無題

久しぶりにnoteを開きました。。

心の安定が保たれなかったり、色々ありました。

さっきお風呂に浸かりながら考えていたことを書こうと思います。

私は、私自身が落ちない汚れに塗れた人間だと思っています。
ユリの花の花粉みたいに。あれって、一度服とか台所のシンクとかに付いたらなかなか落ちないじゃないですか。
私はああいう厄介な汚れでコーティングされた人間です。

メンタルを崩壊させてまともに働けず、なのに衝動性からお金を遣ってしまったり、自己管理がとにかく苦手。

結婚して幸せそうな友人を見ては羨ましがり、私は何をしてるんだろうと思う日々。
そりゃあまぁ、結婚は遠い夢ですよね。
恋人を新しく作るのも諦めました。
こんな私を好いてくれる人は恐らく居ない。
こんな私と生涯を共にしたいと思う人は居ない。
きっと相手に毎日不快な思いをさせてしまう。

私がやっと出来るようになった(もしくは努力していること)は、「普通の人」が当たり前にしていること。私も「普通」になりたかった。

それから、「幸せ」って言葉。
一体誰がそんなあやふやな概念を生み出したんでしょうね。
「幸せな瞬間」ならまだしも、「幸せ」「happy」「ヒュッゲ」などと言う曖昧な概念があるからそれに囚われて苦しい人も居るんじゃないか?
「幸せ」ってなんなのか。
すごく刹那的な存在であり概念で、それを追い求めようとすると精神的な苦痛を伴う場合もある。
私は「幸せ」を生んだ人が憎い。

汚れを纏った私は、綺麗な人には敵わない。
それなら私は何者になれるのか。
何者にもなれず、花粉だらけの肉塊として呼吸するしかないのか。
花粉だらけの肉塊として生きると、臭いものには蓋をされてしまうので、せめて外見だけは美しく見せようと、ユリの花びらを纏って見せてる。

悲劇のヒロインぶってみました。
人間失格でも読もうかな。

リラックスしながら考えることじゃないだろうに。。笑


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