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All along The "Fire" Watchtower 備前市編 〜蕃山〜


備前市。何処も印象に残っている。ここはブルーライン蕃山しげやまIC脇のメタセコイヤ(「杉」だと思っていて写真集にはそう書いたけど多分、セコイヤでは無いかと)の毎年紅葉が綺麗だったので大判で撮影した後、振り返ったら遠くに見えた。

Nikon Z5 / Carl Zeiss 21mm f4.5 ZM
Hasselblad 500 C/M

後日、撮影に行くと、写真の通り新しい柱が設置され、スピーカーを取り付けている処だった。こんなタイミングはよくある。写真家として必要な能力として「間の良さ・悪さ」がある。いくら腕が良くても、所謂「持っていない」人間は素質が無いだろう。「カメラマン」と「写真家」の区別が良く議論されていたが、カメラマンというのは自分の専門を持ち、その機材もそれに特化した物を持つ。そしていかなる条件下でも、それなりの写真を撮る人間の事だ。アベレージヒッターとも言える。「写真家」というのは自分でテーマを持ち、自分の撮りたい物を撮りたい様に撮る。それは「ホームランか三振か」というレベルの物も沢山ある。その時、その瞬間にカメラを持っていなければならない。同じ条件、状況は2度と無い。「間が悪い」というのも意を返せば、考え様には「持っている」という事だ。そんな事が良くある。写真集のコメントで書いたが津山でSL(多分、R53号沿いの小学校内にあった)を撮影しようと朝早く行くと、総出で掃除していた。土日に櫓を撮影する事が多いが、日曜日などは併設の集会所なんかで集まりがあったり、雑草取りをやっていたりと、よく出くわした。美術作家として今でも一応そのつもりだ。写真家としてもその素質は今でもある様だ。本業の方は最近、神様のお告げが無い。若い頃は作品のことばかり四六時中考えていると、ある時フト、アイディアが舞い降りてくる。それを「神様のお告げ」などと言ってたりしたものだ。しかし、ベテランには神様は厳しい。ただ単に歳をとって堂々めぐりに気がついただけの事かもしれない。所詮、一人の人間のやることだ、自分が思っているほど自分の中に多くの物がないだけの話だ。公募展作家の様にいつも同じ絵を10年くらい平気に描くのは気が知れないし、デパートの美術画廊や街の美術画廊で幾らかの作品を売った処で、作家としてのプライドが保てる訳が無い。

柱の立つ前。
Nikon Z5 / Ai Nikkor 45mm f2.8 P
Nikon Z5 / Ai Nikkor 45mm f2.8 P

「蕃山」は岡山市民がフツーに読むと、岡山市内に蕃山町があるから「ばんざん」と答えるが、(しげやま)と読む。確か熊沢蕃山の邸宅がこの辺にあったと思う。

<了>