昔の私立中学受験 地元の話

前回は社会的な背景ばかりになってしまったが、当時の受験生たちはどんな様子だったかというと・・

当時の東京の進学塾事情

その頃は四谷大塚進学教室が一番大手で実績も最高であった。
今は単に四谷大塚というらしいが当時も通称は単に「四谷」と言ったりしていた。
4年生の3学期から入ることができた。
四谷大塚だが本部は中野にあった。

予習シリーズというテキストにそって勉強して日曜に到達度を測るテストがあってその後解説がある。

生徒にはランクがあって、まず会員、準会員の区別があり
会員も成績順に中野会員、四谷会員、水道橋会員、池袋会員、拓大(拓殖大)会員、だったかな?忘れた。
私は会員になったことがないので。
まず日曜テストと解説の会場が違う。
またそれぞれに国立1組・2組、麻布1組・2組、慶応組1組・2組という組分けがあった。
夏期講習なども上位クラスから先に受ける権利があったように思うのだが、よく知らない。
時々成績評価のテストがあってそれでクラスを変えていた。
麻布組ってのが面白いが、当時は麻布>開成なイメージだったのだ。
国立組は多分筑波大駒場のイメージなのだろう。知らんけど。

会員になれない生徒はどうなるかというと準会員になった。
準会員になれないと入塾もできない。

元々は会員以外は一般生と言っていたのだが、私が入った頃から一般生が多すぎて会場に入りきらなくなり準会員という形で制限を設けるようになったのである。

準会員はクラス分けなどなく要は旧一般生である。
一般とは予習シリーズで自分で勉強してこい。日曜テストと解説授業は受けさせてやる。ということだ。
専門学校のでかい教室で日曜テストがあってあとはササッと解説しておしまい。
ちなみに私は準会員であった。



もう一つ日本進学教室というのが四谷大塚より早くからあった。日進と言っていた。
ここも日曜テストだけなのだが予習シリーズのようなものはなく6年生から開始だったので徐々に人気を失い新興勢力の四谷大塚に取って代わられようとしていた。

他に日本能率進学研究会というのもあった。今の日能研らしい。私は行ったことがないのだがより低学年から受験勉強する子はここに行っていたように思う。

あと桐杏学園と言って当時は開成受験専門の塾なんてのもあった。今は小学校受験で有名らしい。

他に個人の塾もたくさんあったが、大手進学塾で周囲で通っている子がいるのはこの4校くらいであった。
4年生になってから四谷に入るのでは遅いというので早い子は3年生くらいから低学年向けの塾で勉強を始めていた。
また四谷は一般の生徒には日曜テストだけで授業がないので他の塾を掛け持ちする人が多かった。



品川区のある小学校の場合・・


私自身は5年生の夏から遅まきながら中学受験に参入し、四谷に入ったのは6年生からであったが、当時でも遅い方だったと思う。
少なくとも小学校の同級生の中では一番遅かった。
結果として中堅のパッとしない中高一貫校に入ることになった。

とは言っても、同じ小学校の同級生たちは皆小学校4年生くらいから始めているのだが、途中でついていけなくなる、まったく成績的に届かないので諦める、受験間際に疲れてしまったのか急に成績が落ちる、などでかなりの子達が脱落して行き、受験時に私より成績が良かった子は3人しかいなかった。

通っていた小学校のレベルがあまり高くなかったせいもあるのだが、だれも結局筑駒、御三家レベルに達しなかった。

その後の大学受験でも東大には誰も入らなかった。入った大学は中央値でMARCHくらいか。
学歴ロンダリングなのか大学院で東大に行った奴はいたが。

これが品川区のある公立小学校の確か1学年170人くらいの私立中学受験結果であった。


まあこれが現実である。
今でもSAPIX出身者の将来卒業する大学の中央値はMARCHに届かない、などと言われるが、多分本当だろう。昔からこんなものだ。

印象としては大学受験(と卒業後の活躍)までもたずに途中で疲れて脱落してしまう人が多いと思う。
勉強がストレスにならない子ならいいのかもしれないが、そうでなければあまり早くから始めて中学受験で脱落したのでは良くないと思っている。



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