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「布教とロックと野外劇」のあんじーインタビュー


ストレンジシード静岡のサポートスタッフ、その名も「わたげ隊」。ストレンジシードってどんなフェス? どんなアーティストが出るの? ということを伝えるべく、地元・静岡を中心に活動するわたげ隊が出演アーティストにインタビューする企画。のあんじーさんが登場です。

わたげ隊がゆく!

ストレンジシード静岡2024 アーティストインタビュー
ゲスト:栗栖のあ、アンジー(のあんじー)
聞き手:えり(わたげ隊)

のあんじーってなんだ

えり  まず2人の自己紹介や劇団の紹介をしていただいてもよろしいですか。

アンジー  じゃあまず「のあんじー」の紹介からさせていただければと思います。2019年8月4日に千葉の断崖で結成をいたしました。基本的に野外劇というのをやってまして、最初断崖から始まったりとか河原、街、市街地的なものだったりとか劇場以外の室内も多くて、劇場じゃないとこでやった方がいろんな人に見てもらえるよねというのがあります。
「(栗栖)のあ」と「アンジー」っていう名前を足したすごい単純な名前です。

栗栖のあ  栗栖のあ、と言います。栗栖っていうのはクリスチャンのクリスなんですけど、父親が教会の牧師で私自身も生粋のクリスチャンなんですね。中高演劇部だったんですけど、高校出てからも演劇をやっていきたいっていう気持ちがあって、アンジーさんと出会わせられたというか、出会いまして。1年に1公演はできるっていうありがたい環境をもらったんです。クリスチャンなので、キリストをとにかく人に信じて欲しいって気持ちがあって。だから公演を打っていく中で、来てくれたお客さんたちに「キリストを信じてくださーい!」「地球上に私という1人以上は、あなたがキリストを信じるってことを望んでるってことを絶対に忘れるなよ」みたいな、気狂いくらいのテンションていうか。

アンジー  インタビュー記事に気狂いとか言ったらダメだろ(笑)

左:栗栖のあさん、右:アンジーさん


のあ
   そうね。情熱でやってます!だから演劇は好きだし演劇をやりたいって気持ちもあるんですけど、ある種伝道の道具にしてるというか、そういうレイヤーもあります。趣味は伝道、そして演劇みたいな感じで私は活動してます。

アンジー  彼女は目的が布教なんですね。けど、私はノンクリスチャンで特に神を信じておらず、好きなものはロックですね、60年代ロック大好きで、アンジーっていう芸名もローリングストーンズっていうUK60年代のバンドの曲名からとってる、どちらかというと悪魔よりな人間でございます。

野外にそもそも興味を持ってるのは、弟が障がい者でして障がい者福祉研究にそもそも関心があったんです。その一方で高校演劇をやってく中で、どうやら私に共通する好きなものって「寛容さ」っぽいぞ、みたいなことが分かって。どうやったらみんな寛容になるんだろうみたいなことを思ってました。

野外劇ってある種、ちょっと暴力的に捉えられると思うんですが、一方で、別に街中で叫んでる人がいてもいいじゃないですか。世界ってそういう障がいのある人もいるし、酔っ払いもいるのに、その人たちが叫ぶのと(大声で叫ぶこともある)演劇やるのってどう違うの?みたいなのがずっとあったので、野外ができるだけ何でもできる場所になったりとか、街中が誰でもいやすい場所になったらいいな、みたいな気持ちで野外劇を選んでやってますね。なので、あんじーの信念とは全く重なっていない(笑)

のあ  (私とアンジーは)作品の中でだけ合流してるんですよ。

アンジー 信念だったら真逆なんですね。でも舞台をやると絶対同じところに人が立つじゃないですか。なぜか成立するというのがいいところだなとか思いながらやっております。


ピクニックのおかたづけ

えり  プログラムの説明に「太宰治を下敷きに、取り返しのつかないことに挑むピクニック演劇」とありました。まず「ピクニック演劇」って何だろうと思ったんですね。演劇とピクニックがどういう風に繋がるのかっていうのは私は想像できないし、しかもそこに太宰治の下地があるって書いてあって。今回の作品について教えていただいてもいいですか。

のあ  ピクニックって言い出したの私なんですけど、例えば海に行った後にわーいって遊んで、遊んだ後に砂だらけの足を洗ってまた靴履いて、でもまた砂入ってるみたいな。水着を脱いでも結局砂まみれでめちゃくちゃ疲れてるし砂も落ちないし、あんなに楽しかったのに「あ〜最悪」みたいな。

アンジー  遊びに行く前って、水で砂を流さないといけないことを忘れてますよね。

のあ  特にその後のこと何も考えてないじゃないですか。例えばいろいろな機会が失われてったコロナとか。

アンジー  2024年になって、もうみんなアフターコロナという言葉さえ使わないくらいになってるじゃないですか。一方で「元に戻ったね」という言い方をするのがあまり好きではなくて。
全く元には戻ってないわけですよ。新卒の同期を見てても、飲み会に行ったことがないとか幹事経験がないとか、サークルがなかったから先輩というものがいなかった、みたいなのを見てると、うちらの代って30代になってオールのカラオケにはまり出すんだろうな、みたいな悲しみがずっとあって。あの時大学生だったからまだマシでしたけど、高校生とか中学生とか。

のあ  文化祭とかなくなったりね。

アンジー  ね、私高校でコロナ来てたら演劇やってないって思ったらめっちゃ怖いもん。

のあんじー  ひどいじゃんねー。

アンジー  だから、なかったことにするとか終わったことにするとかって、それで救われる人あんまいないよな~みたいな気持ちがあり。それってピクニック終わった後の気持ちと似てて、後片付けが1番大事だよなって話を(のあさんと)してましたね。取り返しつかないんですよ。コロナがあったのはしょうがないじゃんってみんな言うし、あれ何だったんだろうねみたいな言葉で全員片付けるけど…取り返しつかないのは理解しているが!じゃあ取り返しをつかせようという方向に足掻いてみてもいいんじゃないだろうか、という気持ちがありまして。

のあ  ピクニックやってはしゃぎまくってぐちゃぐちゃに散らかしまくって、片付け不可能くらいの状態を作ってでも絶対に片付けるぞっていう、ここを乗り越えるぞみたいなことを(演劇で)やりたい。

アンジー  逆にストレンジシード静岡さんじゃなかったら、自分たちの自主公演とかだったらあんまり選ばない題材な気はしています。やっぱストレンジシード静岡さんっていう、特に演劇を普段見ない方が来るだろうとか、行政と一緒にやっているとか町興し的なものと親和性があるこのイベントがあるから改めて考えたことでしたし、太宰とかピクニックのモチーフは混乱の中で生まれてるんです。

のあ  混乱の中で(笑)

アンジー  うん混乱の中で(笑)

のあんじー『待たない!』イメージビジュアル


私は待たない!

のあ  今回太宰治の『待つ』っていう小説を取り上げるってなったんですけど、私『待つ』のことを全然好きになれなくて。短い小説なんですけど、二十歳の女子が駅のベンチに座って誰かを待って、その誰かがなんか怖い。お化けが来るかもしれないし暴漢が来るかもしれないし、女の人かもしれないし子供かもしれない。それが怖いけどワクワクするんだけど怖いけど誰かを待ってる。その二十歳の女の子の心情がガーって書かれているんですけど。

太宰治『待つ』(青空文庫)

アンジー  題材とか大体私が選んだり進めたりするんですけど、(のあさんが)すげえ納得しない時があって。私も納得しない時もあるしね。でもやるんだよ!!とか言ってやらせている。何も合意したことがないかもしれない。

のあ  とりあえず、もうやるって段階になったら考えるしかないからそれで作るしかないんだけど、私は『待つ』が嫌いなんだみたいな。そこも組み込まれて『待たない!』にしたんだ。

アンジー  待たない!になってる理由は、待つのが嫌だから。


のあんじーの作り方

のあ  のあんじーの劇の作り方なんですけど、実際この2人しかいないんですよ。メンバーが5:5のユニットで作品も出来上がってきたら5:5みたいな風になるんですよ。だからセリフも小説のままやる事が多いので、ガーって交代しながら喋るんですよ。

アンジー  のり台本。

のあ  そう文字だらけ(で真っ黒)なんでのり台本って呼ばれてるんですけど、のあんじーってこの2人の女の人生を演劇に乗せるぞみたいな。

アンジー  あ、大事なことを言っている。

のあ  そうなのよ、うちらのねコンセプト的なところをね。私たちの個人的な私生活とかあとは考え方とか最近あったこととか、それに対してやっぱりこう思うよなとか、いやこうなんじゃないかなみたいなことをその小説に挟み込んだりして、自分語りを入れるんですよ演劇に。うちらの人生がその演劇のレイヤーに入ってて、それを皆さんに見せて上演する。

アンジー  さっきのコロナの話もそうなんですけど、前提として演劇っていうのが自分たちの人生をもりっと乗せるためにあって、基本的にどっちかの関心事だけが乗っていくことが多い。演劇界とか社会情勢とか、そういう全体の地図でここをやるべきなんじゃないかみたいなノリでは全然やっていなくて。

のあ  個人の視点から出発してるというか。2人の一人称視点しかないからこのユニットには。
私の見ている世界とアンジーさんの見てる世界しかないから、あれよね、小説世界を組み合わせてんじゃないの?

アンジー  まとめて…

のあ  見れば分かります。

アンジー  あ!本当にそれ!


のあんじーのなんだ

えり  今年のストレンジシード静岡のテーマが「なんだ?なんだ?なんだ?」なんですけど、それにちなんでお2人が最近「なんだ?」と思ったこと何かありますか?

のあ  エクセルかも。

アンジー  人生すぎるよー生活すぎるよー。

のあ  いやでもエクセルやっぱ答えあるから。でも無意味っていうか突然フリーズしてバンってデータ消されるみたいな。

アンジー  そんなことないよ、マイクロソフトは頑張ってんだ。私なんだろうな〜。でも「なんだ」も種類ありますよね。ハッピーな「なんだ」みたいなのもあれば、多分(職場の)会社に対する「なんだ」はぶち切れだからなんか良くない気がする。ハッピーな「なんだ?」はなんだろうな。

「なんだ?」を語るお二人。


のあ
  あ、シェアハウスに引っ越してまだ入居2週間なんですけど、一緒に住んでる人がベッドになんかつるそうとしてて、上に天蓋を吊るそうとしてなんだ?ってなった。すげえ!プリンセスのやつ!人間ってこれやれるんだ!みたいな、プリンセスの家庭に生まれなくても自分で天蓋って設置できるんだって。


不安の分からないから探求の分からないに

えり  最後にストレンジシード静岡にいらっしゃるお客さんにどんな「なんだ?」をお届けしたいですか。

アンジー  そうですね、多分今回のラインナップの中でピカ1で知名度が不明なのが自分たちだと思っていて。そもそもうちらという存在に対してなんか生きのいい何かがいるんだな、でもなんだろうなみたいな気持ちで来てくれると嬉しいですね。多分「なんだ?」だと思うよ

のあ  私はもう「クリスチャンってなんだ?」。クリスチャンあんまりいないから、出会いに行くっていう感覚なんだよねいつも。

アンジー  今回ストレンジシード静岡さんはイベントっていう建付けがあるので、無理やり世の中にねじ込みに行くみたいな。うちらの普段やってる、特に私が目標としている形とはまたちょっと異なるものだと思うんですが、一方でやっぱそういう建付けがないと怖くてうちらに会いたくない人っていっぱいいると思うんです。河原で大暴れしてるやつにわざわざ会いに行きたくない人いっぱいいると思うんですよ、ていう中でやっぱうちらも今回は害のない感じで。

のあ  うん。

アンジー  絶対にあなたのことを傷つけない。

のあ  そう。

アンジー  絶対にあなたは怪我をしない。

のあ  そう。

アンジー  絶対にあなたは困らない。

のあ  うん。

アンジー  綺麗なベベを着ていても大丈夫。

のあ  そうだね。

アンジー  という保証をした上で、うちらに対して興味を持ってなんだなんだと思いながら会いに来てくれるとうちらはより意味のわからない問いかけをあなたに渡して困らせて返します。

のあ  困らせないって言ったのに、でも困らせる。

アンジー  分からなくて触れない、じゃなくて触れたけど分からないに跳躍するということを今回俺たちはやるぜ!大事だよな。

のあ  大事だね、うんうん。

アンジー  皆さんの分からないということが、「不安」の分からないから「探求」の分からないに。

のあ  うん、それ大事すごいいい言葉。

アンジー  すげえいいこと提供します。

えり  ありがとうございました。のあんじーさんの作品を静岡で見れるのを楽しみにしています。

のあんじー  ありがとうございます、よろしくお願いします。


のあんじー
演劇界のプリキュア、のあんじー!2019年8月4日、千葉県銚子で行われた断崖演劇にて結成。生粋のクリスチャン「栗栖のあ」と、ロックを愛する「アンジー」。現在23歳の女2人で、4年間に28公演を敢行。77歳解散を目指し、あと54年邁進する予定。

崖、河原、公園、九州の山中から西成・六本木・高円寺の街中まで駆け巡って芝居を続ける野外劇コンビ。文学的なテキストにねじ込まれる私語り、居合わせた人々すべてを巻き込む予測不能な展開で、「のあんじーは〈演劇〉ではなく〈演劇のような事件〉だ」と賞された。
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ストレンジシード静岡2024
のあんじー
『待たない!』


日程:2024年
5月4日(土・祝) 13:15 / 16:45
5月5日(日・祝) 13:15 / 15:45
5月6日(月・振休) 13:15 / 16:45

会場:PARKエリア|芝生(駿府城公園内 東側)から二ノ丸橋への移動型パフォーマンス

原作:太宰治
出演:アンジー/栗栖のあ
詳細はこちら

インタビュー・テキスト:えり(わたげ隊)
記録:みか(わたげ隊)
編集:天野
ストレンジシード静岡 事務局:山口良太、草野冴月、天野仁

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