音楽と街の「再構築」
Intro
2022年7月28日、丸の内に新たに誕生したプライベートクラブ・OCA TOKYOにてキックオフイベントが開催された。第一部でSTORY inc.の川村元気が原作と脚本、初となる監督業も手がけた映画『百花』(9月9日公開予定)を上映。第2部では映画音楽を担当した網守将平と川村によるクリエイター・トークと共に、網守が映画のために書き下ろした楽曲をピアノで生演奏した。
「STORY STUDY」プロジェクトの最初の一歩となる、特別な一日をレポートする。
1.
この町はいつの時代も賑やかであり
きらびやかで、娯楽に溢れている。
千代田区有楽町二丁目5番の歩道には、「町名由来板」というモニュメントが立っている。そこには、こんなことが記されている。
<「有楽町」の名前は、戦国時代に活躍した武将、織田信長の弟、織田有楽斎(おだうらくさい)(長益(ながます))に由来します。茶人としても名をはせた有楽斎は関ヶ原の戦いのあと、徳川家康方に属し、数寄屋橋(すきやばし)御門の周辺に屋敷を拝領しました。その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽町」と名付けられたのです>
漫画&アニメ好きの人は有楽斎と聞けば、第14回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した『へうげもの』(山田芳裕)において主人公・古田織部のライバルとして登場し、数寄(≒風流)を競い合ったキャラクターのことを思い出すだろう。稀代の「数寄者」の存在が、有楽町の出発点となったのだ。この町はいつの時代も賑やかでありきらびやかで、娯楽に溢れている。
そんな有楽町エリアの街づくりをおこなう三菱地所と、同エリアに仕事場を構える映画・映像企画会社のSTORY inc.が、共同プロジェクト「STORY STUDY」を立ち上げた。
STORY inc.の川村元気は、映画プロデューサー・脚本家として『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』『映画ドラえもん のび太の宝島』など多数の映画製作に携わってきた。一方で、2012年刊行の『世界から猫が消えたなら』で作家デビューを果たし、その後も『億男』『四月になれば彼女は』『神曲』など小説作品も精力的に世に送り出してきた。
この夏、川村に映画監督という新たな肩書きが加わった。過去に短編映画を監督した経験はあるが、長編映画を監督するのは本作が初となる。「長編監督デビュー作」としてキャリアに生涯刻印されることとなった『百花』は、自身にとって4作目となる同名小説が原作。脚本も担当している。
2.
彼女にとっての「家」はどこか。
そこに住んでいる者は、誰なのか。
丸の内のプライベートクラブOCA TOKYOに、招待客たちが集まった。「STORY STUDY」第1回は、『百花』の試写会で幕を開ける。上映前に川村が挨拶に立ち、本作は音楽が重要なモチーフになっているとコメントした。
「原田美枝子さん演じるピアノ教師の女性が、認知症になって記憶を失っていく。その状況を音楽的に表現するために、彼女が慣れ親しんできたクラシックの名曲を一旦壊したうえで、再構築した楽曲を劇中で流しています。音楽の聞こえ方などにもいろいろな創意工夫を凝らしていますので、お楽しみいただければと思います」
映画は、原田美枝子がマンションの一室でピアノを弾いている場面から始まる。リラックスした柔らかい演奏はやがて不協和音へと変わり、開始1分で観客に違和感を突きつける。一輪挿しに刺さった黄色い花が、その違和感を決定的なものとする。
事前にプレスリリースや山田洋次監督の推薦コメントを読んで、本作の撮影はほぼワンシーン・ワンカットでおこなわれていることを知っていた。カットを割らずカメラも止めない長回しで、俳優たちの演技をじっくり追いかけるものだと思っていたのだ。その選択は映画に「演劇的」な印象を付けることになるかもしれない、と予想していた。
その予想は大きく外れた。目の前に現れる映像は、「映画的」と表現するほかないたくらみに満ちていたのだ。ファーストカットで、一瞬で、作品世界にのめり込んでしまった。
ストーリーの流れは、原作小説に忠実だ。ただし、菅田将暉演じる葛西泉が、原田美枝子演じる母・百合子が認知症を患っていることに気付く展開は、小説と異なり映画では序盤で現れる。最初の予感は、年越しで実家に帰ってきた泉の真横に座り、百合子が優しく手を取り「寂しかった」と告げる映画オリジナルのシーンで表現される。母が醸し出す親密な空気は、息子である自分に向けられたものだとは思えずギョッとしてしまう。母に何かが起きている、と無意識のアラートが鳴る瞬間だ。
泉は間もなく父になる。職場結婚した妻の香織(長澤まさみ)が妊娠の安定期に入り、AIによって生成されたヴァーチャルヒューマンアーティスト・KOEのプロジェクトも多忙を極めている。しかし、もちろん、母の人生は息子の都合で動いてはいかない。百合子は記憶をなくすようになり、一人暮らしの日常がままならなくなっていく。そして、「半分の花火が見たい」という謎の言葉を繰り返しつぶやくようになる。
認知症の患者は家にいながら「家に帰りたい」と口にすることがよく知られている。百合子が患ったアルツハイマー型認知症に特に顕著な症状であり、専門用語で「帰宅願望」と呼称される。そこで語られる帰りたい「家」とは、今自分が住んでいる家ではなく、強い愛着のある記憶の中の「家」なのだ。症状が悪化した百合子は、現実の家にいながら、思い出の「家」で暮らす時間が増えていく。それは、どこか。そこに住んでいる者は、誰なのか──。
家族の記憶は、家についての記憶でもある。とある家族の歴史をサスペンスフルに記録する『百花』は、家と記憶の繋がりを描く映画でもあった。
3.
編集された映像に後から音を当てるのではなく
脚本を完成させるために、先に映画音楽を作った。
上映終了後、第2部となるクリエイター・トークがラウンジスペースで行われた。川村の対談相手は、『百花』の音楽を担当した網守将平だ。
網守将平は1990 年生まれ、東京出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院音楽研究科修士課程修了。学生時代よりクラシックや現代音楽の作曲家/アレンジャーとして活動を開始し、室内楽からオーケストラまで多くの作品を発表してきた。近年はポップミュージックのフィールドにも進出し、DAOKOなど人気アーティストの楽曲の作編曲を担当。NHK総合のドラマ『17才の帝国』の劇中音楽を制作、NHK教育テレビの音楽番組『ムジカ・ピッコリーノ』の音楽監督を担当するなど、活動の幅をさらに広げている。
川村 クラシックの名曲を一旦バラバラにしたうえで再構築する。口で言うのは簡単ですが技術的には相当難しいことを今回、網守さんにお願いしました。川村と組むと大変な目に遭うという風評が音楽業界で広まっているのか、最初の打ち合わせの時はすっごいイヤそうに事務所に来ましたよね(笑)。
網守 なんでそれ言うんですか(笑)。ただ、依頼の内容にはすごく関心がありました。今までの音楽と映画の歴史を振り返ってみても、映画のための音楽を作ることで、それまでにない音楽の新しい表現が見つかる。大変かどうかと言えばめちゃくちゃ大変だったんですが、自分の音楽に繋げていける発見がたくさんありました。
川村 この映画の脚本は、「劇伴を限りなくなくす」というコンセプトを元に書いています。通常の映画の音楽、劇伴は、映画内で鳴っているわけではありません。観客の感情を喚起するために、外付けされているわけです。でも『百花』の音楽は、必ず映画内で演奏があって、演奏の音楽が壊れて再構築されていつの間にか劇伴になっている。基本的には映画の外側から鳴っている音がないというシステムは、苦戦させた原因になったかなと思います。
網守 そのシステムを実現するためには、どのシーンでどういう音楽が鳴るか把握しておかなければ、脚本が完成しない。だから、先に音楽を作ったんですよね。通常の劇伴を作る際は、編集された映像に対して細かく音を当てていきます。通常とは作業の順番が真逆でした。
川村 なおかつ編集の時にも、たくさんリテイクをお願いしました(苦笑)。
網守 音楽の解像度を上げていく調整はとことんやりました。ワンシーン・ワンカットの映像は、登場人物のちょっとした表情の変化などに対して、観客は敏感になります。音楽で失敗すると、登場人物の表情などの受け取り方も変わってしまうと思ったんです。
川村 網守さんがシューマンの『トロイメライ』を壊して再構築した楽曲は、ラストシーンで使っています。初めて聴いた時、こんなに素晴らしいメロディにしてくれるとは、と感動した記憶があります。今日はナマで弾いてくださるそうですね。
(網守、ラウンジにセッティングされたグランドピアノで楽曲「Recollection」を演奏)
網守 ピアノを弾きながら、大変だった記憶が蘇ってきました(笑)。
川村 ラストシーンは編集段階で大きく変わったこともあり、この曲も半分ぐらいの尺にしてもらったんですよね。
4.
音楽家の新しい面が
映画音楽の仕事によって切り開かれる。
川村 網守さんの『Ex.LIFE』というその当時の最新アルバムを聴いて、この人はこういう手もあるんだと思い、お願いしようとなったんです。
網守 『Ex.LIFE』から、新しい自分を自覚的に出していった感覚があるんです。そういうモードになった僕を嗅ぎつける川村さんの嗅覚にびっくりしましたね。
川村 網守さんが映画音楽を作るのは、確か初めて?
網守 初めてです。ドラマの音楽を作ったことはありましたが、一人で全て担当したのも初めてでした。
川村 坂本龍一さんはYMOで活動しながらも、『戦場のメリークリスマス』の映画音楽を作ったことにより、「世界の坂本」への道が開かれていきました。僕自身が関わった仕事で言えば、新海誠監督の映画『君の名は。』からRADWIMPSの『前前前世』という曲が生まれた。さきほど網守さんも話してくださったように、音楽家の新しい面が、映画音楽の仕事によって切り開かれた例は少なくないと思うんです。網守さんも今回、もともと持っていた日本人の感性みたいなものが、西洋音楽と混ざり合って面白い音になっていった。
網守 『百花』における記憶というテーマは、どの曲にもエッセンスとして入っています。いま振り返ってみて思うのは、記憶を再構築するよりも、記憶が瓦解することを表現するほうが難しかった。特に難しかったのが、映画のクライマックスに当たる湖畔のシーンの曲です。川村さんからは、バッハの『メヌエット』を使って欲しい、というお題が出ていた曲ですね。
川村 20テイクぐらいお願いしましたね……。でも、最終的にはものすごい曲ができあがってきました。ピアノのコンサートに行って、奏者がミスタッチをした瞬間ってハッとする。その感覚を、巧みに音楽の中に取り入れているなと思ったんです。壊れた部分を立て直そうとする瞬間って、意外ながらもきれいなメロディになる時があるんですよね。坂本龍一さんって、そういうぎりぎりの美しさを巧みに使う作曲家だと思うんですが、今回の網守さんの曲からもそういう美しさを感じました。
(網守、ラウンジにセッティングされたグランドピアノで楽曲『Preludism』を演奏)
Outro
クリエイター・トークを聞きながら、映画の記憶が次々に蘇っていった。
映画では完全な一人称視点はほぼ不可能だが(どうしても実験的になってしまう)、認知症の症状が出た百合子を映すパートでは、限りなく一人称に近い位置にカメラが置かれ、百合子から見える/感じる世界を擬似体験することができる。そこに加わってくるのが、映画のために書き下ろされた、「クラシックの名曲を一旦壊したうえで、再構築した」楽曲の数々だった。
映画を作ることは、映画の歴史を前へと進めることだ。その気概を持たない人間には今の時代、長編映画を監督する機会はまず与えられない。川村元気は、映像と音楽のかつてない融合(と離反)のバランスを突き詰めることにより、監督の権利を手に入れたのだ。しかもそのバランスは、「記憶のあやふやさ」という作品全体のテーマとも共鳴する。
欧米では作家性の高い映画監督を、フィルムメーカーと呼ぶ習慣がある。川村は、自身の小説を単に映像として再現したのではない。この映画を監督することで、フィルムメーカーとしての自己の存在を確かなものとしたのだ。
「STORY STUDY」は今後、川村がホスト役を務め、名だたる映画監督のみならず音楽家やアーティストも登壇する予定だという。そこで巻き起こる化学反応を目撃することは、『百花』の監督が音楽家に、音楽家が監督に多大な影響を与えたように、ジャンルの垣根を越えて刺激を与えていくことだろう。その刺激はエンターテインメントの枠を飛び出し、建築や街づくりの領域にも波及していくに違いない。
「街づくりとは時代の変化を象徴するものだとずっと思っています。映画『百花』の音楽のように、壊してまた作り変えていくことができるのが”街”。変化を続けることが非常に大切だと思う」
第1回「STORY STUDY」は三菱地所の執行役副社長・谷澤淳一からの、今後のプロジェクトに期待を込めたメッセージで閉会した。
次回以降もレポートを続けていきたい。