私が泣いた理由についての考察

最初に申し上げますが、僕はM-1を語るつもりなど一切ありません。ただただ自分のことについて述べるだけの自己満足文です。



M-1グランプリ2021が終わってしまいました。

まだご覧になってない方、ネタバレします。

優勝は錦鯉でしたね。おめでとうございます。

さて本題です。
最終決戦、審査員の方々の票が開示されて、今田さんの「優勝は錦鯉!」を聞いた瞬間、僕の目から涙が出てきました。

ここまでは通常通りです。前にもどこかで言いましたが、僕はすぐ泣くので、M-1の煽りVでも泣きます。ボケでない限り、「泣いた」とツイートしてるときは本当に泣いてます。


しかし今回は違いました。
僕の目から溢れたのは、止まることのない大粒の涙でした。

番組終了後まもなくして、M-1を観ていた友達から電話がかかってきました。彼もお笑いはかなり好きですし、予めLINEで「泣いてる」と伝えていたものの、涙が嗚咽へと進化していた僕は電話に応答すると同時に引かれてしまいました。
話している内にやっと泣き止み、電話を終えて別の人と通話をしましたが、涙腺のブレーキが効かなくなったのか、涙は時間を空けて幾度となく流れていました。
M-1を真剣に観るようになってから、こんな経験は初めてでした。


僕は霜降り明星を2017年あたりから応援しています。ですので、お二人がM-1優勝した時さえも涙はチョロぐらいで、あとは喜びの方が勝っていたので声を上げて大興奮していました(粗品さんのアナザーストーリーは結構泣きました)。

なぜでしょうか。

昨年のM-1アナザーストーリーを観ていたとき、当時49歳の長谷川さんが「やっと親孝行できた」と仰っていました。そこから一年経っての優勝でしたから、それも一因としてあるでしょう。


しかし、最大の要因は自分に置き換えた所にあると考えられます。

人としての尊敬はさておき、親としての感謝という観点から、自分の過去や現状を踏まえると親に孝行したい理由は山ほどあります。

でも考えると怖くなります。

何が親孝行か。いつまでにできなきゃいけないだろうか。果たしてそれは自分にできることなのだろうか。

最近はそんなことをずっと考えていたので、錦鯉の優勝には、まだ諦めなくていいと思わされたし、諦めるには早すぎるんだとも思わされました。
勝手な憶測ですが、「いつまでやってるの」なんて周りからも言われたでしょうし、自分に問いかけたこともあったと思います。
それでも自分の決めた道を信じて、バカな漫才で結果を残したあのお二人が本当にカッコよかったです。

今大会で全国のおじさんが希望をもらった、という意見等を見かけました。しかし、僕としては、実は全世代(50歳以下)が希望をもらえる大会だったんじゃないかな、とも思いました。
少なくとも23歳の僕は確実に何かをもらいました。


どうせならああなりたい。

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