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österreichのライブ

新代田feverのösterreichのライブが開演する前に書いている。

ライブに行く気力が無かった。
普通に今日のライブは諦めようと思った。
持病がかなり悪化していて、最近はただベットの上で天井が90度回転したらどうなるだろうということだけを考えてた。本気で。お風呂に入ること、顔を洗うこと、生活が出来なくなっていた。

天井の照明を囲むように木の棒が四角く囲っている。それらを時計の針のように頭の中で動かす。特に意味はないし、すぐにでも自分の首を絞めてしまいたいという気持ちは変わらない。救って欲しいなんて浅ましいことを考えてしまう自分を殺してしまいそうになる。誰も救ってくれないということを理解して認めることでやっと大人になれるのに。
ただ、出来ることがそれだけという理由で天井は回り続ける。私はただ息をしていた。

ライブハウス、1番私にとって身近だった空間で、今の私にとっては1番遠い場所のように感じる。とっておきのワンピースを着て、丁寧にアイシャドウで瞼を彩り顔にハイライトを入れてリップをひいている。こんなにとびきりお洒落をして電車に乗っていても、まだ信じられない。österreichのライブに行くということ。
österreichが好きってこと、the cansを神格化してます、って言葉だけで伝わると思う。
私は高橋國光の書く日本語が、歌詞だけでなく、文章全てが1番美しくて残酷で地獄と天国の狭間であると思っている。つまりベタ惚れである。österreichのライブは対バンやフェスで観てきた、聴いてきた、抱きしめてきた、抱きしめられてきた。österreichの音楽は、美しさで残酷さを隠すような強かさと、無邪気に世界の真実を覗くような危うさがある。天国のように残酷で、地獄のように耽美な、稀有な綺麗な音楽。触れたら壊れてしまう宝石のようだと思う。

なんとかライブに迎えてるのは、高橋國光のTweetがあったからだ。

私も人間になりたいと思った。
人間になるか、と思った。
人間になりたいと思う人が、人間になれなくてでも人間にしがみついて人間の形をどうにか保っている私にどんな音楽を届けてくれるだろうと思った。

österreichは、確実に私の救いに容易くなってくれるだろう。その救いが少しでも長く続きますように。どうか、この夜が特別なものになりますように。

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