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クジラ

海外にいて、大体の場所で自分が唯一の日本人という暮らしをしていると、その場にいる人たちから勝手に日本政府のスポークスマンみたいな扱いをされ、意見を求められる。いや、意見を求められるだけならまだ優しい方で、糾弾されることもしばしばある。こういう場合は、大体欧米人や、そこで教育を受けたアジア人がいる時で、アジア国内純粋培養の人間同士でいると、こんな張りつめた展開にはならない。

しかし、私も糾弾されて大人しく黙っているタイプではないし、日本政府に頼まれたわけではないが、ロビー活動費として謝礼を受け取っても良いのではないかと思うほど、日本を擁護している。ここ10年以上、海外生活をする上でモットーにしていることは、「自分の言葉で自分の国を説明する」。それが相手から見て間違っていても別に良いのである。なぜなら、「自分の国を誇りに思っている」という前提に間違いはないのだから。むしろそれこそが、海外生活をする上でとても大切なファクターだと思っているし、世間一般でいう「最貧国」出身の友人だちも、自国の良さを堂々と語れる。(もちろん、自虐なことも、足りてないところも冷静に認めることが大事だが)アメリカを見て欲しい。世界中のいろんな人逹から「中東をぐちゃぐちゃにした戦犯」と非難されていようと、(全員ではないが)本人逹は正しいことをしていると信じて疑わない。自分の常識も国が違えば非常識。なので、自国に対する他国の評価なんでどうでも良い。自分の頭で考えて、自分の言葉で自分の国を語れることが大事なのだ。その国の人が放つ言葉が一番説得力があるのだし、兎も角、言われっ放しは良くない。

そういうわけで、日本人として、「捕鯨」について突っ込まれることは、多々ある。ちなみに英語ではウェイリングという。特に2018年の年末は酷かった。日本が捕鯨を再開した時期で、師走は人に会う機会も多くなるだけに、やたらと聞かれた。というより一方的に非難された。

ふぅ。

面倒だが、一息ついて重い腰をあげる。

先ほども書いたように、こちらが「相手から見て」間違っているかどうかなんてどうでも良いのだ。自分にとって正しいということをバックアップの事実とともに堂々と言えればいい。どうせ相手は、どのような事実を突きつけたところで、日本が悪いという事実を変えることは無い。でも、もう一度言う。言われっ放しはよく無い。そして一度黙らせれれば、もしかすると次にその人が日本人に議論を吹っかけることがなくなるかもしれないじゃないか!面倒くさいことに巻き込まれる邦人が一人でも減れば、ビバ草の根的ロビー活動!

さて、具体的によく使う反証の一つとして、日本だけが捕鯨をしている国でないことを述べる。カナダも捕鯨国であると言うと、大体の欧米人はショックを受ける。動揺を隠しきれず、狼狽えていて面白い。「いや、してないし」とカナダ人から真っ向否定されたこともあって、ちょっと笑った。こちらは別にあなたを傷つけたくて言っているわけではなく、ただ事実を述べている、じゃああなたはそれに対して調べたのか?ただ単に、一般的にネイチャーラバーで平和的なカナダ人のイメージから言ってるだけだろう、と言うと、不服そうに黙られた。目の前にある事実を否定できるのは、新たな事実だけであって、あなたのイメージとか感情ではない、と冷静に告げる。捕鯨に関しては、大体が感情論なので、こちらが冷静に事実を述べていれば何とかなる。

ある時は、朝ごはんを食べているときに、隣に座っていたジムでトレーナーをしているフランス人に藪から棒に責められたため、シンプルに返してみた。「なぜ魚は良くてクジラはダメなのか?」と。彼の頭。。。いや、答えも非常にシンプルだった。「クジラは頭の良い大きな哺乳類だから」

びっくりするかもしれないが、かなりの割合でこの意見を聞く。そうか、クジラは頭が良い生き物だから殺してはいけないのか、だったら君はちょっと頭が良くないから、殺されても良いのか?。。。と言ってみたいところを、私もまあオトナなのでグッと堪えて、もうちょっとオブラートに包んでみる。

「どれは殺しても良くて、どれは殺してはいけない、そんなことを決めること自体が人間の非常に傲慢なエゴではないか?君は神様か?いや、神様の目には全てが平等であろう」

大体これにスマートに切り返せる人はいない。そもそもそれが出来るなら、捕鯨の話を一方的に日本を悪者にして振ってこないだろう。そして私は続ける。「生き物は、何かを犠牲にせず生きることは不可能である。だったら、その犠牲に感謝の気持ちを捧げて生きていくだけではないか?豚をペットとして飼っている人からしたら、君のようにベーコンを食べている人は蛮族に映るだろう。あなたの価値観でクジラは殺してはいけないというならそれでいいが、その価値観の押し付けは良くない」

クジラの数とか捕鯨対象となる種類の違いとか、そう言った数字で分からせることもあるが、それが通用するのは、聞く耳持った理知的な人間が相手の時だけなので、感情論相手にはこういうしかない。まあそれで相手が変わるわけではないが黙らせておくのも悪くはない。他にも事実として挙げるのは、ペリーが日本に開国を要求した理由は、アメリカの捕鯨船の給油に日本が必要だったこと、あの頃のアメリカはクジラの種類など関係なく、それこそ好き放題捕鯨していたこと。今の中国のフカヒレ漁を言えないぐらい、クジラを無駄にしていた。そのアメリカ人セレブリティがインスタグラムで一斉に日本の捕鯨を非難していたときは流石に失笑。クジラの命を軽く見て言うわけでは決してないが、世界にはそれよりももっと深刻な問題があるだろう。多くの人命が関わっている事案があるのではないか。戦争で儲けて、チャイナマネーにどっぷり浸かったハリウッドセレブにそれが言えるわけもないが。

人には人の価値観がある。それは国境を超えればもっと多様に変化するし、そこに混ざって生活しているのなら、日本のように「見えない空気を読んでいる」場合ではない。とんでもない言いがかりが、とんでもない角度、いやむしろ死角からやってくることも良くある。逆も然り。私も興味から「質問」することはあるが、あくまで他国の事情に対して自分の意見は控えめに、それよりもその国の人の意見を最優先で聞く姿勢を心がけている。それが自分の考えと全く違ったとしても、(感情論で話されているのでなければ)そこで会話を打ち切らず、ある程度「なるほど、その考えも筋通ってるな」と思えるまで聞き込む。宗教観、習慣、生活様式、歴史、そういったもの全てが違う前提で聞く。だけど、自分の国に対しての価値観や考え方は、この中で自分が一番わかってるんだ、と信じて喋っていい。それぐらいで丁度いい。(擁護だけでなく自国批判も、その国で育った人間としての視点を持ちたい)

冷静に、理論的に、そして多角的に。引き出しはいくら多くても、充分過ぎることはない。

「我々はクジラを牛や鶏と同様、無駄にしない、頂いた命は全部感謝を持って美味しくいただく。ちなみにクジラは”尾の身”が一番美味いぜ」って解説も次機会があったらやってみる。








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