見出し画像

地方上京者の東京曲

・序文

約3年前、'19年4月に私は上京した。東京という地が初めてではないにしろ、血縁・友人などが皆無なこの場所でひとり暮らしを始めるに際し背筋が伸びる思いだった。


画像9

1.エンディング-羊文学『若者たちへ(2018)』

-''透明な街、東京は晴れ
呼吸は正常、心は空
透明な君、東京は影
呼吸が苦しい、風がいっぱい''

'19年から丸3年 東京の正体は知れず、地元にとんぼ返りしたのだった
意気込むこともなく渋谷と新宿の狭間に居を構え、怒涛の日々は文字通り怒涛に過ぎた つまるところ居場所がなかったのだ 働く地や居を動かし、流動的であることを心掛けた 気取られたくなかった 東京での日々は何かを構築しそれは私に大きく影を落としている
つまり透明な街東京は、自分次第でどうとでも色づくということなのか


画像2

2.茜さす、帰路照らされど...-椎名林檎『無罪モラトリアム(1999)』

-''夕暮れには切なすぎる涙を誘いだしているの?''

道を違えそうになり何をすべきかわからない'19年の夏に私は原宿駅前の交差点で夕暮れを見ていた。今は無き駅前の混沌とした喫煙所で、東京でも日は暮れるのだった。この曲を聴いて背中を押されたとかそういったことではなく、只美しい曲だなと思うにとどまった。
’’文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ’’(「侏儒の言葉」/芥川龍之介)とは芥川の言葉であるが、こういった何処か文法を無視したような歌詞は理解するより早く映像として心に染み入る。


画像3

3.美しき思い出-amazarashi『千年幸福論(2011)』

-''中野の駅前 月明りを反射して
キラキラしてた あの娘のピアス 
イライラする 美しき思い出''

終始暗く思える東京での日々だが、そういったことばかりでは無いというのも付記しておきたい。'21年の冬に中野に転居し、そこからの日々は上々であったと言える。都内は感染拡大の一途をたどり、仕事も長らく休みであったのにだ。良き友人とアートギャラリー、運命的な音楽作品との出会いと愛し合える人も見つけた。「美しき思い出」はそれこそ中学生から聴き続けていた。歌詞に散りばめられた東京の地名も時間が経つにつれて鮮やかになっていった。中野は月がよく見えたのだ。遠く新宿、住宅街に孤立しているかのようだった。それが心地よかった。「美しき思い出」は通常盤では「悲しき思い出」の表記になっている。見方を変えれば思い出は美しくも悲しくもあると言う事なのだろうが、悲しさはまだ見当たらない。


画像4

4.AM2:00-ACE COOL『GUNJOU(2020)』

-''AKLOのライブを見てた
俺は東京に恋したんだ
都会の風を感じた
こんなにやばい奴らが
朝家に帰って親に言った「東京に行くわ」''

熱い思いがないわけではなかった それらしい目標もぼんやりとあった。
少し遠出をするように、東京に行くことを親に告げた。気恥ずかしさもあったのかもしれない。変わる環境とそれに追随する精神がだんだんと熱を帯びてきた それに気づいたのは'20年の春であったと思う 有楽町に転勤となり責任が降りかかり 恋とは違うが、まだ帰れないと強く思った 阪急8階からみた都市は今でも忘れないし 丸の内の夜は明るい


画像5

5.東京絶景-吉澤嘉代子『東京絶景(2016)』

-''東京はうつくしい''

人間の諸所の感情 その受け皿となる東京は、それでも美しいと胸を張って言えるようになるまで随分とかかった。朝の表参道 新木場コースト 昼でも暗い甲州街道 リキッドルームにWWW X。THE GAMEのPRAISE、青山霊園、代々木公園、目黒川。夏の隅田川にはすべてが映る。明かりの消された東京タワーを見上げたことも 環境も友人も思い出も素晴らしいのだと思えたのは東京が美しいゆえだろうか 


画像6

6.東京-plenty『拝啓。皆様(2009)』

-''他の人が口にするほどヒドイ所でもなくて
自分自身が思ってたほど素晴らしいところでもなくて''

つまるところこれに尽きるのだ 都市は透明であり、向こうには私自身がいる
カルチャーショックも東京出身者の思わぬ温かさに触れたのも、首都の恩恵にあずかったのも、それはそれで完結すべきことでしかなかった。種類の違うそれらが地方の方々にあるはずだ。2年間自転車で走った代々木公園には確かな親しみを感じている 喧しいカラスにもだ でも海が近くにないことには辟易した


画像7

7.僕は初音ミクとキスをした-伊東歌詞太郎『二律背反(2015)』

''ねえ東京も慣れたよ 恋人はいないけど
心亡くさずにやってるよ''

ボカロ及びニコニコ動画に浸かり始めた14歳。その間最も聞いた曲の一つであろう今作。当時高校生の自分には漠然と響いた。'19年の夏代々木八幡の交差点を駆ける私にこの歌詞は牙をむいた。心を見失った事に今更気づいたのかもしれない。地元では宙に浮いていたこの歌詞が地に足を付けた。振り払うように代々木公園、表参道 248まで呼吸を失い 前のめりになっていた自分を見つめなおせたのもこの頃かもしれない 帰って起きるだけの日々を今でも鮮明に思い出せる。


画像8

8.23時各駅停車新宿-NORIKIYO『EXIT(2007)』

''何が正しい 何が間違い 
何が悲しい 何を感じたい
何を信じる 姿形 見えない何かに見出す明日
何が正しい 何が間違い 
何が悲しい 何を感じたい
何を信じる 姿形 見えない何か 結局それだろ''

私が敬愛するラッパーの一人''NORIKIYO'' クラシックと名高い『EXIT(2007)』に収録され、東京で彼を聴き始めたのは運が良かった。東京での3年間、新宿駅には仕事でもプライベートでも多く訪れた。特に小田急線を経ての終電新宿駅は思い出深い。'20年の秋、23時を過ぎた新宿駅で遅延により乗り換え列車が来ないとき、私は諦め改札を出た。適当な出口に狙いを定め地上に出たとき、無数の銀杏の葉がタクシーもまばらな道路に敷き詰められていた。こうも色づくものかと 私は少しの間立ち尽くした 
''何が正しい 何が間違い 何が悲しい 何を感じたい'' 


画像9

9.「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」
-サカナクション『834.194(2019)』

'19年の冬、リキッドルームでC.O.S.A.を見た はじめて彼を見た 彼の楽曲はHiphopの一つの正解だ それを裏付けるライブだった。田我流、C.O.S.A.、地方出身のラッパーが今こうして東京でオーディエンスを沸かしているのを間近で見た。地方在住のものからして、新木場スタジオコースト、恵比寿リキッドルーム、渋谷WWWは憧れの場所なのだ。スタジオコーストで見たcoldrainもWWWで見たC.O.S.A.の初ワンマンも、宝のような思い出である。
勿論、東京生まれのフリをして。

余談だが、福岡育ちの上京者として椎名林檎には言いようのない親近感を覚えている。
「正しい街」「罪と罰」「闇に降る雨」,「私生活」「落日」は東京を闊歩しながらよく聴いたものだった。秋ヶ瀬公園に行けなかったのは悔やまれる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?