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新型コロナ感染記 前編(~宿泊施設)

去る7月19日夜、私の喉にトゲが生えた。バラ以上栗以下くらいのトゲトゲである。この瞬間、私は察した。

7月20日(発症1日目)

イチモツ一抹の不安を抱えながら目覚めたこの日、不安はすぐさま現実になった。体が重い。しかし、この日は3~5限まで試験がある。行けるのであれば行っておきたい、そう思ったがとても動けたものではない。少なくとも電車に乗ることは不可能であった。そうして試験を諦め、発熱外来を探し始めたのが午前11時。時すでに🍣。近隣の病院は全滅であった。そこで寮長に連絡し、自主隔離と睡眠に専念した。前日に念のため買っておいた葛根湯とイソジンがせめてもの救いであった。
この日は食欲も全くなく、朝から晩まで水以外何も口にできないような日となった。肝心の体温は体温計の電池が切れてて測れないし…

7月21日(発症2日目)

さて、深夜には喉が痛くて何度も起きるし、頭痛も引かないしで、起きてみるとますます動けない。とりあえず発熱外来を取るため携帯片手に全裸待機する。9時になり電話をかけ始める。繋がらない。30分かけ続けてもつながらない。ようやくつながったと思えば「今日は予約でいっぱいです」という声。こうしてこの日も自宅で寝ることしかできなかった。
この日は体温計が届き、はじめて測った体温が38.2度。あまり解熱剤は飲みたくないがさすがに体が耐えられず、年末死んだときにもらっていたカロナールを服用。
この日も寝ながら何もできずという感じであった。

7月22日(発症3日目)

この日は朝食をとる元気が復活した。とはいえ全部は無理で1/3くらいであるが。9時から例のごとく電話をかけまくる。前日の反省を踏まえ、乱れ打ちするのではなく、一か所に10回ずつくらいまとめてかける戦法へ。しかしそんな簡単にいくわけもなく…30分くらいかけ続け、今日もダメかと思った127回目、応答の声が。初めて電話がつながった瞬間である。こうして12時からの予約を取ることができた。
そしてこの日は頭痛や発熱が落ち着き、何とか自転車を漕ぐこともできた。こうして病院で診察、検査を受けた。抗原検査なのですぐ結果が出て、やはり陽性。わかってはいたが、ちゃんと結果が示されてある意味よかった。大学の再試験の手続きも、東京都のもろもろのサービスも検査結果が出ないと次のステップに進めないのである。
そして、各関係先への連絡。この時期のコロナで個人的に困ったのは免許である。本来ならこの週末に仮免、そして8月1日には本免の予定であった。電話をすると、まず療養期間分はすべてキャンセル、これは仕方ない。しかし、その後8月9月の中旬まで既に予約がいっぱいであるという。つまり、最低でも免許が取れるのは10月上旬くらいということになる。夏休みから卒業までで10000㎞運転することをひそかな目標にしていた自分としては本当に悔やんでも悔やみきれない。そして、妄想していたいくつかの(車を使った)旅行(片道GO)とかも白紙である。夏休みはとりあえず電車で行けるところに行こう。あとこの期間働けてないのでもっと働くか。
だがしかし、コロナでケヤフェスが無くなった菅井友香に比べたら100万8倍恵まれてるのである。
閑話休題、3日目にしてようやく病院に行けたがそのころにはそれなりに良くなっているというのが今のコロナの状況なのだろう。と思ったが、味覚が突如として亡くなった。(←マジでこっちの「亡くなる」)味は知ってる味をイメージしながら食べている。

7月23日(発症4日目)

この日はなぜかよく寝た。朝食のため8時は起きたが、その後2回くらい?毎回人からの電話で起こされるという感じだったのでそれがなかったら7時間くらい寝ていただろう。最終的に起きたらメインレースが始まっていた。こんな病気のときには競馬くらいしか週末の楽しみがないわけだが、その競馬が当たるわけがないのも自然の摂理である。
そして、この日は朗報が。宿泊療養施設が決まったのである。準備をするためにとりあえずくっせえくっせえシーツやら枕やらを洗濯洗濯。このくらいには動けるまで回復したようである。ちなみに臭いは分からん。


7月24日(発症5日目)

意外と何を準備すればいいのかはわからないもので、Twitterとインスタが大いに役立った。昼前に買い出しに行き、お菓子やらインスタントやらを大量購入した。
そして12時、迎えの車が。なんとタクシーである。うひょー。ちゃんと前方と後方が完全に別の空気になるように仕切られていた。
どうやら立川を経由して新宿に行くとのこと。普通に行くより30分くらい長いのかななんて思っていたら、立川まで下道を混雑の中1時間、病人にはかなり疲れる。逆に立川で相乗りの人を拾ってからは速い速い。あっという間に国立府中ICから中央道へ。中央道もさすがにすいているので、(右ではなく)左に見える競馬場しながら気づいたら新宿へ。
療養施設についてからは簡単な案内があり部屋へ。部屋についてしばらくすると事務局から電話があり、説明や問診を受けた。それらが終わると食事をとりに行く時間以外は完全に自由(という名の部屋での時間)である。ふとアマプラに入っていたことを思い出し、漁ってみる。「SPY×FAMILY」があるではないか!気づいたら夕食前に4話見ていた。
夕食はほっけの弁当。味は分からん。寮の飯と比較する気満々だったのに匂いも味もわからんのでどうなっているのやら。
ちなみに、現時点で唯一わかる匂いはグリコのクリームの部分である。

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