、逃げる事ができないように腰を掴まれる事になった。逃げる事ができなくなりなすがままになる事しかできず、愛撫をされているうちに再び射精感に襲われる事になった。
「やっ……出る! あっ……!」
 もう何度目なのかという事が分からない吐精であったので、白濁は直ぐに止まった。猛烈な勢いで体を襲っていた快感が体からひいていった。意識が曖昧になる程精を放っていたが、まだ体内が疼いたままであった。それはまだ体内を抉られていないからである。
「……もう挿れろ」
「そんなに欲しいの?」
「お前だって挿れたいだろ?」
 ヴィクトルはフェロモンが効いているのかという事が分からない平然とした態度であった。しかし、フェロモンが効いていない筈が無い。
「挿れたいけど、もう少しユーリの感じてる顔が見たいな」
 まだヴィクトルは前戯を続けるつもりらしい。
「フェロモン効いて無いのかよ?」
「効いてるよ。ユーリの姿を見た時からずっと欲情してるよ」
 彼にフェロモンが効いているのだという事が分かった事により、ユーリは眉間に皺を寄せた。
「だったらなんでそんな平気そうな顔してんだ」
「そんな顔してるかな? したいけど我慢してるだけなんだけど」
 意識せずに平然とした顔をしているが、彼は欲情しているらしい。余りにも彼が平然とした顔をしているので、ユーリはその言葉を信じる事ができず下肢の中心へと手を伸ばした。下肢の中心を撫でる事によって、ヴィクトルのそこが固くなっているのだという事が分かった。
「これで信じた?」
 漸く彼が欲情しているのだという事を信じる事ができた。
「こここんなにしてんだから、我慢なんかしねえで挿れろ」
 ヴィクトルの劣情を煽ろうと、ユーリは掴んだままになっていた肉塊を手で擦った。ぴくりとヴィクトルの眉が動くと共に、既に固くなっているそこが更に固くなった。
「駄目だよ」
「もう我慢できねえ!」
 こんなに煽っているというのに、まだヴィクトルが前戯を続けるつもりである事が分かり思わず大きな声を出してしまった。自分でも驚いてしまうような声を出し、ユーリは我に返った。直ぐにヴィクトルの反応を確かめたのだが、彼はその事を気にしていない様子であった。
「そんなに挿れて欲しいんなら、挿れてあげるよ」
 漸くヴィクトルが肉塊を体内に潜り込ませ中を穿ってくれるのだという事が分かり安堵していると、ヴィクトルはユーリから離れた。その時、彼の肉塊から手を離す事になった。
 寝台から離れたヴィクトルは、寝台の側にある様々な色の収納ボックスへと向かった。その前まで行き何かをそこから手に取ると、ヴィクトルは直ぐに寝台へと戻って来た。
「何だそれ?」
 ヴィクトルの手には平らであると共に四角い物があった。それを収納ボックスから取って来たのだという事は分かったのだが、派手な色をしたそれが何であるのかという事が分からなかった。
「避妊具だよ」
 言いながら避妊具を寝台に置いたヴィクトルは、まだ体に身に付けている服を脱いでいった。
「そんな物別に良いから」
「駄目だよ。ユーリはまだ子供だから子供を産むには早すぎるよ。あと五年は待たないと」
「俺との子供欲しいのか?」
 子供が欲しく無いので避妊しようとしていたのだと思っていたのだが、ヴィクトルの発言はそうでは無いという事が僅かに見て取れるものであった。
「欲しいけど今はまだ駄目だよ」
 服を脱ぎ終えたヴィクトルは、避妊具を再び手に持つとそれを口で開けた。避妊具を目にするのはこれが初めてであるので、ユーリはまじまじとそれを見てしまう。中から取り出した風船を思わせる物をヴィクトルは、手早く肉塊に被せた。
「じゃあ、あと五年したらお前の子供産んでやるよ」
「楽しみだね。三人ぐらい欲しいな」
「そんなに欲しいのかよ」
 ロシアでは二人目を産んだ母親には、母親資本というロシアの平均月収相当の手当が支給されている。その為二人子供を持つ家庭がロシアでは増えていた。しかし、三人子供を持つ家庭は希であった。三人もヴィクトルが子供が欲しいのだという事を知り、ユーリは面食らった。
「ユーリとの子供だったらきっと可愛いだろうからね。本当はもっと欲しいんだけど、三人以上だとユーリが大変そうだからね」
 楽しそうに言いながらヴィクトルは足の間へと入って来た。彼が足の間へと入って来た事により足を大きく開く格好へとなった。
「ガキはいっぱいいた方が賑やかで良い」
「ユーリがそう言うなら、五人ぐらい作ろうかな」
 ヴィクトルは肉塊を掴むとその先端を蕾へと宛がった。今からそれが体内へと潜り込み媚肉を擦るのだと思うと体が疼いた。
「ひくひくしてる」
 蕾に力を入れては抜く事を繰り返すと、ヴィクトルが小さく笑った。蕾を収縮させている事を指摘され、ユーリは決まりが悪くなった。
「はやくしろ……」
「じゃあ挿れるよ」
 肉塊を掴んでいる手とは反対側の手で、ヴィクトルはユーリの腰を掴んだ。
「あっ……!」
 体内に肉塊が潜り込んで来る事により、肌が粟立ってしまう程の快感へと襲われた。怒濤の快感に頭の中が塗り潰されていく。目を見開きながら悲鳴に近い声を出していると、双丘へとヴィクトルの体が重なった。彼の物が根本まで埋まったのだという事が、その事から分かった。
 浅い呼吸を繰り返しながらこれから体を襲う事になる更なる快感を期待していると、ヴィクトルが両手を首の横へと置いた。
「んっ……あっ……あっ! やっ……むり……ああっ!」
 腰をヴィクトルが動かし始めた事により、体内に埋まっている肉塊も動き出した。快感が猛烈な勢いで体に押し寄せて来た事によって、ユーリは拳を握りしめた。強く拳を握りしめる事によって快感に耐えようとしたのだが、どんなに拳を握りしめても快感を誤魔化す事はできなかった。
「あっ……やぁっ……んぅ……」
 過剰な快感によって瞳に浮かんでいた涙が、瞬きをする事によって頬に流れ落ちる。今は涙を流している事を気にする事ができる余裕が無かった。ぽろぽろと涙を溢れさせていると、腰を動かすのを止めたヴィクトルに涙を舌で掬われる事になった。
「んぅ……」
 頬を舐められ甘い痺れをそこに感じ、ユーリは小さく身震いした。
「ユーリは泣き顔も綺麗だよね。だからあんまり人前で泣かない方が良いよ。その泣き顔は発情期じゃなくても相手を変な気持ちにさせるから」
 ヴィクトルの発言に目を丸くしていると、動かすのを止めていた腰を彼が動かし始めた。
「あっ……んぅ……ああっ……」
 媚肉を固い物で擦られると、頭の動きが鈍くなりこれ以上何も考える事ができなくなってしまった。体を襲う快感にただ翻弄される事しかできずにいると、快感の波に襲われる事になった。
「あっ……あっ……」
「イく? 俺の締め付けてる」
 返事をする余裕など無く何も言えずにいる間も、ヴィクトルは腰を動かしたままになっていた。猛烈な勢いで快感が襲って来た事により、ユーリは浮遊感に襲われる事になった。
「んっ……!」
 絶頂に上り詰め目を大きく見開きながら、肉塊を締め付けては緩めるという事を繰り返す。その間動きが鈍くなっていた肉塊が再び激しく動き出した事によって、再び快感の坩堝へと落とされる事になった。
「やっ……あっ……やだ……あっ……」
 嫌がっているが本当に止めて欲しい訳では無い。まだ体が疼いており媚肉を肉塊で抉られたかった。体を快感が次々に襲い、ユーリは何度も絶頂へと上り詰める事になった。
「あっ……んぅ……はっ……。もう……むり……あっ……」
 まだ体内が疼いていたが何度も絶頂に上り詰めた事により体力を消耗し、これ以上続けられると意識を失ってしまいそうであった。懇願したのだがヴィクトルは腰を動かすのを止める事は無かった。その為、ユーリは何度も更に絶頂へと上り詰める事になった。
「あっ……やっ……あっ……」
「……出すよ」
 意識を失ってしまいそうになっていると、低く掠れたヴィクトルの声が聞こえて来た。その事から、ユーリは彼が吐精しようとしているのだという事を知った。漸くこの苦痛すら感じる程の快感から解放されるのだ。そう思い安堵すらしていると、先程よりも激しくヴィクトルが腰を動かし始めた。
「やっ……あっ……あっ!」
 狂おしいほどの快感に翻弄されていると、ヴィクトルが腰を動かすのを止めた。腰を動かすのをヴィクトルが止めた事により、吐精したのだという事が分かった。体に入っていた力を抜き肩で息をしていると、どっと疲労感が押し寄せて来た。瞼が瞳に重くのし掛かっており、瞼を開いたままでいる事ができない。
 瞼を閉じれば眠ってしまう事が分かっていたので、ユーリは瞼を開こうとした。しかし、瞼を開いている事ができず閉じてしまった。まるで水の中に沈んでいくかのような気持ちになりながら、そのまま眠りに落ちた。

五章 スィーニィー

 瞼の裏側に眩しい光が差し込んでいる。瞼を閉じたままでいる事ができなくなり、ユーリは瞼を開いた。まだ頭が回らず天井からぶら下がっている電球を漠然と見詰めていると、扉が開く音が聞こえて来た。扉の方へと視線を遣りながら体を起こそうとしたのだが、腕に全く力が入らず体を起こすことができなかった。
「起きたみたいだね」
 扉を開けたのは優しい色合いのサマーニットにデニムパンツという格好をしたヴィクトルであった。ヴィクトルは寝台にいるユーリの元までやって来ると、寝台へと腰を下ろした。
「起き上がれそうかい?」
 優しく声を掛けられたので再び体を起こそうとしたのだが、腕に力が入らないだけで無く体に力を入れそうとすると蕾が痛み体を起こすことができなかった。
「無理」
「一週間閉じこもってずっとしてたからね」
「発情期終わったのか」
 体を重ねて体力が限界になり意識を失い目を覚ますと、ヴィクトルが用意した食事を取り再び体を重ねる。そして再び体を重ねるという生活を暫く続ける事によって、発情期が終わったらしい。発情期の間は何をしていても体が疼き体内を抉って欲しかったというのに、今は元通りの状態へとなっていた。
「お腹空いてない?」
「空いた」
 発情期の間は食欲よりも肉欲が強く全く空腹にならなかったのだが、今は目がくらくらするほど空腹を感じていた。ここまで空腹になっているのは、食事を取っていたが満足に食べていなかったからなのだろう。
「カフェで食べる物買って来たんだけど食べる?」
 部屋へと現れたヴィクトルは茶色の紙バックを持っていた。彼が持っている紙バックは、先日ヴィクトルが女性と一緒にいる姿を見かけた珈琲のチェーン店の物であった。ユーリが寝ている間に彼はその店で食べる物を買って来たようだ。入りたいが一人では入る事ができないその店で買って来た物を見て、ユーリは歓喜した。
「食べる」
 寝台に寝転がったままでは食べる事ができないので、体を起こし先程まで頭を預けていた枕に背中を預ける。
「珈琲とキャラメルマキアートがあるけどどっちが良い?」
「キャラメルマキアート」
 珈琲は苦いだけで全く美味しさが分からなかったので、ユーリは迷わず甘いキャラメルマキアートを選んだ。
「そう」
 紙バックから白い紙コップを取り出したヴィクトルにそれを差し出される。ユーリが紙コップを受け取ると、更に彼は紙バックからバケットサンドとスコーンを取り出した。
「はい」
 ヴィクトルが差し出して来たバケットサンドとスコーンを受け取る。
 バケットからはチーズと野菜とローストハムがはみ出ていた。バケットサンドも美味しそうであったが、赤い果実が入っているスコーンも美味しそうであった。赤い果実が何であるのかという事が気になったが、先にバケットサンドを食べる事にした。
 キャラメルマキアートを一口飲んでから、ユーリは透明な袋から取り出したバケットに齧り付く。思っていた通りバケットサンドは美味しかった。元々食べるのは早い方であるのだが、空腹であったのでいつもよりも早くそれを食べていった。
「ほっぺたに屑が付いてるよ」
 バケットを食べ終えると、ヴィクトルが頬へと指を伸ばして来た。食べ滓を指で取ったヴィクトルがそれを自分の口に運び口へと含んだ。ユーリはヴィクトルの行動に驚き目を丸くしていたのだが、彼は平然とした態度であった。
 ヴィクトルが何も気にしていないというのに自分だけ気にしているのはおかしいのかもしれない。彼の行動は取り立てて言う程のものでは無いのかもしれない。そう思いその事についてユーリは触れない事にした。
「お前は食べないのか?」
 ヴィクトルは飲み物を飲むだけで先程から何も食べていなかった。
「俺はもう食べたから良いよ」
「店で食べて来たのか?」
 言いながらユーリはスコーンに噛みつく。先程から気になっていた赤い果実が何であるのかという事が分かった。グランベリーであった。酸味がすると共に甘い味がするそれが入ったスコーンは美味しく、それもバケットサンドと同じようにがつがつ食べてしまった。
「空腹が限界だったから食べて来ちゃった」
 ユーリが発情期の間、フェロモンに常に誘われている状態であったヴィクトルも満足に食事を取っていなかったのだろう。
「何食べたんだ?」
 スコーンを半分ほど食べると喉が渇いたので、キャラメルマキアートを飲む。
「キッシュとサラダラップとサンドイッチ」
「食べ過ぎだろ」
 ヴィクトルが大食漢である事は知っていたが、それでもユーリは顔を顰めずにはいられなかった。ヴィクトルが告げた内容は、食の細いユーリには二日分の食料であった。
「そのぐらい食べないと満足できないんだから仕方無いじゃないか」
「今は動いてるから良いかもしれねえけど、選手止めたら絶対太るぞ」
 再びユーリはスコーンを食べ始める。
「えーそれは困るな」
 困るなと言いながらも、ヴィクトルは本気で困っている様子では無かった。自分は太らないと彼は思っているのかもしれない。
「酒も飲むんだし」
 ヴィクトルは大食漢であるだけで無く大酒飲みであった。しかも酒癖が悪い。全くそんな風に見えなかったので、初めて彼が泥酔した場面に居合わせた時は驚きから言葉を失ってしまった。その時は時偶にしかない場面に居合わせてしまったのだと思っていたのだが、そうでは無く泥酔すると常にそうなるのだという事をその後知る事になった。
 スコーンを食べ終えたので一緒に渡されたナプキンで手を拭くと、ユーリはキャラメルマキアートを飲んでいく。ヴィクトルが買って来たのは大きなサイズであったので、飲みきる事はできそうに無かった。
「もう良いの? まだ食べるならサンドイッチとさっき食べたやつと違うバケットサンドもあるよ」
 キャラメルマキアートを飲むのを止めると、ヴィクトルが言いながら紙バックに手を入れた。彼が食べて来たと言っていたので、中にはもう何も入っていないのだと思っていた。しかし、まだ入っているらしい。
「買い過ぎだろ。もう食べれねえよ」
 食べられなかった物はどうするのだろうか。サンドイッチとバケットという事は日持ちがしない。捨ててしまうのは勿体無い。しかし、もうこれ以上食べられそうに無い。ヴィクトルは先に食べたと言っていたが、健啖家の彼の事なので後で食べるのかもしれない。ヴィクトルが食べるだろうから気にしない事にした。
「ユーリは食が細すぎるよ」
「食べれねえんだからしょうがねえだろ」
 厭味では無いのかもしれないが厭味であるようにしか彼の言葉を感じる事ができず、ユーリは不満から頬を膨らませた。
「大きくなれないよ」
「食べねえでもでかくなる」
 食べなくては成長しないという事はヴィクトル以外にも言われている。食べた方が良いという事は分かっているのだが、食べる事ができないのだからどうする事もできない。
「そうかな?」
 彼が疑っているのはユーリがオメガであるからなのかもしれない。オメガは小柄な者が多いので、彼がそう思うのは仕方が無い事なのかもしれない。しかし、絶対に伸びないと決まった訳では無いので、ユーリは伸びると信じていた。
「抑制剤飲まねえと」
 今が何時であるのかという事は分からないが、起きて食事をしたので抑制剤を飲む事にした。ここに来る迄着ていた服に入れてある筈であるので、ここに来るまで着ていた服を探す。
「もう飲まなくて良いよ」
 服を見付ける前にヴィクトルの発言に驚き、ユーリは服を探すのを止めた。
「はあ? また発情期が来たらどうすんだ。もうあんなめに遭うのはご免だ」
 抑制剤を飲まなければどうなってしまうのかという事をよくヴィクトルは知っている筈である。そんな彼が何故そんな事を言ったのかという事が分からず、ユーリは怪訝な顔にならずにいられなかった。
「もうあんなめに遭わないから大丈夫だよ」
「発情期が来たら家に閉じこもってろとでも言うのかよ?」
 発情期になっても誰にも襲われずに済む方法はそれしか無い。そんな事などできる筈が無い。一週間も練習を休む事になってしまう。それに、家から出なければ誰にも襲われずに済むが発情期の体の変化は避ける事ができない。それは、発情期の間は淫靡な熱に苦しまなくてはいけないという事である。
「もう発情期は来ないから大丈夫だよ」
「番がいねえから来るだろ。お前が俺の番になってくれるとでもいうのかよ」
「そうだよ」
 そんな筈が無いと思いながらユーリは言っていたので、ヴィクトルの発言に驚いた。
「え……本気かよ?」
「本気だよ」
 先程までヴィクトルが冗談で言ったのだと思っていた。それは、そんな事を彼が本気で言う筈が無いと思っていたからである。しかし、ヴィクトルの様子は、戯れ言を言っているものでは無かった。真摯な態度で彼があった事から、本気で言っているのだという事が分かった。
「前に番にしろって言った時は拒否した癖に、今更何で手の平返すんだ」
 本気であるという事が分かっても歓喜できなかったのは、以前番にしろと言った時にそれを拒まれているからである。拒んでおきながら、何故そんな事を言い出したのかという事が分からない。返事をする前にヴィクトルが片手を差し出して来た。彼が紙カップを受け取ろうとしているのだという事を察し、ユーリは紙コップを差し出した。
 受け取った紙コップと紙バックを持って寝台を離れたヴィクトルは、それらを収納ボックスの上に置くと寝台に戻って来た。寝台に再び腰を下ろしたヴィクトルの視線がユーリに向かう。
「番を解除する事はできるけど、解除したらオメガはきわめて強い精神的な負担が襲う事になる。だから、番は慎重に選ぶべきだと思ったから、前にユーリが番にしろって言った時は駄目だって言ったんだ」
 ヴィクトルが番に自分をしなかったのは、番にしたくないからなのだと今まで思っていた。しかし、そうでは無かったのだという事をユーリは知った。
「あの時は駄目だって言ったのに、なんで今は良いんだ?」
 あの時はそんな風に思ったというのに、今は何故構わないのかという事が不思議であった。
「あの時は番にしたい相手がきっとユーリには現れる。だから、俺を選ぶにはまだ早いって思ったから駄目だって言ったんだよ。でも今なら番にしても大丈夫だって思ったんだ。だって、ユーリは俺の事好きだからね」
 ヴィクトルに確かに愛念を持っていたが、それでもそう言われると恥ずかしくなってしまう。恥ずかしさから顔を赤らめると、ユーリはこれ以上ヴィクトルの方を真っ直ぐ見ている事ができずに視線を離した。
 番にしろと言った時は、彼に対する気持ちに全く気が付いていなかった。そう言ったのはただ抑制剤を飲みたく無かったからだ。その為その発言にその時は何も感じ無かったのだが、今から考えるとまるで恋人にしろと懇願しているように思えて、そんな事を言ってしまった事をユーリは恥ずかしく思った。
 視線を離した事によりいたたまれない気持ちが少し薄れたので視線を戻す。
「そうだけど……てめぇはそれで良いのか?」
 番になるという事は恋人同士。否、結婚するのと殆ど変わらない。そんな番に自分をして良いのだろうかという事をユーリは思っていた。
「ユーリはもう俺と番になるのは嫌?」
「俺はお前の番になれるもんならなりてえけど……。てめぇはどうなんだ。俺なんかを番にして良いのか?」
 ヴィクトルにユーリは傾慕しているが、ヴィクトルはユーリの事をただの弟弟子としか思っていない。ヴィクトルがそんな相手をどうして番にしようとしているのかという事が分からなかった。

「ユーリの事好きだから良いよ」

 ユーリは驚きから目を丸くした。
 同じ気持ちを彼も持っていたらしい。そんな様子は全く無かった。好きだというのは自分の気持ちとは違う種類のものなのかもしれない。そうに決まっている。同じ気持ちであると思ってしまった自分が恥ずかしい。勘違いしてしまった事を恥ずかしく思い、ユーリは顔を赤らめた。
「ユーリ何か勘違いしてない? 俺今ユーリに告白したんだよ。そんな顔しないで嬉しそうな顔してよ」
「え……?」
 再びユーリは驚きから目を見開く事になった。
「お前が俺の事好き?」
 今彼から先程の言葉は告白であったのだという事を告げられたのだが、まだユーリは彼の言葉を信じる事ができないでいた。こんな時にこんな嘘を彼が吐く筈が無いという事は分かっている。それでもヴィクトルの言葉を疑ってしまった。
「そうだよ」
 まるで映画の一つの場面を切り取ったかのように美しい笑みを浮かべたヴィクトルの手が背中へと回る。ぐいっと背中を押された事により、ヴィクトルに体を密着させる事になった。
 体を密着させる事によりヴィクトルの顔が近づいた。ヴィクトルは端正な顔立ちをしているが、決して彼の顔に惹かれて彼の事を好きになった訳では無い。それでもヴィクトルの顔にユーリは見惚れてしまった。一頻りヴィクトルの顔を見詰めた後、今はそんな事をしている場合では無い事に気が付いた。
「でも……俺はヴィクトルに好きになって貰える所なんか何一つねえ」
 ヴィクトルが困ったような顔へとなった。
「ユーリは可愛い顔してるのに自己評価低いよね」
「だって、俺顔とスケートぐらいしか褒められるようなな所ねえから」
 容姿を褒められるのをユーリが嫌っているのは、中性的な自身の容姿が嫌いであったからだけでは無かった。容姿を褒められる度に、自分には褒める部分がそれしか無いのだという事を感じてしまうからという理由もあった。
 ヴィクトルが困ったような顔をしたのを見て、困らせるような事を言ってしまったのだという事を察した。しかし、先程の言葉を取り消す事はできなかった。
「どうせお前も俺の顔が好きだとか言うんだろ!」
 ユーリが先程の言葉を取り消す事ができなかったのは、ヴィクトルが自分を好きになる理由がそれしか浮かばなかったからである。
「確かにユーリの顔は好きだよ。表情がころころ変わって面白いからね」
「面白い……?」
 確かに喜怒哀楽が激しいと時折言われていたが、面白いと言われたのは初めてであった。
「見てて飽きないなって思うよ」
「それが俺の事好きな理由かよ?」
 それだけが理由では納得する事ができなかった。
「それだけじゃ無いよ。もっと沢山理由はあるよ。でも、好きになった一番の理由は惹かれたからかな」
「なんだよそれ……」
 ヴィクトルの返事をユーリは不満に思った。
「ユーリはそれじゃ嫌なの?」
「なんかそれだと本当に俺の事好きなのか不安になる」
 くすりとヴィクトルが笑った。
「でも俺の事だって好きな理由ユーリも分からないじゃない」
 ヴィクトルの言う通りであるので、彼が自分の事を好きになった理由を求めてはいけないのだろう。
「ユーリは容姿とスケート以外にも良いところいっぱいあるから、不安になる必要なんか無いよ。そうは言っても、まだユーリは納得しないだろうけどね」
 良い所が沢山あると言われたが、そんな風に思う事はできなかった。良い所というのがどういう所なのかという事を説明して欲しくなっていたのだが、説明を求めない方が良いだろうと判断したので説明を求める事はしなかった。
 背中に回したままになっていた手をヴィクトルが離したので、彼から軽く体を離す。体を離してもヴィクトルが目を見たままになっていたので、ユーリは彼から視線を離す事はしなかった。
「俺の気持ちを信じて貰えたみたいだし、俺と番になるので良い?」
「ああ」
 満足そうな顔へとなったヴィクトルの手が首へと伸びて来る。
「首を噛むのは初めてだよ」
 今からヴィクトルがうなじを噛むつもりであるのだという事が分かった。
 更衣室で男にそこを噛まれそうになった時は恐怖を感じたとうのに、今は全く恐怖は感じていなかった。感じているのは、今からヴィクトルと番になるのだという期待だけであった。そんなものを感じている事を知られたく無くて、ユーリは顔を顰めながら減らず口を叩いてしまう。
「番まで取っ替えひっかえしてたらさすがにひく」
 ヴィクトルが不思議そうな顔へとなった。何故そんな事を言ったのだろうと彼が思っているのだという事を察する事ができた。何故そんな風に思ったのかという事を説明しようとしたのだが、その前にヴィクトルが何かに気が付いたような顔へとなった。
「そうだった。ユーリは彼女の事を恋人か何かと勘違いしてたんだったね」
 何故ユーリがそんな事を言ったのかという事をヴィクトルは察したようである。
「恋人かセフレか何かじゃねえのか?」
「彼女はただの友達だよ」
 ヴィクトルの言葉をユーリは素直に信じる事はできなかった。
「アルファにオメガの友達ね……」
「俺の言葉信じて無い?」
「お前が節操なしなの知ってるのに、そう簡単に信じられるかよ。それに、普通アルファ様がオメガなんかと友達にならねえだろ」
 アルファの中でオメガと懇意な間柄の者を見た事が無い。その為ユーリはそんな風に思っていた。うなじからヴィクトルが手を離す。
「ユーリはオメガの事をアルファより劣った人間だと思ってるみたいだね」
 ヴィクトルの言い方は、彼はそんな風に思っていないというものであった。アルファである彼がそんな風に思っているのは、彼がアルファであるからなんだろう。オメガであればそんな風に思う筈が無い。
「実際にそうだろ。アルファはベータやオメガより優秀な人間が多いし、オメガは他の人間より劣った人間が多い」
「俺はそうは思わないよ。目立つ人間に人は目がいきやすい。偶然アルファにそういう人間が多かったから、アルファは優秀な人間が多いと思われてるんじゃないかな」
 一瞬ヴィクトルの言葉を納得しかけたのだが、疑問が浮かんだ事により納得する事ができなくなってしまった。
「だったらなんでスケーターはアルファが多いんだよ。名の知れてるスケーターなんか殆どアルファじゃねえかよ。オメガなんて全然いねえじゃねえか」
「オメガは絶対数が少ないからそうなるのは当たり前じゃないかな。俺もこの間一緒にいた彼女とユーリぐらいしかオメガに会った事は無いからね」
 そう言われるとそうである気がして来た。アルファに優秀な人間が多いという意見を覆すつもりは無いが、オメガがアルファよりも劣っているという事は無いという意見をユーリは認める事ができた。
「ただ発情期があって男でも妊娠できるだけで、オメガも普通の人間だよ」
「……そうだな」
 ヴィクトルの言う通りであるのかもしれない。オメガである自分を卑下するような真似をするのをユーリは止める事にした。それだけで無く、同じオメガをアルファよりも劣った人間であると思うのも止める事にした。
 直接話した事が無い相手であるのだが、罵倒してしまったヴィクトルの友人のオメガの女性にユーリは心の中で謝罪した。
「これで俺が彼女と友達だっていうの信じた?」
 話しをしている間に彼女との関係を疑っていた事を忘れてしまっていた。思い出した事により、ユーリは首を縦に振った。先程までは訝しんでいたのだが、今はヴィクトルの友人であるという事を納得していた。
「じゃあ、今度こそうなじ噛むよ。痛いかもしれないけど我慢してね」
「ああ」
 軽く噛んだだけでは番にする事ができないという事を聞いた事がある。どの程度痛みを感じる事になるのだろうか。痛みを想像した事によって、ユーリは体を萎縮させた。
 首へと唇を寄せたヴィクトルがうなじを噛む。
「んっ……」
 思わず声が出てしまう程の痛みが体に走った。目を見開いていると、ヴィクトルがうなじを噛むのを止めた。ヴィクトルがうなじを噛むのを止めてもまだそこが痛んだままであったので、ユーリは眉間に皺を寄せながらうなじへと手を伸ばした。
「痛かった?」
 噛まれた部分を手で押さえていると、ヴィクトルの大きな手がユーリのうなじに伸びて来た。彼が噛んだ場所を触ろうとしているのだという事が分かりうなじから手を離すと、彼の手がそこへと触れた。ヴィクトルの手は体温の高いユーリには、冷たさを感じるものであった。
「痛えに決まってんだろ」
 言いながらヴィクトルがうなじを触ったのは、体温が低い事を自覚していたからなのかもしれないと思った。冷たい手でうなじを触られると少し痛みがましになった。
「まだ痛い?」
「痛い」
 いつまでも痛みが続く事は無い。もう少し経てば痛みはひく筈であるので、それまで痛みに耐える事にした。
「じゃあ痛くなくなるまでキスしてよっか」
「えっ……」
 ヴィクトルの発言に驚いていると、うなじから手を離した彼に唇を塞がれる事になった。
 発情期の間数え切れないほどヴィクトルと唇を重ねているというのに、まるで初めて唇を重ねたかのように鼓動が高鳴り全身が熱くなった。正常な判断ができなくなっている発情期にしか口付けをした事が無く、正常な状態の時に口付けをしたのは初めてであるからなのだろう。
「んっ……あっ……やっ……」
 含羞に耐えられ無くなり、ユーリは唇を離そうと顔を横に向けた。しかし、直ぐに唇を塞がれる事になった。何度か唇を離そうとしたのだが、その度に唇を再び塞がれる事になり唇を離す事ができないのだという事が分かり離す事を諦めた。
「はっ……ん……」
 深く唇が重なったと思うと口腔へと舌が潜り込んで来た。直ぐにそんな舌はユーリの舌へと絡みついて来た。舌を絡みつけられた事に驚き目を丸くしている間も何度も舌を絡みつけられた。最初は驚いているだけであったのだが、何度も舌を絡みつけられる事によって舌に甘い痺れがして来た。
「んぅ……あっ……」
 口から勝手に甘い声が溢れてしまう。そんな声を出してしまった事を恥ずかしく思い、ユーリは声を押し殺そうとした。しかし、舌を絡みつけるのをヴィクトルが止めようとしなかった為声を殺す事ができなかった。
「やっ……んぅ……」
 舌を絡みつけるのを止めて欲しくて顔を左右に振ったのだが、ヴィクトルは舌を絡みつけるのを止めようとしなかった。どんなに嫌がっても止めようとしない事が分かり、ユーリは顔を左右に動かすのを止めた。
 舌を絡みつけていたヴィクトルに口蓋を舐められる事になった。
「はっ……あっ……」
 目を見開いていると舌の裏側を舐められ、ユーリは体を捩った。そうされる事によって、大人しくしている事ができない程の快感へと襲われる事になった。快感に頭の中を塗り潰され何故口付けをしているのかという事を忘れていると、ヴィクトルが唇を離した。
 口付けの最中上手く息継ぎをする事ができなかったので、ユーリは息苦しさから肩で息継ぎをした。
「ユーリ、えっちな顔してる」
 息継ぎをする事によって苦しさが薄れていたユーリは、自分が品位の無い顔をしている事を知り慌てた。開いたままになっていた口を閉じれば普段通りの顔になる筈であると思ったのだが、口を閉じてもヴィクトルは目を眇めてユーリを見詰めたままであった。
「見んな」
 時間が経たなければ元通りになる事はできないのかもしれない。元通りになる迄視線を離していて欲しくて懇願したというのに、ヴィクトルは視線を離そうとしなかった。見られる事によって一層恥ずかしくなってしまった。
「痛くなくなった?」
「あ……忘れてた」
 言われるまでうなじを噛まれた事を忘れていた。その事を思い出し、ユーリは噛まれた場所へと手を伸ばした。先程は考えている余裕が無かったので気にする事ができなかったが、あれだけ強く噛まれれば歯形がそこにできているだろう。首がどうなっているのかという事が気になり、ユーリは鏡を探した。
「もう痛く無いみたいだね」
 鏡を見付ける前にヴィクトルから声を掛けられた。口付けをする前はあんなにもそこが痛かったというのに、今は全くそこに痛みはしていなかった。口付けをしている間に痛みがひいたようである。
「ああ。これ本当にお前と番になったのか?」
 鏡を探すのを止めたユーリは首を傾げた。番になると大きく身体に異変が起こりそうなものであるというのに、全く体に変化は無かった。
「番になった感じしない?」
「しねー。お前はするか?」
「んーしないね」
 ヴィクトルにも変化が無いという事が分かった事により、ユーリは本当に番になれたのかという事を疑わしく思った。
「本当に番になれたのかよ?」
「発情期が来なかったらなれたって事なんじゃないのかな」
「じゃあ、もしも番になれて無かったらまた発情期になっちまうって事じゃねえか」
 発情期をまた経験しなくてはいけない可能性がある事が分かり、ユーリは顔を顰めた。
「まあ、その時はまた相手をしてあげるよ。終わったらもう一度噛んであげるから。何度でも噛んであげるよ。ユーリが俺の番になるまで」
 もう離さないと言っているようである。情熱的に求められているように思え頬が熱くなった。
 ヴィクトルが自分など求める筈が無い。そんな風に一瞬は思ったユーリであったが、彼から求愛されていたのだという事を思い出した。恋慕の情を抱いてくれているという事は、自分が思っている通りなのかもしれない。その事に気が付く事によって、先程とは違う理由でユーリの頬は熱くなった。
「俺の事不安にすんなよ」
「しないよ」
 ヴィクトルの言葉に満足していると、目尻を下げている彼の顔が近づいて来た。再び唇をヴィクトルが重ねようとしている事に気が付き、ユーリは瞼を閉じた。
「ん……」
 重なった唇は直ぐに離れてしまった。先程は再び唇を重ねて来たのでまた唇を重ねるのだと思っていたのだが、ヴィクトルは唇を重ねて来る事は無かった。ヴィクトルがもう唇を重ねて来る事が無いのだという事が分かり、ユーリは閉じたままにしていた瞼を開いた。
「物欲しそうな顔してる」
「そんな顔する筈がねえだろ! 発情期は終わったんだから」
 彼の思っている通り、口付けをしただけであるというのに体がヴィクトルを求めていた。しかし、それを認める事はでいなかった。発情期では無いというのにそんな風になるのはおかしいと思っていたからだ。
「発情期以外はしちゃ駄目?」
「……発情期以外にすんのなんかおかしいだろ」
「ユーリは発情期以外しちゃ駄目だと思ってるの?」
 驚いた顔をしたヴィクトルの発言から、自分がおかしな事を言ったのだという事をユーリは察した。彼が思っている通り発情期以外に普通はしないのだと思っていた。しかし、そうでは無いのだという事が分かった。
「発情期じゃねえのになんでわざわざすんだ?」
「セックスは子供を作る為だけの行為じゃなくて、愛を確かめあう行為でもあるんだよ」
「そうなのか……」
 今まで恋愛経験が全く無かっただけで無く、そういう事に全く興味が無かったので知らなかった。行為にそんな意味があるのだという事を知りユーリは驚いた。
「そう。だから、発情期じゃなくてもするのは普通だよ。……ユーリと愛を確かめあいたいな」
 ヴィクトルの顔には甘い笑みが浮かんでいた。ヴィクトルの浮かべている笑みは、恋人に対して向けるものであった。そんな顔を向けられ恥ずかしくなった。
「仕方ねえな」
 渋々従う事にしたように言ったが、決してしたくない訳では無い。したいと素直に言う事ができずそんな言い方をしてしまっただけである。ヴィクトルはそれに気が付いている様子であった。口元を緩めているヴィクトルに覆い被さられる事によって、ユーリは寝台に背中を預ける格好へとなった。
「好きだよ、ユーリ」
 甘い言葉が胸に染みこんでいくのを感じていると、ヴィクトルの顔が近づいて来たのでユーリは瞼を閉じた。


 三ヶ月後。番になっていなければ発情期を迎える事になるので、ユーリは緊張しながら発情期に備えた。しかし、発情期がやって来る事は無かった。その事からヴィクトルと番になったのだという事が分かった。
fin.

一章 スィレーブリャンヌゥイ

 住宅街の中を艶やかな金色の長い髪を後ろで一つに纏めた、一見では男性であるのか女性であるのかという事を悩む外見をした人物の姿がある。片手に食材が覗いている茶色の紙袋を持ったその人物は、大柄な者が多いロシア人にしては小柄であった。そして、華奢だとしか思えない程痩身をしていた。
 性別を悩んでしまうのは、それだけが原因では無い。女性と見紛うばかりの容貌をしている事も原因の一つである。そんな彼。ユーリは周りを歩いている者の視線を集める程の美貌の持ち主であった。
 人より秀でている容貌の持ち主であるユーリは、アルファにしか見えなかったがオメガである。更にモデルなどをしていそうであるのだが、スケーターである。オメガである事を長年隠してスケーターを続けていたユーリであったが、今はオメガであるという事を公言している。
 オメガでありながらも美貌とスケーターの才能を持ったユーリは、社会的地位の低いオメガにとって憧れの存在へとなっていた。

 先程寄ったスーパーで買った物を入れた紙袋を持って恋人と暮らしている自宅を目指していると、声を掛けられる事になった。
「あら、練習の帰り」
 足を止めユーリは声を掛けて来た女性へと視線を遣る。声を掛けて来たのは、近所で暮らしている顔馴染みの初老にさしかかっている女性であった。
「ああ」
「そう頑張ってね。次の試合もテレビで応援するわね」
 彼女はユーリが最初はスケーターであるという事を知らなかった。最初はモデルをしていると彼女から思われていたのだが、テレビでユーリの姿を見てスケーターであるという事を知ったらしい。それからユーリが出ている試合は見てくれるようになったそうだ。
「ババアは風邪ひくなよ」
「そうね」
 朗らかな笑みを浮かべた女性と別れると、ユーリは近くにあるアパートメントへと入って行った。
 このアパートメントで暮らすようになってから既に五年が経過している。このアパートメントでユーリが一緒に暮らしている恋人は、十五歳から二十五歳の今までの十年間付き合って来た相手である。
 十年間全く彼と喧嘩が無かった訳では無い。彼が掴み所の無い性格と自由奔放な性格をしている事と、ユーリがまだ幼く感情的になりやすかった為付き合うようになったばかりの頃は喧嘩が絶えなかった。別れようと思った事は一度や二度の事では無い。しかし、今は喧嘩らしい喧嘩をする事が無くなっていた。
 エレベーターを使い最上階にある部屋へと向かう。ユーリが恋人と暮らしているのは、真新しいだけで無く豪壮なアパートメントの最上階であった。エレベータの中で携帯電話を弄りながら目的の階へと着くのを待っていると、エレベータが止まり扉が開いた。
 携帯電話を優しい色合いのチノパンのポケットに戻すと、エレベーターを降りる。今日のユーリはベージュのチノパンにクルーネックのチノパンよりも明るいベージュのニット。その上からグレーのPコートを羽織るという格好であった。そんなユーリが持っている鞄は、控えめな意匠の物である。
 昔は豹の意匠の物や黒い服という相手に威圧感を与える格好を好みそんな格好ばかりしていたのだが、今は落ち着いた格好をする事が多くなった。以前のような服装をする事が無くなったのは、年齢的にそんな格好が似合わなくなったからだけでは無い。その格好をしている時は気が付かなかったのだが、近寄りがたい格好をする事で自分を守っていたようである。今はそんな事をする必要は無くなったので、そんな格好をしなくなったという理由もある。
 このアパートメントには一つの階に一室しか部屋が無いので、エレベーターを降りて直ぐの場所に一つだけある扉まで行く。ポケットの中からキーケースを取り出したユーリは、鍵を使って錠前を解除すると部屋の中へと入る。キーケースは鞄と同じ高級ブランド店の物である。ブランド物に興味の無いユーリが持っているそれは、恋人から贈られた物である。
 廊下を歩いていると、廊下の突き当たりにある微かに開いている扉から猫が出て来た。廊下に出て来た猫は、ユーリが一人暮らしを始めた時に飼い始めた猫である。既に飼い始めてから十年以上が経過しており、飼い始めた当初は子猫であったのだが今は老猫へとなっていた。
「ただいま」
 足まで来ると猫は足へと纏わり付いて来た。腰を屈めると、帰宅するといつも出迎えてくれる猫の頭を撫でた。ユーリが撫でると猫は気持ちが良さそうな顔へとなった。目を細めながら暫く撫でた後、撫でるのを止めて立ち上がる。
 廊下を再び進みダイニングキッチンに続く扉まで行くと、猫と共にダイニングキッチンの中へと入る。ダイニングにはソファーがある。そんなソファーに足を乗せてタブレットを見ていた恋人は、ユーリが帰宅した事に気が付きタブレットから視線を離した。
「おかえり」
「ただいま」
「今日の夕食は何?」
 挨拶を済ませた後に恋人がまず訊いて来たのが夕食の献立であった事に、ユーリは嫌な顔をする事は無かった。それは先に彼が戻っていた時は、いつもそれを尋ねられるからである。
「朝の残りもんのボルシチとジャルコーイエとハンバーグ。バケット買って来たから、それとバケット。これだけあれば足りるだろ?」
 昔から大食漢であるヴィクトルは、四十歳を目前とした今も大食漢のままであった。そんな彼の為にいつも二人分では無い量の食事をユーリは用意していた。
 ユーリがアパートメントで一緒に暮らしているのは、十五歳の時から恋人であるヴィクトルである。付き合い始めたばかりの頃既に二十代後半であった彼は、今は三十七歳へとなっていた。十年前から大人の色気を漂わせていた彼は、そんな色気が成熟したものへとなっていた。そんな彼は、十年前よりも更に貫禄が増していた。しかし、時々子供の様な顔を見せる事があった。
「ハンバーグは普通のハンバーグ?」
 ヴィクトルの様子は四十を目前としている男のものでは無かった。食べ盛りの子供のようなものであった。食事の事になると、いつもヴィクトルはそんな顔へとなる。そんなヴィクトルの顔を見ると、ユーリは食べ盛りの子供を持った母親のような気持ちへとなっていた。
「中にチーズ入れようと思ってる」
「良いね」
 嬉しそうな顔へとヴィクトルがなった。ユーリがハンバーグの中にチーズを入れる事にしたのは、ヴィクトルが普通のハンバーグよりも中にチーズを入れたりソースを掛けたりした物の方が好きだからである。先日ハンバーグを作った時は、トマトの缶詰などで煮込んだ煮込みハンバーグにした。
 一緒にヴィクトルと暮らし始めたばかりの頃は全く料理ができなかったのだが、恋人に手料理を食べさせてあげたいという理由からユーリは料理をするようになった。一緒に暮らし始めたばかりの頃は、作れる料理の種類が少なかったのだが今は様々な物を作る事ができるようになっていた。
「直ぐに作るから、出来上がるまでそこで大人しく待ってろ」
「その前に」
 彼が意味深な笑みを浮かべた事から何を求めているのかという事をユーリは察した。キッチンにあるテーブルに食材の入った紙袋を置くと、ユーリはヴィクトルの元へと向かった。ユーリが来るのを口元を緩めて待っていたヴィクトルに腕を引っ張られたので腰を屈めると、ソファーに座ったままになっている彼と唇を重ねる事になった。
 何度か唇を重ねるとヴィクトルが腕から手を離したので、ユーリはキッチンへと戻った。帰宅するといつもヴィクトルから口付けを求められていたので、彼が何を求めているのだという事をユーリは察する事ができた。
 コートを脱ぎキッチンの椅子に掛けてあるエプロンを付けると、ユーリ食材を袋の中から取り出し 料理を作り始めた。
 チーズハンバーグはヴィクトルに好評であったので、ユーリは再びそれを作ろうと思った。

 湯船の中で雑誌を読んでいたユーリは、本から銀色のバスタブトレーに置いてある時計に視線を遣る。湯船に浸かってから二十分が経過しているのだという事が分かり、読んでいた雑誌を閉じ湯船から出る。
 昔は湯船に浸からなかったのだが、美容を気にするようになってからは湯船に浸かるようになった。湯船に浸かると疲れが取れるだけで無く、美容効果があるのだ。
 バスタオルが置いてある棚の前まで行くと、ユーリはバスタオルを手に取りそれで体を拭いていく。体を拭き終え使い終えたバスタオルを籠に入れると、棚に置いてあるボディミルクを体に塗っていく。
 薔薇の香りがするボディミルクを全身に丁寧に塗ると、下着を履き白いバスローブを羽織る。棚の上には鏡があるので、ユーリはそれを見ながら毎日風呂上がりに付けている美容液や化粧水を塗っていく。入浴後の基礎化粧が終わると、髪を洗った後に付けた吸水性のあるタオル生地のヘアーバンドを外す。
 ヘアオイルを付けた後ドライヤーで髪を乾かすと、浴室を出る。ユーリが向かっているのは、先に入浴を済ませたヴィクトルが待っている寝室である。自室は別に持っているのだが、寝室は一緒であるのでヴィクトルが自宅にいる時は彼と共に眠っている。
 寝室の扉を開けると、寝台で横になる格好でタブレットを見ていたヴィクトルの視線がユーリに向かった。
「何見てたんだ?」
「今度の振り付けのイメージを膨らませようと思って、色々見てたところだよ」
 既に選手を引退しているヴィクトルの今の主な仕事は振付師である。選手時代から自分で振り付けを考えていたヴィクトルは、選手の魅力を最大限に発揮できる振り付けを考える振付師として有名であった。
 一流の振付師であるヴィクトルに振り付けをして貰う為には高額な料金が必要となるのだが、それでも彼は振付師として引っ張りだこであった。
「へー俺もまたお前に振り付けして貰おうかな」
 昔一度だけユーリはヴィクトルに振り付けをして貰っていた。そのプログラムでシニアデビューをしたユーリは、グランプリファイナルで優勝していた。
「恋人価格で安くするよ」
 寝台まで行き寝台へと上がると、体を起こしタブレットを置いたヴィクトルの腕が腰へと回って来た。
「ただじゃねえのかよ」
「えーじゃあ、体で払って貰おうかな」
 勿論、恋人とはいえヴィクトルは一流の振付師である。そんな相手に無料で振り付けを考えて貰うつもりは無い。それはヴィクトルに伝わっているのだろう。ヴィクトルはくすくすと笑っていた。
 ヴィクトルに体を引き寄せられる事によって、彼に体を預ける格好へとなった。背中からユーリの体を抱き締めているヴィクトルに、うなじへと顔を埋められる事になった。
「良い香り」
「当たり前だろ。あの化粧品高かったからな」
 ユーリが愛用している基礎化粧品は全て高級化粧品ブランドの物である。美容に気を遣うようになったばかりの頃は安価な物を使っていたのだが、今は高価な物を使っていた。
 幼い頃貧乏であったユーリは、多額の賞金を獲得している今も高価な物を買う事に躊躇していた。それでも、高価な化粧品の方が効果がありそうであったので高価な化粧品を購入していた。
「ユーリは昔は全く気にしてなかったのに、今はスキンケアとか体型維持頑張ってるよね」
「モテる恋人持ってるんだから当然だろ」
 ヴィクトルがうなじから顔を離したので後ろを振り返ると、目を丸くしている彼の姿があった。ユーリの返事に彼が驚いているのだという事が分かった。ヴィクトルはユーリが美容を気にすると共に体型を維持しているのは、別の理由からなのだと思っていたようである。
「それって俺の為に頑張ってくれてるって事?」
「そう思いたかったらそう思えば良い」
 ヴィクトルの思っている通りであったのだが、それを認める事が恥ずかしくてできなかった。若い頃よりは素直になる事ができるようになっていたが、それでもまだユーリは素直だとは言い難い性格をしていた。
「じゃあ、そう思っておくね。妖精が俺の物だなんて俺は幸せ者だな」
 ジュニアからロシアの妖精と呼ばれるようになったユーリは、今もまだ妖精と呼ばれたままであった。しかし、昔のようにただの妖精では無くなっていた。今は妖精王などと呼ばれていた。
「そうだろ。お前は幸せ者なんだぞ」
 目尻を下げたヴィクトルを一頻り見詰めた後、ユーリはヴィクトルから体を離した。
「する前に話しがある」
「何?」
「今度の試合で引退する予定にしてる」
 ヴィクトルが驚きの表情を見せた。彼にこの事を全く相談していないので、ユーリが引退するつもりにしていた事に全く気が付いていなかったようだ。
「いきなり?」
「ヤコフとはちゃんと話し合ってる」
 今シーズンが始まる前にヤコフには、今シーズンで引退する事をユーリは告げていた。
「まだ引退するには早いんじゃないの?」
 まだ引退するのには早いのでは無いのかという事はヤコフからも言われていた。スケーターの命は短く、二十代前半で引退する者も多い。決して早くは無いのだがヤコフからユーリがそう言われていたのは、様々な大会で連覇を続けており好調であったからだ。
「好調だからこのまま来年も続けても入賞は間違い無いだろうな」
「だったら何で?」
「もう十分に送金してるから、家族にもう送金する必要が無くなったってのも大きな理由だけど」
 ユーリがスケートを始めた切っ掛けは、若い頃スケートをしていた祖父の勧めであった。その当時ユーリに唯一無償の愛を注いでくれたのはそんな祖父だけであった。祖父に褒められたい一心でスケートをしていたユーリには才能があり、ノービスに誘われる事になった。
 ノービスに入れば家族を養う事ができる程の支援を受ける事ができる事を知り、病を抱えながらも無理をして働いている祖父を楽にしたいという気持ちからユーリはノービスへとなった。その頃から家族を養っていたユーリは、今もまだ賞金の大半を家族に送金し続けていた。
 今後金に困る事が無い程家族にはもう送金してあるからという事だけが引退を決意した理由では無い。それとは別に大きな理由があった。
「そろそろお前も良い歳だろ?」
「そうだね」
 何故突然そんな事を言い出したのだろうかという顔へとヴィクトルはなっていた。わざわざヴィクトルの年齢について触れたのは、引退を決意した理由の原因がそれであるからだ。
「そろそろ子供が欲しいって思ってるだろ」
 子供が欲しいとヴィクトルは言った事は無い。しかし、一緒に出掛けている時子供を連れている者の姿を目を細めて見ている姿を何度か見た事があった。それを見て、ユーリがまだスケートを続けるつもりである事が分かっていたので子供が欲しいと言わないだけで、子供が欲しいとヴィクトルが思っているのだという事が分かった。
「欲しいとは思ってるけど、俺の為にスケート止める必要は無いよ。ユーリが満足するまで続けたら良い。子供はその時で良いよ」
 ユーリの気持ちが彼に全く伝わっていないのだという事が分かった。先程の言い方では彼がそんな風に思うのは当たり前なのかもしれない。ヴィクトルの勘違いをユーリは訂正する事にした。
「……言い方が悪かった。俺がお前の子供をそろそろ産みたい」
「えっ……」
 全く予期していなかった事を言われたという様子へとヴィクトルはなっていた。
「何でそんなに驚くんだよ?」
「そんな素振りが全く無かったから」
 彼を勘違いさせてしまったのは言い方が悪かっただけで無く、ユーリは子供を望んでいないと彼が思っていたからなのだという事が分かった。
「そうか? ちょっと前からガキが欲しいって思ってたんだぜ。昔約束しただろ。三人産んでやるって」
「そんな約束したっけ?」
 ヴィクトルは首を傾げた。
「直ぐお前は俺との約束忘れやがる」
 ヴィクトルに約束を忘れられたのはこれが初めてでは無い。忘れっぽい性格をした彼に何度もユーリは約束を忘れられていた。若い頃は直ぐに感情的になってしまっていたので、約束を忘れられる度に激怒していた。しかし、今はそんな事ぐらいで憤る事は無くなっていた。
 憤慨しなかった理由はそれだけでは無い。約束をしたのが十年ほど前であったので、覚えていないだろうと思っていたからという事もある。
「ごめん」
 ヴィクトルの謝罪は、悪戯をした小さな子供のようなものであった。謝罪してはいるが全く悪いとは彼が思っていない事が分かった。そんなヴィクトルに呆れながらユーリは溜息を吐いた。
「忘れた事はもう良い。もう避妊薬飲むの止めてるから……子作り開始しねえか?」
 子作りをしたいという事は、避妊をせずに抱いて欲しいという事である。それが分かっていたので恥ずかしくなってしまい、顔だけで無く手も熱くなった。
「そんな可愛い誘い方されると我慢できなくなっちゃうな」
「我慢なんかしなくて良い。……さっさとしろ」
 口元を引き上げたヴィクトルの顔が近づいて来る。口付けを彼がしようとしているのだという事を察し瞼を閉じると、直ぐにヴィクトルの唇がユーリのそれに重なった。

二章 クラースヌゥィ

「んっ……」
 重なった唇が離れて重なる事を繰り返した後、深く唇へと重なって来た。気持ちが高揚しているのを感じながら口付けを受け入れていると、背中へとヴィクトルの腕が回って来る事になった。
「はぅ……んぅ……」
 背中を撫でながら口腔へとヴィクトルが舌を潜り込ませて来た。舌にヴィクトルのそれが絡みついて来る。
 ヴィクトルはユーリよりも体温が低い。そんな彼の舌を冷たいという程では無いのだが、生暖かく感じる。最初はいつもそんな風に感じるのだが、行為が進むにつれて体温が上がり同じ程度の熱さになる。早くそんな風になって欲しいと思っていると、背中を撫でていた手が双丘を揉みしだき始めた。
「んぅ……」
 双丘の奥にある場所が疼き、ユーリは甘い声を漏らした。ヴィクトルと体を重ねるようになったばかりの頃は淫らな声を出してしまう事を恥ずかしく思っていたのだが、今はそんな声を聞き体が熱くなるようになっていた。
「んぅ……あっ……」
 更に体を熱くしようとヴィクトルの太股に手を置くと、そこを撫でる。その手を下肢の中心へと移動させ、ユーリと同じようにバスローブを着ているヴィクトルの下肢の中心を下着の上から撫でる。ヴィクトルのそこは既に固くなり始めていた。
 ヴィクトルが欲情しているのだという事が分かり満足しながら、ユーリはそこを更に固くしようと撫でていく。
「んぅ……あっ……」
 肉塊を触られながらヴィクトルは口腔で舌を動かしたままであった。舌を絡みつけられるだけで無く、口蓋を舐められ舌を吸われる事になった。口腔の奥がむずむずとしているのを感じていると、ヴィクトルが舌を絡みつけるのを止めた。今度はユーリがヴィクトルの舌に己のそれを絡みつける。
 ヴィクトルの快感を引き出すだけで無く、自分の快感も追いながら舌を絡みつけると興奮して来た。蕾の奥から蜜液が溢れているのを感じ体を捩りながら、舌を絡みつけているとヴィクトルの手が双丘から離れた。そんな手がバスローブの中へと入って来る。今度は下着の上から双丘を揉みしだかれる事になった。
「あっ……んぅ……」
 体内を肉塊で抉られた時に体を襲う快感を思い出し、体の奥が切なくなった。肉塊を体が求めていた。唇を重ねたままでいる事ができなくなり離すと、ヴィクトルの指が双丘の間へと入って来た。
「んっ……!」
 双丘の間を指で撫でられ、ユーリは顎を突き出した。
「はっ……あっ……」
 何度も双丘の間を撫でられ蕾から更に蜜液が溢れ、下着をそれが濡らしているのを感じる。ヴィクトルがその事に気が付いていない筈が無い。面映い気持ちへとなっていると、蕾の上で指が止まった。
「ここ濡れてるね。キスそんなに気持ち悦かった?」
「あっ……んぅ……」
 思っていた通りヴィクトルに下着を濡らしている事を気が付かれていた事を知り、ユーリは恥ずかしさから頬に朱を走らせた。それと同時に蕾を触られ一層そこが疼いた。
「んぅ……あっ……」
 下着と共に軽く体内に指を沈められる事になった。指を軽く沈めては止める事を繰り返され、そのまま根本まで指を沈められたくなった。
「もっと……」
「下着の上からじゃ無理だよ」
「じゃあ脱がせろ」
「仕方無いな」
 ヴィクトルから駄々を捏ねる子供の相手をしているように言われ恥ずかしくなった。淫らな事を懇願してしまった事を恥ずかしく思っていると、バスローブから手を引き抜いた彼にバスローブの紐を外される事になる。
 ヴィクトルには既に数え切れない程肢体を晒している。何度も見られているというのに見られるのが恥ずかしくなってしまった。そんな自分が更に恥ずかしくなり顔を赤らめていると、バスローブを脱がされる事になった。
 脱がしたそれを寝台の下へと落としたヴィクトルは、膝立ちの格好になると微笑を浮かべながらバスローブを脱いでいった。
 ヴィクトルのバスローブを脱ぐ姿は、まるでストリッパーのようなものであった。扇情的な光景に見とれていると、現役時代から殆ど変わっていない肢体が露わとなった。
 引退すると運動不足になり大食漢のヴィクトルは太ってしまうのでは無いのだろうか。そうユーリは心配していたのだが、今でも運動を欠かすこと無く行っているヴィクトルが太ってしまう事は無かった。
 彼が引退をしても体型維持をしているのだから、ヴィクトルの隣に並んでも見劣りしないように自分も引退しても体型を維持しなくてはいけない。
 引退しても体型を維持する事をユーリが決意していると、脱いだバスローブをヴィクトルが床に落とした。先程ヴィクトルが床に落としたバスローブの上に、そんなバスローブが重なる事になった。彼の着ていたそれと自分の着ていたそれが重なっている光景は、淫靡なものであった。
 目を眇めてそれを見詰めていると、ヴィクトルが覆い被さって来た事により背中から寝台に体を預ける事になった。視界をヴィクトルに塞がれる。ヴィクトルの顔を見詰めていると唇を塞がれる事になった。
「んっ……あっ……」
 唇から離れた唇がユーリの首へと移動した。肌を強く吸いながらヴィクトルは唇を更に下へと移動させていった。
「はっ……」
 鎖骨を吸った彼の唇が胸の突起の横へと移動した。その唇が胸の突起へと移動する事が分かっていたので、ユーリは息を飲んだ。思っていた通りヴィクトルの唇が胸の突起へと移動した事により、そこを唇で吸われる事になった。
「あっ……はっ……」
 ヴィクトルはそこを唇で吸うだけで無く、飴を舐めるように舌で舐めていった。何度も舌で舐めては吸う事を繰り返され、胸の突起に先程から感じていた快感が強いものへとなった。甘い目眩を感じながら目を瞬かせていると、強くそこを吸われる事になった。
「んぅ……!」
 胸の突起を強く吸われる事によって、目の奥に火花が散る程の快感へと襲われた。
 体を重ねるようになったばかりの頃からそこを嬲られると感じていたのだが、今はその頃よりも感じるようになっていた。体を重ねるようになったばかりの頃よりも感じるようになった場所はそこだけでは無い。体の至る所が感じるようになっていた。それは、ヴィクトルに体を開発されたからである。
「はっ……んぅ……あっ……」
 何度も胸の突起を吸われ、その度に目の奥に火花が散った。大人しくしている事ができなくなり、ユーリは体を捩った。もう止めて欲しくてそうしたのだが、ヴィクトルは胸の突起を吸うのを止めようとしなかった。
 快感にただ耐える事しかできないでいると、漸くヴィクトルがそこを吸うのを止めた。ユーリは胸を撫で下ろしながら、瞳に浮かんでいた涙を拭った。
「あっ……んぅ……」
 ヴィクトルに脇腹を舐められる事になり、ユーリは体を弓なりにした。ヴィクトルは肌を舐めるだけで無く吸いながら唇を下に移動させていった。
 花芯の上まで唇を移動させた彼に、口付けをしている最中から固くなっている花芯を掴まれる事になった。その先端に唇を落とされ息を飲んだ。ユーリはそのまま彼がそれを口に含むのだと思っていた。体を襲う事になる快感を期待していたというのに、ヴィクトルはそれ以上そこを愛撫しようとする事は無かった。
「はっ……んぅ……」
 敏感な太股の内側を舐めたヴィクトルの手が膝の下に入って来る。
「持ち上げるよ」
「んっ……!」
 ヴィクトルに膝を持ち上げられた事によって、体を折り曲げ双丘を突き出す格好へとなった。
「この格好恥ずい……」
 この格好をするのは初めてでは無い。何度もこの格好になった事があるのだが、ユーリは己の格好を恥ずかしく思っていた。顔を赤らめながら手を離して欲しいと目線で訴えたのだが、ヴィクトルは手を離そうとしなかった。
「あっ……!」
 口元を緩めてユーリを見詰めていたヴィクトルは、花芯に顔を近づけたと思うと花芯と蕾の間にある場所を舐めた。ヴィクトルが舐めているのは会陰部と呼ばれている部分である。そこには神経が集中しており触られたり舐められたりすると感じる。
「んぅ……」
 背中に甘い痺れが走りユーリは拳を握りしめた。小さく拳を震わせていると、会陰部を舐めていたヴィクトルの舌が蕾へと移動した。
「あっ……それ嫌だっていつも言ってるだろ!」
 何度蕾を舐められてもそこを舐められる事にユーリは慣れる事ができなかった。嫌忌しているというのにヴィクトルは止めようとしなかった。言うだけでは彼が止める事は無いのだという事が分かり、水の中で足を動かすように足を動かした。
「んぅ……やだって……やっ……!」
 全くユーリの抵抗を気にせずにヴィクトルは蕾を舐めたままになっていた。彼に全く止める気が無いのだという事が分かっても抵抗を止める事ができずにいると、体内へと舌が割り入って来る事になった。
「やだ……それやだって言ってるだろ!」
 蕾を舐められるのも嫌であったが、それ以上に体内へと舌を入れられる事が嫌であった。ユーリは先程までよりも抵抗を激しいものへとした。しかし、ヴィクトルに体内を掻き混ぜるようにして舌を動かされ抵抗を続ける事ができなくなってしまった。
「やだ……あっ……んぅ……」
 なすがままになる事しかできないでいると、根本まで舌を入れていたヴィクトルが漸く舌を引き抜いた。膝を下ろし体を伸ばす事ができた。ヴィクトルが漸く体内を舐めるのを止めた事によって、安堵するだけで無く先程まで舐められていた体内が疼いた。
「ユーリのえっちなお汁美味しかったよ」
「だから変な事言うなっていつも言ってるだろ!」
 言葉責めをされると居た堪れなくなってしまうので嫌いであった。言葉責めをするなとユーリは何度も言っていたのだが、ヴィクトルはそれを全く聞き入れる事は無かった。ユーリは肩を怒らせてヴィクトルを睨み付けたのだが、ヴィクトルはそれを全く気にする事は無かった。
「そんな顔したら綺麗な顔が台無しだよ」
 昔は顔を褒められると嫌な気分になっていたのだが、今は顔を褒められても嫌な気分になる事は無かった。しかし、今は顔を褒められても喜ぶ事はできなかった。
「誰のせいでこんな顔になってるって思ってんだ」
「俺のせいだね。俺が原因でユーリの表情が変わるのって、俺の物だって感じがするね」
「実際にお前のもんだろ」
 目を丸くした後ヴィクトルは目尻を下げた。
「そうだったね。ユーリは俺のもんだったね」
 言いながら双丘の間へとヴィクトルが手を伸ばして来た。蜜液だけで無く唾液によって濡れている蕾を確かめるようにして触られる。
「柔らかくなってるね。ああ。早く欲しいっていうみたいにひくひくしてるよ」
「言うな……っ!」
 ヴィクトルの言う通り異物を欲して蕾をひくつかせてしまっていた。しかし、はしたない行為であるそれを指摘されたく無かった。面映い気持ちへとなり顔を顰めていると、指が体内へと潜り込んで来た。
「あっ……!」
 媚肉を擦りながら指が根本まで潜り込んで来る。息をする事さえできなくなる程の快感に襲われ目を見開いていると、根本まで潜り込んだ指が体内を掻き混ぜ始めた。
「んっ……はっ……あっ……」
 最初は小さく動いていた指が大胆に動き始める。敏感な場所を刺激され、ユーリは快感に翻弄される事しかできなくなっていた。体内から指が出て行くと、直ぐにその指は二本に増えて戻って来た。
「ぐちゅぐちゅいってるよ」
 体内に蜜液が溢れているので、指を動かされると淫靡な水音が聞こえて来ていた。
「あぅ……うるせえ……はっ……」
 指摘されたく無い事を指摘され、ユーリはヴィクトルを睨み付けた。しかし、ヴィクトルは睨み付けられた事を全く気にせず頬を緩めたままになっていた。
 彼に睨みが利かないのは今に始まった事では無い。睨みが利いた事が無いというのに、ヴィクトルが全く気にしていない事にユーリは立腹した。
「ユーリの好きな所いっぱい触ってあげるね」
「やっ……あっ……」
 ユーリの感じる場所を熟知しているヴィクトルに、感じる場所を刺激される事になった。
「あっ……だめっ……イく……」
 まだ指で体内を刺激されるようになったばかりである。こんなに呆気なく達してしまうのを恥ずかしく思い、ユーリは快感から意識を逸らそうとした。しかし、感じる場所をヴィクトルが刺激したままになっていたので、意識を逸らそうとしても直ぐに快感に意識が向かってしまった。
「あっ……んぅ――!」
 体の中で限界まで大きくなっていた物が弾けるのを感じる。体を弓なりにしながら、ユーリはヴィクトルの指を締め付けた。
 潮がひくように絶頂感が体からひくと、体に入っていた力を抜く。それと共に指を締め付けるのを止めると、動くのを止めていた指が再び動き始めた。
「だめ……いまっ……いったばっか……やだ……やだ!」
 まるで小さな子供が駄々を捏ねるようにして嫌がったのだが、ヴィクトルは体内で指を動かすのを止めようとしなかった。最初は快感よりも苦痛の方が大きかったのだが、指を動かし続けられると快感が勝った。
「あっ……やぁ……やぁっ……やだ。やだ……んぅ……」
「嫌じゃないよね?」
 ヴィクトルは感じているというのにそんな筈が無いと言いそうな口振りであった。
「ちがう……ちがう!」
 感じているが止めて欲しいと思っているのは間違いが無かった。感じているというのに止めて欲しかったのは、強すぎる快感を受け止めきる事ができなかったからである。それを言葉にしたかったのだが、言葉にできるような余裕は今のユーリには無かった。
「達しそうな顔になってるよ。達したいなら達して良いよ。俺にイく顔見せてね」
「やだっ……あっ……んぅ……」
 絶頂に上り詰める顔を見せたく無いというのに、ヴィクトルから視線を離す事ができない。まるで魔法にでも掛かったかのように彼から視線を離す事ができずにいると、目尻を下げてユーリを見詰めているヴィクトルに感じる場所の一つである前立腺をぐいぐいと押し込められる事になった。
「はっ……!」
 頭の中が真っ白になり意識が濁流に飲み込まれていく。そこから逃れる事ができず、ユーリは絶頂に上り詰める事になった。
 びくびくと体を震わせながら体を撓ませていると、絶頂感が体を過ぎ去っていった。体に入っていた力を抜き寝台へと体を預けていると、体内に入ったままになっていた指が出て行った。
「はっ……はっ……ん……」
 肩で息をする事によって霞んでいた視界が鮮明になった。動きが鈍くなっていた頭も動くようになったのでヴィクトルに視線を遣ると、彼と目があう事になった。ヴィクトルがユーリを見詰めたままになっていたのだという事を知った。
「気持ち悦かった?」
「やだって言ったのになんで止めねえんだ」
「だってユーリが気持ち悦さそうだったから」
 気持ち悦かったかという事を訊いて来ておきながらもそう言ったという事は、訊かずともどう思っていたのかという事をヴィクトルは分かっているという事である。嫌だと言ったというのに止めようとしなかった事にだけで無く、その事にもユーリは立腹した。しかし、いつまでも怒っていても何もならないので怒るのを止める事にした。
「俺ばっかされてるのはやだ」
「じゃあして貰おうかな」
 行為の最中とは思えないほどヴィクトルが涼しい顔をしている事を不満に思いながら、ユーリは体を起こし下肢の中心へと手を伸ばした。行為の最中ヴィクトルはいつも今のように涼しい顔をしている。彼が我を忘れた様子へとなったのは、最初に体を重ねた時だけである。
 あの時は発情期のフェロモンによってヴィクトルはそんな風になったようだ。しかし、二度目の発情期の時は飄々とした態度であった。何故そんな態度でいられたのかという事が疑問であったので、後日何故なのかという事を尋ねた。その結果、二度目であったのでフェロモンに耐性ができ耐える事ができたらしい。
 顔を肉塊へと近づけその先端を舐める。張りのある先端を舐めた後、丹念に根本へと向かって舐めていく。ヴィクトルの方を見ながら口を大きく開けると、ユーリは肉塊を口へと含んだ。
 根本までヴィクトルはユーリの物をいつも含んでいる。ヴィクトルと同じように根本まで含みたかったのだが、ユーリの口には大きすぎる為根本まで含む事はできなかった。
「ふっ……んぅ……」
 何度挑戦しても根本まで含む事ができない事を悔しく思いながら、口腔の粘膜で肉塊を擦りながら根本を指で撫でる。口淫をユーリが初めてしたのは、体を重ねるようになってから一年近くが経過した時の事であった。それまでした事が無かったのは、ヴィクトルにして欲しいと言われた事が無かったからである。
 口淫をするようになったばかりの頃は、ただ口に含むのが精一杯でヴィクトルを感じさせようという事を考える余裕は無かった。しかし、時折しかしないとはいえ体を重ねるようになってからもう十年も経過している。今は考える事ができる余裕ができたので、ヴィクトルを感じさせようとするようになっていた。
「はっ……んぅ……」
「ユーリ、美味しい?」
 口淫の最中に顔を見たいとヴィクトルから言われた事により、最中時折ヴィクトルの方を見るようにしていた。しかし、口淫に熱中してしまい顔を見るのを忘れていた。ヴィクトルの方を見ると、口淫の最中とは思えない笑みが浮かんでいた。
「固い」
「ユーリが舐めてくれてるからね。そりゃ興奮するよ」
「だったらそんな涼しい顔してんな」
 ヴィクトルに笑って流される事になってしまった。笑って流した事を不満に思いながらユーリは口淫を再開する。自分が激しく触られた方が感じるので、ヴィクトルもそうなのだと最初は思っていた。しかし、ヴィクトルは激しく触られるよりも優しく触られた方が感じるのだという事を知った。
 優しく触った方が確かにそこが固くなるのだが、自分がそんな風に触られるよりも強く触られた方が感じるので、本当にこんなに優しく触って気持ち悦いのかという事が不安になってしまう。それでも優しく触り続けるだけで無く、男が感じる場所である裏筋を重点的に舐めていく。
「んぅ……はっ……」
「口疲れたよね。そろそろ良いよ」
 口を動かしたままになっていたので、ヴィクトルの言う通り口が疲れていた。しかし、ユーリは口淫を止めようとしなかった。それは、ヴィクトルを口で吐精に導きたかったからである。
「ふっ……はっ……あっ……」
 口や顎が怠くなっていたが、まだヴィクトルが吐精する気配が無いので口淫を続ける。しかし、口淫を続けるのが限界になってしまった。
「まだイかねえのかよ?」
「だから良いって言ったのに」
 小さく笑ったヴィクトルの手が双丘へと伸びて来る。双丘をヴィクトルに撫でられる事になった。
「んぅ……」
 優しくそこを撫でられると、撫でられた場所に甘い痺れを感じるだけで無く体内が疼いた。固く大きな物で抉って欲しいと体内が訴えていた。
「口では達せないから挿れさせて」
「仕方ねえな」
 ヴィクトルが頼むので仕方が無いのでそれに従う事にしたという口振りで言ったが、本音は先程から体が疼いており待てそうに無かった。それが分かっていてヴィクトルはそう言ったのかもしれない。双丘から手を離したヴィクトルが覆い被さって来た事により、ユーリは背中から寝台へと体を預ける事になった。
 ヴィクトルと一緒に家具屋で選んだ寝台は、固過ぎず柔らかすぎず寝心地の良い物であった。そんな寝台に背中を預けていると気持ちが悦かった。体に入っていた力を抜くと、肉塊を掴んだヴィクトルがその先端を蕾へと宛がった。
 今からこれが体内に潜り込んで来るのだ。体内をそれで抉られた時に体を襲った快感を思い出し、ユーリは息を飲んだ。快感を期待している事へとヴィクトルに気が付かれてしまったようである。微笑を彼が浮かべている事に気が付き、ユーリは恥ずかしくなった。
「挿れるよ」
「んぅ……!」
 空いている方の手で腰を掴んだヴィクトルが体内へと肉塊を潜り込ませて来た。数日前にも体を重ねたからだけで無く、十分に愛撫をされたので体内が緩んでいた。その為、大きな物が体内に潜り込んで来ても痛みなどは全く感じ無かった。
「大丈夫そうだね」
「はやく動け」
 早く体内を抉られたくて言葉で求めるだけで無く、腰を左右に動かしてしまう。
「そんなえっちな顔されて言われると、出しちゃいそうだな」
「そんな事なんか絶対しねえ癖に。あっ……!」
 両手で腰を掴んだヴィクトルが腰を動かし始めた事により、根本まで埋まっている肉塊が出ていった。媚肉を雁で抉りながら肉塊が出て行った事により、指先に向かって甘い痺れが走っていった。
「気持ち悦いよ」
「あっ……ん……俺も……」
 何度も体内を抉られ体の中で淫靡な熱が大きくなっていた。しかし、それはまだ絶頂に上り詰める事ができる程強い物では無かった。
「はっ……あっ……んぅ……」
「激しく動くよ」
 激しく動いて欲しい。奥を穿って欲しいと思っていると、ヴィクトルが激しく腰を動かし始めた。
「んぅ!」
 息ができなくなってしまう程の快感に襲われ、ユーリは目を見開いた。その間もヴィクトルが腰を動かしたままになっていた為、更なる快感が襲って来る事になった。
「やっ……はげし……むり……やっ」
「気持ち悦過ぎて嫌?」
 ヴィクトルの言う通り嫌がっているのは、快感が強すぎたからである。首を縦に振ったというのに、ヴィクトルは腰を激しく動かしたままになっていた。
「やだっ……やめろ! あっ……」
 口で言うだけで無く頭を振ったのだが、ヴィクトルは腰を動かしたままになっていた。確かめたが止めるつもりは欠片も無かったのだという事が分かった。彼に止めるつもりが無い事が分かっても、過剰な快感から逃れたかった。
「逃げちゃ駄目だよ」
 背中を動かす事によってヴィクトルから離れようとしたのだが、腰を掴んでいる手に力が籠もった事により逃げる事はできなかった。
「やだ……やだっ! むり……やっ!」
 諦めずに暫くは逃げようとしていたユーリであったが、どんなに逃げようとしても逃げる事はできないのだという事が分かり逃げるのを止めた。
「はっ……んぅ……あっ……! んぅ……」
 なすがままになっていると奥を穿たれる事になった。体を重ねるようになったばかりの頃は、奥を穿たれると苦しいだけであったのだが今はそうされると痺れる程の快感へと襲われるようになっていた。
「んぅ……あっ……」
 ヴィクトルの腰が双丘にぶつかる音と肉塊が濡れた体内を抽挿する卑猥な音が聞こえて来た。そんな音を聞きながら快感にただ耐えている事しかできないでいると、体の中で大きくなっていたものが今にも破裂しそうになった。
「だめ……イく……んぅ!」
 絶頂に上り詰めそうになっているので腰を動かすのを止めて欲しかった。それは、決して絶頂に上り詰めたく無いからでは無い。体の中で渦巻いている熱を放ちたかったというのに絶頂に上り詰めるのを拒んだのは、まだヴィクトルに吐精しそうな様子が無かったからである。
 既に何度も絶頂に上り詰めているので、体力が残り少なくなっていた。絶頂に上り詰めると激しく体力を消耗する事になるので、今上り詰めてしまうとヴィクトルが吐精する頃には殆ど意識が無くなってしまう事になる。
 ヴィクトルに何を言っても無駄であるという事が分かったので、快感から意識を逸らそうとした。しかし、どんなに意識を逸らそうとしても強い吸引力を持ったそこから意識を逸らす事はできなかった。
「あ――っ!」
 体の中で大きくなっていた物が弾け、意識がそれに飲み込まれていく。頭の中を真っ白にしながら体を撓ませる事によって、体の中から絶頂感が消え去っていく。
「イっちゃったんだ」
 くすくすと笑っているヴィクトルの姿を見て、あざ笑われているような気持ちへとなった。
「……嫌だって言ったのに止めねえからだろ」
 睨み付けたのだがそれを全くヴィクトルは気にしていない様子であった。そんな彼は動かすのを止めていた腰を再び動かし始めた。
「あっ……んぅ……いまイったばっか……あっ……」
 まだ体から完全に消え去っていなかった淫靡な熱が、媚肉を擦られる事によって再び大きくなった。
「俺はまだイってないよ」
「だけど……あっ……んぅ……」
 ヴィクトルがまだ吐精していない事など分かっている。しかもユーリは何度も追い詰められていたが、ヴィクトルはまだ一度も上り詰めていない。自分ばかり気持ち悦くなっていては不公平だという事は分かっていたのだが、体に気持ちが追いつかない。
「はっ……んぅ……あっ……」
 余計な事を考える事ができる余裕があったのは、暫しの間であった。直ぐに快感に翻弄される事しかできなくなってしまった。
「あっ……ああっ……んぅ……」
 前立腺を抉られ奥を穿たれ、それから何度も上り詰める事になった。
 意識が曖昧になってしまう程に体力を消耗していると、ユーリが上り詰めても腰を動かすのを止めなくなっていたヴィクトルの腰の動きが変わる。先程まではユーリを感じさせようとしているものであったのだが、今は自身の快感を追求しているものへとなっていた。その事から限界が近いのだという事が分かった。
「あっ……んっ……」
 首の横へとヴィクトルが手を置いた事によって彼の体が迫ったので、肩へと手を伸ばす。首筋と耳の裏側が感じるのだという事を知っていたので、そこを指で優しく撫でる。
「出して良い?」
「あっ……ん……奥でいっぱい出せ」
 子供ができるようにそう言ったのだが、これでは中に白濁が欲しいと言っているようなものである。決してそんなつもりで言ったのでは無い。それを伝えたかったのだが、最奥まで肉塊を埋め込まれそんな事を言える余裕は無かった。
「んぅ……あっ……だめぇ……そこやだぁ……!」
「出すよ」
 普段は聞く事ができない甘く掠れたヴィクトルの声に耳まで犯される。ぞくぞくとしたものを耳の奥に感じる事によって、何度目なのかという事がもう分からなくなっている絶頂感へと飲み込まれる事になった。
「んぅ――」
 頭を真っ白にしながら、ユーリは体を弓なりにした。

 行為が終わり暫くすると、バスローブを羽織り部屋を出て行ったヴィクトルが戻って来た。ヴィクトルが戻って来た事は分かったのだが、先程の行為で体力を使い果たしたユーリは起き上がる事ができなかった。
 運動を欠かさず行っているヴィクトルは、現役時代ほどでは無いとはいえ今も体力のある男であった。そんなヴィクトルを相手にする事によって、ユーリは体力を完全に消耗してしまい起き上がれなくなってしまう事がしばしばあった。
「はい」
 ヴィクトルの声が聞こえて来ると共に視界の中にミネラルウォーターの入ったペットボトルが現れた。ヴィクトルに視線を遣ると、もう片方の手にもペットボトルを彼は持っていた。喉が渇いた彼はミネラルウォーターをキッチンまで取りに行っていたようだ。
「悪いな」
 ヴィクトルからペットボトルを受け取り蓋を空け、ミネラルウォーターを喉に流し込む。行為の最中喘ぎ続けた事により乾いていた喉が潤った。
 ミネラルウォーターを飲むのを止めてヴィクトルを見ると、ペットボトルに口を付けていた彼はそれを飲むのを止めた。
「妊娠した気がする?」
「分からねえ」
 先程まで散々精を放たれた腹部を手で押さえた。そんな事をしても妊娠しているのかどうかという事が分かる筈が無いというのに、自然とユーリはそんな行動を取ってしまった。
「じゃあ、妊娠するまでしよっか」
「まだするつもりなのかよ」
 ユーリは顔を顰めた。ヴィクトルは二度しか白濁を放っていないが、ユーリは指で数える事ができない程絶頂へと上り詰めている。これ以上付き合う体力は残っていなかった。顔を顰めているというのに、ヴィクトルが覆い被さって来た。
「駄目?」
 まるでお強請りをする子供のような顔をヴィクトルはしていた。まだ妊娠していないかもしれないという理由からだけで無く、まだ彼が満足する事ができていないのだという事が分かった。
「……この絶倫」
 罵倒しながらも本気で嫌だという訳では無いので、ユーリは抵抗するつもりは無かった。本気で嫌だと思っていない事をヴィクトルは察している様子であった。笑みを浮かべたままになっているヴィクトルが顔を近づけて来たので、ユーリは瞼を閉じた。

 直ぐにヴィクトルの唇が重なった事により、それから明け方近い時間まで体を重ねる事になった。その為寝不足になってしまい、翌日の練習の際にヤコフから叱咤される事になった。

三章 ベールゥィ

 先程産まれたばかりの我が子をユーリが抱いていると、勢いよく扉が開くと共に大声が聞こえて来た。
「ユーリ!」
 部屋の中に入って来たのは、半年ほど前にユーリが結婚をした相手であるヴィクトルであった。長年番であった彼と、ユーリは引退と共に籍を入れていた。そして、直ぐに妊娠が発覚した。妊娠をする方だけでは無く相手の年嵩がいっていると妊娠し難いという事を聞いていた。その為、妊娠する迄には時間が掛かると思っていたので直ぐに妊娠した事にユーリは驚いた。
「でけえ声出すな。さっきやっと泣き止んだばっかりなんだぞ」
 産まれた後助産婦から受け取った赤ん坊は大きな声で泣いていた。抱いたままでいる事によって一度は泣き止んだのだが、この病室に移動してから再び泣きだした。
 分娩室では助産婦がいたので動揺せずに済んだのだが、今度は助産婦がいなかったので慌てる事になった。漸く泣き止んだというのに、再び泣かれてしまうと再度慌てる事になってしまう。
「ごめん」
 謝罪してはいるがヴィクトルの態度は全く反省していないものであった。彼が興奮した様子へとなっているのは、子供が産まれたばかりであるからだ。彼が興奮するのは仕方が無い事である事がユーリは分かっていたので、いつまでも立腹しているつもりは無い。
「抱いても良い?」
「良いぜ」
 楽しそうな顔をしているヴィクトルに赤ん坊を差し出す。助産婦に教えて貰った赤ん坊の抱き方を教えながら、ユーリはヴィクトルに赤ん坊を渡した。産まれたばかりの赤ん坊を抱いているヴィクトルの手付きはたどたどしいものであった。
「重いね」
 ヴィクトルに抱かれている赤ん坊の視線は、ヴィクトルに向かっていた。胸の中で自分を見詰めている赤ん坊をヴィクトルは目を眇めて見詰めていた。ヴィクトルの様子は愛おしそうなものであった。彼が子供を望んでいた事は知っていたが、それでもそんな彼の姿を見てユーリは安堵した。
「ああ」
「髪の色は俺に似たようだね」
 赤ん坊が産まれて来る前に、ヴィクトルと子供の髪の色と瞳の色はどちらに似ているのかという事を何度か話していた。産まれて来た子供はヴィクトルと同じ銀色の髪であった。
「ああ。瞳は俺と同じグリーンだけどな」
「二人の子供って感じだね」
「ああ」
 先程まで大人しくヴィクトルを見詰めていた赤ん坊が、急に顔を顰めた。泣き出すのでは無いのだろうかとユーリは危惧していたのだが、直ぐに元通りの顔へとなった。泣き出す事が無かった事に安堵していると、ヴィクトルも安堵している事に気が付いた。
「お前のそんな顔初めてみた」
「仕方無いじゃないか。子供の相手をするのは初めてなんだから」
「そうだな」
 ヴィクトルもそんな顔をする事があるのだと思うと嬉しくなった。そんな顔を彼がしたのは、自分の子供であるからという理由もあるのだろう。これからも今まで見た事が無い彼の顔を見る事ができるのかもしれない。
「そろそろ俺が抱くぜ」
「そうだね」
 これ以上自分が抱いていたら赤ん坊が泣き出すかもしれないとヴィクトルは思ったようだ。ヴィクトルが赤ん坊を差し出して来たので、ユーリは赤ん坊を受け取った。
「そうだ。性別はどっちだった?」
 性別を事前に知る事もできたのだが、ヴィクトルと話し合った結果性別を医者から訊かないでおく事になった。その為、赤ん坊が産まれるまで子供の性別が分からなかった。
「女の子だ」
「へーじゃあユーリに似ると良いな」
 産まれた赤ん坊はまだどちらに似ているのかという事が分からぬ顔立ちであった。
「何でだよ。お前に似た方が良い」
 今は中性的だとは全く言えない容貌であるのだが、若い頃は中性的な容貌をヴィクトルはしていた。ユーリが幼い頃には既にスケーターとして活躍していたそんなヴィクトルの姿を、テレビでいつも見ていた。あの頃は憧れの対象であった彼と番になり、更に彼の子供を産む事になるとは全くその時は想像もしていなかった。
「でも、性格は似ない方が良いな」
「酷いな。俺に似ても可愛いと思うんだけど」
 傷ついているような顔をして言っているが、彼が本気で傷ついている訳では無い事は分かっていた。
「自分で言うな」
「早くスケートできるようにならないかな」
「まだ産まれたばかりだぜ」
 気が早すぎるとしか思えないヴィクトルの発言にユーリは呆れずにいられなかった。
「ユーリはこの子にスケートやらせるのは反対?」
「反対じゃねえけど、本人がやりたいって言わなきゃやらせるつもりはねえよ」
 無理にさせても子供がスケートを好きになる可能性は低い。寧ろ嫌いになってしまう可能性の方が高い。嫌々スケートをして欲しく無かったので、ユーリは子供にスケートをする事を強制するつもりは無かった。
「俺とユーリの子供だから絶対やりたいって言うに決まってるよ」
「まあ、そうなると良いな」
 親子三人でスケートをするのは楽しいだろう。三人でスケートをする姿を想像する事によって自然と口元が緩んでしまう。
「俺が振り付けしてユーリがコーチするのはどう?」
「俺がコーチか」
 コーチを自分がするという事を今まで考えた事も無かった。長年コーチをして貰っているヤコフはいつも大変そうであった。彼のように自分がコーチをする事ができるのだろうか。不安はあったのだが、したいという気持ちの方が大きかった。
「そうだな」
「じゃあ今から振り付け考えておかないと。勿論、無料で良いよ」
「当たり前だろ。俺の振り付け考えるんじゃねえんだから」
 彼が本気で言っているのだとは思っていない。冗談を言ったのだという事が分かっていたので笑いながら言うと、ヴィクトルも笑った。一頻り笑い笑うのをユーリが止めると、ヴィクトルも笑うのを止めた。
「それに、どんだけ気が早いんだ。滑れるようになるのはまだまだ先だぞ」
「そうだね。でも楽しみだな」
 頬を綻ばせているヴィクトルの脳内には、親子三人でスケートをする姿が浮かんでいるのだという事を察する事ができた。
 暫くヴィクトルと赤ん坊を抱いたまま話しをしていると、赤ん坊が眠たそうな顔へとなった。直ぐに赤ん坊が眠ったので子供用の寝台に子供を寝かせた後、ヴィクトルは自宅へと戻る事になった。
 それから数日間病室で子供と過ごし、迎えに来たヴィクトルと三人でユーリは病院を後にした。


 サンクトペテルブルクの閑静な住宅街。豪壮な建物が建ち並んでいるその住宅街は、社会的に成功した者ばかりが暮らしている住宅街である。そんな住宅街の中にある周りの屋敷よりも一際大きな屋敷のダイニングには、黒いスキニーパンツと赤いフード付きパーカーという格好をしたユーリの姿がある。
 長女が産まれてから七年が経過しており、既に三十歳を越えているというのにユーリはそんな年齢に全く見えなかった。それだけで無く、三人も子供がいるようには見えない凜とした美貌を保っていた。――長女が産まれた後直ぐに長男を出産したユーリは、半年ほど前に次男を出産しており三人の子持ちへとなっていた。

「ママ! スケート行く!」
「分かった。分かった。ちゃんと食べ終わったら連れて行ってやるから、ちゃんと大人しく飯食え」
 まだ食事を終えていないというのに既にスケート場に行こうとしている長女をユーリは窘めた。歩き出すと同時にスケートを始めた長女は、スケートが大好きで遊ぶ事よりもスケートに夢中であった。
 意識が完全にスケートへと向かっていたが、それでも長女は食事を再開した。それを見てユーリは、ベビーチェアに座って食事をしている次男にスプーンで掬った離乳食を与える。
「ママー。ごはん食べた!」
 次にユーリに声を掛けて来たのは長男であった。
「ちゃんと歯磨きすんだぞ」
「分かった!」
 元気よく返事をした長男は椅子から勢いよく離れると、ダイニングを出て行った。言われた通り歯磨きをした後、長男は昨晩見ていたヴィクトルの古い大会の映像の続きを見るつもりなのだろう。長女は自分で滑る方が好きなのだが、長男は滑るのも好きなのだが映像を見る方が今はまだ好きなようである。
 長男も映像を見終えるとスケート場に行きたいと言い出す筈であるので、後で練習場に連れて行かなくてはいけない。
「美味しいか?」
 上二人の子供の事ばかりの事を考えていてはいけないと思い、ユーリは大人しく食事をしている次男に話し掛ける。
 長女と長男は活発な性格をしており手を焼いていたのだが、次男は大人しい性格をしており育てやすかった。その為、どうしても上二人の子供に意識が向かいがちであった。
 面倒がかからないからといって次男を放っておくつもりは無い。次男もユーリにとって、長男と長女と同じく可愛い子供であった。
「ユーリ、おはよう」
 まだ食事の世話が必要な次男の世話をしていると、扉が開く音が聞こえて来た後ヴィクトルの声が聞こえて来た。扉の方へと視線を遣ると、ヴィクトルが部屋の中へと入って来ていた。紺色のVネックのニットにデニムパンツという格好をしたヴィクトルが、ユーリのいるテーブルの方へとやって来る。
「やっと起きて来たか。飯できてるぜ」
 子供が産まれて直ぐにヴィクトルが家を建てると言い出して建てた屋敷は、ユーリが想像していた以上に大きな物であった。こんなに大きな屋敷をユーリ一人で管理する事はできないので、家政婦を三人雇って家の事は任せている。しかし、子供と伴侶であるヴィクトルの食事はいつもユーリが用意していた。
「今日の朝ご飯は何?」
「真鯛のウハーとプロフとビーフストロガノフ」
 牛肉と野菜をスープで煮込む料理であるビーフストロガノフは、朝食に取る料理では無い。普通は夕飯に取る料理であるのだが、ヴィクトルが普通の軽い朝食では満足する事ができないので、ユーリはビーフストロガノフを朝から作っていた。
 その他に作ったのは、牛肉と野菜と香辛料を米に加えて炊き込む料理であるプロフ。魚を使ったスープであるウハー。他にサラダや季節の果実も用意している。
「お腹空いた」
「直ぐウハー温めて来っから、その間こいつに飯食わせてやっててくれ」
 テーブルまでヴィクトルがやって来たので、椅子から立ち上がり手に持っているスプーンを差し出す。スプーンを受け取り先程までユーリが座っていた椅子にヴィクトルが座ったので、次男の事は彼に任せてキッチンに向かう。
 ヴィクトルは出来る限り子供の面倒はみているので、離乳食を次男に食べさせるのはこれが初めてでは無い。上二人の離乳食も食べさせている彼に任せる事は不安では無かったので、ユーリは心配すること無くダイニングの隣にあるキッチンまで行った。
 コンロにある鍋に入ったウハーを温めると、皿にそれを盛りつけパセリとセロリを乗せてダイニングに戻る。他の料理は子供たちの食事をテーブルに運んだ時に運んでいる。
「食べさせ終えたよ」
「悪いな」
 ヴィクトルがいつも座っている席とヴィクトルの前に持って来た皿を置くと、ヴィクトルが椅子から立ち上がった。先程まで座っていた椅子まで戻り、食事を終えた次男を抱き上げる。
「ママー! 食べた! スケート行く」
「ちゃんと全部食べた?」
 長女にユーリが声を掛ける前にヴィクトルが声を掛けた。
「全部食べた」
 長女は好き嫌いが少ないのだが、ユーリに似たのか食が細かった。反対に長男はヴィクトルに似たのか、年齢から考えると食べ過ぎであると思うほどいつも食べていた。
「じゃあ、スケート場に行っても良いよ。食べ終わったらパパも行くからね」
 今日はヴィクトルは仕事が休みであるので、子供たちに付き合う予定になっていた。振付師であるヴィクトルには決まった休みは無いのだが、日曜日は子供たちに時間を使いたいからという理由で仕事を入れる事はしなかった。
「ユーリも一緒に行く?」
「俺は後からこいつと一緒に行く」
 ユーリは次男に軽く視線を遣った。
「そっか。じゃあ待ってるね」
「ああ」
 椅子へとユーリが腰を下ろすと、長女が椅子から立ち上がりダイニングを出て行った。長男には歯を磨くように声を掛けたのだが、長女には声を掛けなかった。それは、長女は何も言わなくても食後に必ず歯を磨いていたからだ。
 ヴィクトルが食事を始めたので、ユーリも食事を取る事にした。子供たちの食事が先であるので、ユーリはいつも子供たちに食事を与えた後に食事を取っていた。その為、ユーリもまだ食事を取っていなかった。
「真鯛のウハー、真鯛の出しがよく出てて美味しいね」
「そうだろ。今日の晩は何が食べてえ?」
 まだ朝食を取っているが、スケート場に行った帰りにスーパーマーケットで食材を買うつもりにしているので今晩ご飯の献立の希望を訊いておく事にした。
「そうだね。中華食べたいかも」
「中華か……分かった」
 中華料理は様々な料理がある。どの料理にしようかという事を考えながら食事を取っていく。時折次男の相手をしながら食事を取っていく事によって、残っているのはビーフストロガノフのみになった。
 刻んだパセリを乗せているビーフストロガノフはご飯と一緒に食べる事が多いのだが、今日はご飯の代わりにマッシュポテトを添えている。ご飯と一緒に食べても美味しいのだが、マッシュポテトと一緒に食べても美味しいのだ。
 食事を取りながら何を作るのかという事を考えた結果、今日は子供たちが大好きな青椒肉絲と海老のチリソースを作る事にした。勿論それだけでは子供たちだけで無くヴィクトルも満足する事ができないので、他にも何か作る予定である。それは、スーパーマーケットに行って決める事にした。
 ビーフストロガノフを食べ終えたので、フォークを置きまだ料理を食べているヴィクトルが食べ終えるのを待つ。若い頃は食べるのが早かったのだが、食べ方が汚い事と共に食べるのが早い事をかねてから気にしていたので矯正した。しかし、子供が産まれるとゆっくり食べている余裕が無くなってしまった。その為再び早く食べるようになってしまったのだが、若い頃のように汚い食べ方はしないようにしている。
 食べ方が汚い事を気にするようになったのは、一緒にいるヴィクトルに恥をかかせてしまう事になる事に気が付いたからである。今も汚い食べ方をしないように気を付けているのは、そんな理由からでは無い。子供たちが真似をしては困ると思ったからだ。
「そうだ。ノービスに勧誘されてるんだった」
 長男と長女のどちらなのかという事を告げなかったのだが、年齢的な事だけで無く技術的な事からもどちらなのかという事をヴィクトルは察した様子であった。
「どうする?」
「支援して貰う必要は無いからね」
 ヴィクトルは同じ年頃の男性の何倍もの収入があるので、支援を受ける必要は全く無い。それは分かっている。それが分かっていてユーリが尋ねたのは、支援を子供に受けさせたかったからでは無い。
「そうだけど。ノービスに入った方がもっと良い練習を受けられる」
「それは間違い無いね」
 ヴィクトルもノービスであった時代があるので、ノービスの事はよく知っていた。
「やっぱノービスに入れた方が良いのか?」
 ノービスの勧誘を受けたのは昨日の事である。新たな芽を探しスケート場にやって来ていたスケートの関係者が長女の滑りを見て、長女のコーチをしているユーリにノービスに入れないかと声を掛けて来た。直ぐに決める事ができないので、少し考えさせて欲しいとその時ユーリは関係者に言っていた。
「それは本人に決めさせたら良いよ。本人が入りたいって言うなら入れたら良いし」
「そうだな」
 ヴィクトルの言う通りであると思ったので、ユーリは夕食の後に長女にノービスに入りたいかという事を尋ねる事にした。
 ノービスに入れば更にスケートに熱中する事ができる事を知れば、長女は間違い無く入りたいと言うだろう。長女をスケーターにするつもりは全く無かったのだが、近い将来スケーターになりそうな予感がしていた。
「お前もスケートしたいか?」
 上二人には無理やりスケートをやらしている訳では無い。二人とも自分からやりたいと言い出したのでやらせている。次男はまだ歩く事ができない月齢であるのだが、上二人がスケートをやりたいと自発的に言ったので次男もやりたいと言い出す予感がしていた。
 ユーリの言っている事が分かっているのか分かっていないのかという事は分からなかったが、次男は楽しそうな顔へとなった。
「美味しかったよ」
「珈琲飲むか?」
 ヴィクトルは食後にいつも珈琲を飲んでいるので、ユーリは声を掛けた。
「自分でいれるから大丈夫だよ」
 椅子から立ち上がるとヴィクトルはキッチンに消えていった。自分で煎れると彼が言ったのは、ユーリが次男の相手をしているからなのだろう。次男の相手をしながら戻って来るのを待っていると、珈琲の香りを漂わせたヴィクトルがカップを手に戻って来た。
 ヴィクトルがユーリに珈琲を飲むのかという事を訊かなかったのは、珈琲を飲まない事を知っていたからである。大人になれば珈琲を美味しく思える筈だと思っていたのだが、結局今も苦いだけで美味しいと思う事ができなかった。
「今日はしよっか」
 ヴィクトルの発言にユーリは慌てた。何をしようとは言わなかったのだが、何を彼がしようと言っているのかという事をヴィクトルの様子から察する事ができたからだ。ヴィクトルが夜のお誘いをしているのだという事は間違い無かった。
「こんな朝っぱらから何言ってんだ! それにこいつの目の前で」
「だって、言っておかないとユーリ先に寝ちゃうじゃないか」
 ヴィクトルの言う通り子供が三人もいるので、三人の子供の相手で疲れてしまい最近は先に入浴を済ませて先に眠ってしまう事が多かった。
「それに、夫婦仲良くしてるのは良い事だと思うよ」
「それはそうだけど……」
 ヴィクトルの言う通りであると思う反面、ユーリはまだ赤ん坊とはいえ子供の前でそんな事を言うのはどうだろうかという思いを持ったままであった。
「あと二人頑張らないと」
 何故そんな事をヴィクトルが言ったのかという事が分からず、呆けた顔へと一瞬なったのだが直ぐに何故そんな事を言ったのかという事が分かった。
「覚えてたのかよ」
 昔ヴィクトルと五人子供が欲しいという話しをした事がある。その事を直ぐに約束を忘れてしまう彼が覚えていた事にユーリは驚いた。
「ユーリに約束いつも忘れてばっかりだって言われるからね」
「子供との約束はちゃんと覚えててくれてるからもうその事は気にしなくて良いぜ」
 ヴィクトルは手に持ったままになっていたカップをテーブルに置くと椅子から立ち上がった。ユーリの元へとヴィクトルがやって来る。
「ユーリとの約束ももう忘れたりしないよ」
「そんな事言って忘れたらキレんぞ」
「忘れないから大丈夫だよ」
 肩に腕を回して来たヴィクトルが顔を近づけて来た。柔らかな笑みを浮かべて顔を近づけて来ている彼が唇を重ねようとしているのだという事を察した。瞼を閉じようとした時、ユーリは次男がじっとユーリとヴィクトルを見詰めている事に気が付いた。
 次男の瞳を手で覆い瞼を閉じると、ヴィクトルの唇が重なって来た。唇を重ねながら暫くヴィクトルと体を重ねていない事を思い出した。彼が何もして来なかったのは、ユーリが疲れて眠っているのだという事が分かっていたからなのだろう。今夜は眠れそうに無いと思いながら瞼を開いたユーリは、次男の瞳を覆っていた手をそこから離した。
 この後ヴィクトルに次男の相手をして貰っている間にテーブルを片付けたユーリは、思っていた通りヴィクトルの昔の大会の映像を見終えスケート場に行きたいと言い出した長男をヴィクトルにスケート場へと送って貰った。家の事を済ませると、ユーリも次男を連れてスケート場へと向かった。

 その晩長女にユーリがノービスに勧誘されている事と共に、ノービスに入りたいかという事を尋ねると、長女は間髪入れず入ると返事をした。こうして長女をノービスに入れる事になった。
 ノービスに入りジュニアに上がった長女は、ヴィクトルとユーリの才能を受け継ぎロシアの新しい時代を築く事になるのだった。
fin.

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