【想像の番人シリーズ】 Part.4  「ヴィンセントには見える2つ目のスイカ:前編」(No.0020)



 地元ヤクザの嫌がらせで収穫出来ずに日に日に熟して割れていくスイカを前にヴィンセントは怒りを燃やし闘いを決意する…。


レナードの「ミスターマジェスティック」が与える震えはあまりにも具体的過ぎる目的と手に触れられるどっしりとした丸い果実のその先にある抽象性が瞬く間にやって来る為に、この農家のおじさんが実際何を見て感じているのかをめまいで思わず取り逃してしまう事が理由かと思います。


ヴィンセントには目の前のスイカは見えず、来年収穫するスイカが見えています。目の前のスイカの収益で来年の収穫までを過ごす設計図は彼の想像の中だけにあります。
でも、この設計図は同じ農家なら覗き見可能でお互い共有も出来るのです。


しかし地元ヤクザを組織ごと皆殺しにするプランとその為のテクニックが書かれた設計図は他の誰にも読むことは出来ません。彼の殺人テクニックは賢くもベトナムで肉体から経験として入り全て頭を通過してイメージに蓄積され日々整理整頓されています。


人はサイゴンに行かずともこのプロセスは日常で利用可能ですが、似通った教育を受けてもしてる人してない人でこうして差が生じ、それを個性と名付けたフタで忌々しくも抑え込まれますが、誰であれこの息苦しさは訴えられてもそこからの壮大なまでの人生の損失には怒りすら抱きません。


右手が得た経験は上記のプロセスを踏む事で左手も鍛錬により使える様になりますが、右手という肉体の経験のみで留めた場合、左手は同じ経験以外で知る事は出来ません。
想像に溜め込まれたものは何時でも触れられ加工も発展も制限はありません。


今あなたがどこに居ようとも関係なく自分の部屋を両手に持った刷毛とペンキで白く塗り替える事が出来ます。その後に自分の顔をぺちぺち叩くと顔には白い指の跡がついてしまうでしょうし、笑いながら洗面所に向かい洗い流す事も出来るのです。



後編へ続く

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