【楽園の噂話】 Vol.18 「もう、すでにできている」 Part.2 『知性にロック』 (No.0120)

 自分一人しか居ない深夜の家の中で、眠りにつこうとした時に,何やら小さい物音が聞こえてくる。
一度意識してしまうと、その細やかな物音が気になってしまい眠れなくなる。

寝よう寝ようと考えるほど、段々凄く大きい物音のように聞こえてくる・・・。


ホラーなものに限らず、不快な人の声や隣人の騒音なども、気にし始めるとどうにも耳が音を拾ってしまいイライラが募るものです。


特定の色のコートを見かけると指に指輪があるかを確認してしまうヒット曲もありましたが、人はたとえ小さいものであろうと小さい音であろうとも気になったものには焦点が自動的に合うように感覚をセットする力があるようです。

人間にあらかじめ備わっているこの力のことを教わることはまずありません。
しかし分かる人は分かっています。


前回書いたウォーリーでもそうですが、細かいところに意識や視線が向いてしまうと今の自分が一体何を目的にしているのかを見失いやすくなります。

広い全体を見渡す目線は、現在の時間も越えて先のこともきちんと把握しているものですが、ある条件で視野が急速に狭められ細かな事に全身の神経を研ぎ澄ますように意識をセットしてしまうと、その本人が自分のテリトリーとして把握する空間は、地理的な幅も時間的な距離も小さくなってしまい、まるで小人になったように近視眼的な思考に変化してしまうのです。

20年後の将来を見据えた冷静な人も、特定の操作によって15分後にやってくるランチタイムのメニューに心も知性も奪われてしまうのです。

始めに書いたホラーな瞬間がとりわけ有りがちで判りやすいですが、人は情動を揺さぶられるとそこに意識の焦点が合ってしまいます。恐怖感や痛み苦しみが人の意識を肉体に引き戻し閉じ込めてしまうのです。

これが日常的に繰り返されると、肉体的な情動の先にある世界を全く理解できなくなります。

ただ生きること、その当たり前に許されているはずの生の全うが特別視された世界だと、人は獣同然に肉体の充足だけを目的にし、その場その場を彷徨うように人生を浪費し続けていくだけになるのです。

さきのマスク騒動を一々取り上げるのも野暮ですが、自分の命や生活だけにしか意識の無い生き方が杖を付いた三本足の老いた人にまで徹底的に浸透しており、当然梅雨を控えた現在でも絶賛継続中である今の世の中は、とても残念なことにこの情動を的にした恐怖政治がバッチリと敷かれているのです。

当然前の戦争の時だって今と全く同じ作戦が我々に採用され続けて居たことは調べるまでもないでしょうし、もちろんそのはるか前から実行されていたに違いありません。
事実昔は物資も技術も貧しくて、言葉通り生きること、ただ食べることそのものが大変であったのですから、特別な操作はそこまでせずとも人々を情動に括ることは出来たでしょう。

しかし、2000年を越えスマホの時代になった今でも、まだ採用されているのは、過去に上手く行った成功体験を根拠としているからでしょう。


また多くの人々を情動に縛り付け考えられない獣同然にまで貶め、僅かな者たちで管理運営していきたいと心から望む残酷な連中が、今日も今日とて人々の知能に鍵をかけようと画策している姿が散見されます。


Part.3につづく

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