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昔の早稲田大学理工学部入試

昔の受験シリーズ またいってみよう。

昭和58年2月 早慶の理工学部を受験した。

なぜ慶応でなくて早稲田の話かというと、早稲田の入試が今まで受けた試験の中で一番印象的だったからだ。慶応のことはあまり覚えていない。
当時私立理工学部は早稲田が最難関であった。


センター利用というのはなかった


これは早稲田だけではなく、全ての私立がそうであった。
大学個別の入試だけ。
多くの大学は推薦入学と個別のペーパーテストのみ。シンプルであった。

入試配点が変だった


当時の早稲田理工の配点は
数学54点、英語54点、物理27点、化学27点
計162点
中途半端だが、これで満点。
建築学科だけデッサン18点というのが加わって180点満点であった。
それ以外の追加点はない。

どういう理由があってこんな半端な点数なのかわからない。
今でも物理27点というのが強烈な印象なので覚えている。


最難関理工学部なのに数学が超簡単


当時、何年も続けて早稲田の数学の問題は簡単であった。
大隈重信が数学が苦手であったから、という噂もあったが真相はわからない。

「大学への数学」という雑誌があるが、確か昭和57年入試で
「これで試験になるなら早大理工の行末が案じられます。」
などと、入試問題が酷評を受けていた。

だからかどうか知らないが、昭和58年の数学の問題は標準的な問題になった。(難しくはなかったが)


物理が激ムズ


そのくせ物理は超難しかった。27点しか配点がないのに。

数学は簡単なのに論述式であった。
ところが物理は、難しいのに解答欄のマス目に数字やアルファベットを入れるだけ。1個1点とか2点とか?
途中の過程など、全く見ない。
多分事務員が採点しているのであろう。
ケアレスミスしたら大失点してしまう可能性がある。

が、昭和58年の問題は少し易しめであった。


受験生がすごい数


今の早稲田理工の志願者は1万人台のようだが昭和58年は確か3万人ほど受けていた。

理工学部は大久保にあるが、試験は早稲田の法学部の600人くらい入る大教室で行われた。
早稲田の駅から大勢がゾロゾロ歩いていってキャンパス内は大混雑。でも大隈講堂が見られてよかった。
これがあの早稲田か〜、とちょっとした感動があった。
早稲田の街も、何とも味があって良かった。学生生活が楽しそうに思えてくる。

慶応の方は日吉の駅近の慶応高校が会場だったのが印象が薄い理由でもある。

ちなみに、早稲田理工の募集人数は確か2000人くらいで名目倍率は15倍くらいあるが、推薦入学と附属からの進学も含んでいた。500人くらいもう埋まっているとしてあと1500人、東大、京大あたりの志願者が皆入学辞退すると考えると実際の合格者は3000人くらい?それでも競争率は10倍ということになるのだが・・・

どいつもこいつもみな白紙


だだっ広い教室で受験生は大きく離れて座って、真剣に試験問題に取り組んでいるように思えたが、終わってみて答案を回収している様子を見たら、両隣のやつも前のやつも、どいつもこいつもなんと答案が白紙だったのだ。
まともに回答してるのは4-5人に一人くらい。じゃ実際の受験者は7000人くらいか?だったら競争率は2倍くらい?
まあ、もともと自分よりできない奴が何億人受験しようとそんなのは自分の合否に関係ないが。
でもその7000人が東大、京大あたりの受験生としたらそれなりに難関ではある。

合格最低点は学科ごとに違った。
最難関の物理学科は120点前後で資源工学科などは80点くらいであった。結構差がある。試験後に毎年発表されていた。

昭和58年は数学が難しく、物理が簡単だった。
自己採点では結構取れたと思ったが、この年は全体として問題が易しく合格最低点は例年より高いと思われた。だから受かったかどうかギリギリまで心配していた。

当時「笑っていいとも!」がまだ始まって半年くらいであったがテレビでタモリを見るたびに憂鬱になった。

今でこそタモリは知的なタレントみたいな顔をしているが当時はまだ若手のお笑い芸人で、ブリーフ一丁でイグアナのマネをしたり、ハナモゲラ語とかしょうもない芸が売りで、早稲田のアホバンカラ学生そのものであった。
早稲田に落ちたらこいつ以下かあ〜と思った。

笑っていいとも!は毎日昼になると放送される。
なので毎日、もっと簡単な学科に出願しておけばよかったとか、自己採点をやり直してみて点数が足りないかも、と思ってまた落ち込んだりしていた。
だからあの変な配点をまだ覚えているのである。

合格発表も大混雑


合格発表は確か理工学部のある大久保キャンパスだった気がする。
駅から大行列で、発表を見に行く人と見て戻ってきた人で大混乱していた。
えらい混雑ぶり。あの白紙答案の人たちもわざわざ発表を見に来たのかな??

合格者は入学手続き書類の入った早稲田のロゴ入りの封筒を持っているので誰が受かったか落ちたか丸わかりであった。大勢人がいたがほとんどの人が手ぶらで何も持たず、駅に向かって歩いていた。


私ですか?
早稲田の封筒胸に抱えて帰りました。


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