仙台地判令和元年5月28日の評釈(1)

① 新井誠(広島大学大学院法務研究科教授)の評釈

② 髙希麗(神戸大学助手)の評釈


学部ゼミ(生命環境倫理と刑法)のテーマ:「旧優生保護法の問題点」関連のノート(とりあえずネット上で見れるものから)

さらに文末の記事にあるように6月30日には、東京地裁の判決もあるので、その前に論点を概観しておきたい。

1 仙台地判令和元年5月28日

【事案】1948年制定の旧優生保護法に基づき、原告ら(60歳代、70歳代の女性2名)は、10歳代の時に強制的不妊手術を受けた。→強制的不妊手術の根拠となった旧優生保護法第2章、第4章及び第5章の各規定が違憲無効であり、子を産み育てるかどうかを意思決定する権利としての「リプロダクティブ権」を侵されたとして、国に対して賠償請求
(1)主位的請求:旧優生保護法が1996年に母体保護法に改正されながら、その後も、被害回復のための補償に関する立法措置を国会が執らなかったことをめぐる立法不作為、または、厚生労働大臣が補償に関する施策を執らなかったことをめぐる施策不作為→違法:国賠法1条1項に基づく損害賠償(争点1)。
(2)予備的請求:国賠法4条により適用される民法724条後段(除斥期間)の規定の本件への適用が憲法17条に違反(争点2)/当時の各厚生大臣が、旧優生保護法制定の1948年7月13日から本件優生手術を防止することを怠った→違法性:国賠法1条1項に基づき損害賠償を求めた/損害額

【判旨】1  立法不作為による国家賠償請求(争点1)
(1) 違法性:「法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが 明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合や、国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが 必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれ を怠る場合などにおいては、国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして、例外的に、その立法不作為は、国家賠償法 1 条 1 項の規定の適用上違法の評価を受 けることがあるというべきである」。

 (2) 憲法適合性:「人が幸福を追求しようとする権利の重みは、 たとえその者が心身にいかなる障がいを背負う場合であっても何ら変わるものではない・・・子を産み育てるかどうかを意思決定する権利は、これを希望する者にとって幸福の源泉となり得る・・・人格的生存の根源に関わるものであり・・・憲法 13 条の法意に照らし、人格権の一内容を構成す る権利として尊重されるべきものである・・・[旧優生保護法は]子を産み育てる意思を有していた者にとってその幸福の可能性を一方的に奪い去り、個人の尊厳を踏みにじるものであって・・・何人にとっても、リプロダクティブ権を奪うことが許されないのはいうまでもなく、本件規定に合理性があるというのは困難である・・・本件規定は、憲法13 条に違反し、無効であるというべきである・・・本件優生手術を受けた者は、リプロダクティブ権を侵害されたものとして、国家賠償法 1 条 1 項に基づき、 国又は公共団体にその賠償を求めることができる・・・」→「国家賠償法 4 条の規定により適用される民法724 条後段の規定により、当該賠償請求権は消滅」
(3) 立法不可欠性:「権利侵害の程度は、極めて甚大で・・・その侵害に基づく損害賠償請求権を行使する機会を確保する必要性が極めて高い・・・人格権に由来するプライバシー権によって保護される個人情報であって、個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくないものの一つであり、本人がこれを裏付ける客観的証拠を入手すること自体も相当困難であった・・・・優生手術の時から 20 年経過する前にリプロダクティブ権侵害に基づく損害賠償請求権を行使することは、現実的には困難であった・・・・特別の事情の下においては、その権利行使の機会を確保するために 所要の立法措置を執ることが必要不可欠である」。 

(4) 明白性:  「我が国においてはリプロダクティブ権をめぐる法的議論の蓄積が少なく本件規定及び本件立法不作為につき憲法違反の問題が生ずるとの司法判断が今までされてこなかった事情の下においては、少なくとも現時点では、その権利行 使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であることが明白であったとはいえない」。

2  違法性を根拠とする国家賠償請求:除斥期間(争点2)
「除斥期間の規定は、不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を図るため・・・請求権の存続期間を画一的に定めたもの・・・除斥期間の規定が憲法17 条に適合するものとして是認されるものであるかどうかは、当該行為の態様、これによって侵害される法的利益の種類及び侵害の程度、免責又は責任制限の範囲及び程度等に応じ、当該規定の目的の正当性並びにその目的達成の手段として免責又は責任制限を認めることの合理性及び必要性を総合的に考慮して判断すべきである・・[除斥期間が]20 年と長期であることを踏まえれば、上記立法目的との関連において合理性及び必要性を有する」→本件への適用は憲法17 条に違反しない

① 新井評釈から

「本件のような事例において司法救済に期待する道筋は途絶えてしまうのか。この点に関して、・・・本件をめぐっては、一回的な不妊手術で侵害された権利として「リプロダクティブ権」を強調するのではなく、1996年法改正を経た後も明示的謝罪や反省もなく、今なお残存する優性思想や偏見から生じる被害者の苦痛に関する「人としての尊厳」に対する継続的、累積的侵害への視線を重くすべきとする主張がある[引用者注:小山剛・判時2413・2414号17頁以下]・・・この考え方によれば、「人としての尊厳にかかわる侵害は…時効・除斥を論じる前提に欠けるか、あるいは、本年[2019年]4月の「救済法」制定および内閣総理大臣ほかの談話までは続いていたとみるべき」(小山・前掲18頁)とされる。こうした権利侵害の捉え方を前提とすれば、本件で原告も裁判所も前提とする除斥期間による権利の消滅を前提とする議論ではなく、ほんの最近まで、あるいはまだ現在も続いているかもしれない「人としての尊厳」侵害をめぐる違憲、違法論へと転回し、それについて端的に賠償請求できる可能性があるかもしれない。そうした考え方を司法府が採用する保障はないものの、本件のような問題の司法救済の手法としては、より端的で認められやすいロジックであるし、またわかりやすいように感じられる。そして、なによりも、国家により違憲、違法な状態が長年放置し続けられてきたことを浮き立たせる効果を併せ持つ。いずれにしても、本件のような当事者が奪われた実質的権利の内容はどのようなものかという点を、より意識した司法判断を、今後、期待したい。」

「リプロダクト権」ではなく「人間の尊厳」(not...but) →「リブロダクト権」だけではなく「人間の尊厳」も(not only...but also)とすべきではないだろうか。何れにせよ、その権利も人間の尊厳も対象者に認めない旧優生保護法がそもそも「法」と呼べるものであったかという根本問題(ラートブルフ公式参照)の検討も必要となろう。

② 高評釈から

「本件訴訟は賠償を主たる目的としているのでは なく、国の謝罪と優生手術という極めて深刻な人権侵害の実態を明らかにすることに主眼を置いている。裁判所は、違憲であることを示しているの であれば、単に優生目的は許されないということ を示すだけでなく、憲法上の人権侵害状況に対する解決を提示することまでが求められるのではないだろうか。仙台地裁が示した判断は、司法が本来担うべき責任を回避しているものといえよう。 本件同様の訴訟が、現在東京、大阪、神戸、静岡、福岡、熊本の各地裁で控えている。例えば神戸地裁に係争中の訴訟では、憲法 13 条のみならず、14 条、24 条、36 条違反についても争点としている 。特に、24条の「家族を構成する」権利の侵害という点に対して裁判所はどのような判 断を示すのだろうか。「優生思想」に固められてきた社会の中で発生した被害の実態を明らかにする訴訟に、各裁判所はどのような結論を提示する のか、研究者もまたこの訴訟に「学問的に並走する」必要があろう。」

私は、(私自身を含め)強制不妊手術が行われていた当時、その違憲性・不法性を指摘しなかった研究者の「不作為責任」も追求するべきだと思う。


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