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コンプレックスについて

 チビである。デブである。おまけにブスである。滑舌は悪いし、最近は抜け毛も増えてきた。いわゆる人からコンプレックスと言われるあらゆる要素を備えている。しかしこれらのことを僕自身はコンプレックスと思ったことは全くない。
 ……少しだけ嘘をついた。デブと言われると少し傷つく。だが、深刻に捉えたことはない。敢えて時代錯誤な表現を借りていうと私は「女の腐ったような」ウジウジしてネガティブな男なのだが、不思議なことに身体的コンプレックスは生まれてこの方ほとんど感じたことがない。

 はい、じゃあ今回のテーマはこれにて終了~!……とはしたくない。よろしければもう少しだけお付き合い願いたい。

 高校の頃から背が全く伸びなかった。入学当初「すぐ大きくなってキツくなるから」と言われ半ば無理やり買わされた一回り大きい学生服を未だにズルズルと引き摺っている姿を見て、両親は心配したのだろう。二人は僕を大学病院に連れて行った。女子中学生の平均身長よりも低かった私は病気を疑われ、ありとあらゆる検査を受けた。結果判明したことは「人より骨の成長が早すぎた」という事実であった。本来男性であれば二十二歳頃まで骨が成長し背も伸びるそうだが、僕は十六歳で完成していた。骨だけ立派な大人になっていた。つまり「大人の階段を二段飛ばしで駆け上がっていた」のだった。この結果に父はオイオイと泣き崩れ、母はにべもなく笑った。肝心の僕は大して何も感じなかった。

 女性には歯牙にもかけられず、ある時は同性の者から「七度この世に生を受けても、お前にはなりたくない」と言われたこともあった。青春時代に受けたこれらの冷遇、罵詈雑言はさすがに堪えるものがあったが、最後まで分け隔てなく接してくれる友人を得ることもできたので、悪い思い出でもなかった。

 おそらく僕と同じ身体的特徴を持つ人はコンプレックスを感じ、辛い思いをしているのだろう。今思うと、何事も後ろ向きに考える僕が何故こんなにもあっけらかんとしていたのか自分でも不思議に思わないでもないが、つまりはこういうことだ。
 自分がそういった要素に他人と比較すべき価値を見いだしていないからだ。例えば貴方が好きで本を読んでいたとして、周りからそれを馬鹿にされても大して気にならないだろう。他者を躊躇いなく揶揄するという無神経さに腹を立てても、読書をコンプレックスに思うことなんて殆どないのではないだろうか。
 
 確かに世間一般では背が高くて見目麗しき男前、俗な言葉を借りればイケメンな方が良しとされる。しかし蓼食う虫も好き好きとはよく言ったもので、万人が諸手を挙げてそれを受け入れるわけではない。
 いわば僕はパクチーである。パクチーほど好き嫌いが分かれる食材もそうないだろう。イケメンというカオマンガイの端でパクチーの僕はひっそりと佇み、提供されるや否や即座に鼻つまみ者として皿の外に追いやられる。しかし、たとえ大多数の人から好かれなくても、たまたまその人の好みに合わなかっただけである。一方で中にはパクチーが好きでタイ料理屋に通う殊勝なモノ好きもいる。

 カレーやラーメンみたいに華やかな人気者であっても好みじゃないという人はいる。店に入って「人気メニューだからとりあえずカレー!」「味はともかくラーメンだからひとまずOK!」という人間が少しばかり多いというだけだ。人をチビだのデブだのと笑うヤツはそういう表層的な価値基準でしか人を判断できない人なのだ。大事なのは自分を受け入れて何を考えるかということなんじゃないかな。

 なになに?そんなこと言っても負け惜しみにしか聞こえない?
……あなた、パクチーはお嫌い?

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