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電車の中で吐いてしまった人を目の前にした私が行動できなかった理由

平日の夜11時過ぎ。やや混雑した山手線に乗ったころ、床に戻してしまい、座席に座ってうずくまったままの方を見かけました。私が乗ったときにはすでにその方は戻してしまっていて、途中から乗った私がそのことに気づくのに10秒ほどかかりました。

「大丈夫ですか」と声をかけるべきなのはわかっています。周りの方もおそらく皆さん同じように思っているはずです。ただ、知らん顔をし続ける。7人掛けのロングシートの真ん中でうずくまっていて、その横2~3人分の椅子には誰も座ろうとしません。

場所的には、たまたま私が最も近い位置にいました。そして最寄り駅に着き、声をかけるかぎりぎりまで迷いましたが、結論から言うと結局他の人と同じように降りてしまいました。私はしょせん勇気のない人間です。

実際にその場を離れた今思えば、声をかけるかどうか迷う余地なんてないと思います。空振りしたとしても一声かければいいのに。でもどうして迷ってしまうんでしょうね。

私は無宗教、いわゆる典型的な日本人ですが、声をかけるかどうかのためらいを振り払うひとつのきっかけとして宗教というやつがあるんだろうなと思ったりします。

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