見出し画像

a flood of circle「花降る空に不滅の歌を」をもってすれば、こんなことも起きるかもしれない。

※以下は楽曲から想像した物語(フィクション)です。太字は歌詞引用。


 一度座ったら立ち上がれなくなった。
 信号待ちのほんの少しの間。そのつもりだったのに。
 青。赤。青。
 色が変わる度に人が溢れ、またせき止められる。
 スクエア上の交差点、夕方、金曜日という3点セットが揃って、人通りは多い。足早に通り過ぎていく人々の姿を歩道脇の花壇の縁石に腰を下ろして眺めている。
 早いところ会社に戻らねばと思うものの、なかなか腰を上げる気にならない。どうせ戻ったところで膨れ上がった報告書の処理とメール返信、その他、雑務が際限なく積み上がっているだけだ。考えただけでうんざりする。名ばかりの役職手当を盾にして会社は残業代を払うわけではなし、いつ戻っても同じだ。そうなると全てを振り切って一心に社に戻ろうとは思えない。
 『今日は友達とディナーに行くので、もう気にしないでください』
 先ほど送られてきたメッセージが何度も脳裏をよぎる。
 約束をふいにするのはこれで何度目だろうか。もういい加減、呆れられても仕方がない。
 今日は予定通り抜け出せるはずだった。昼を越えた辺りまでは実際調子が良かった。しかし、突然割り込んできたクレーム対応を前にあっけなく頭の中で思い描いていた計画は崩れ去った。
 自らに非はないと言いたげな部下の顔や、冷ややかな上司の顔がよみがえって、思考をかき乱していく。喚き散らしたいようなこの感情を一体誰にぶつけたらいいのか。顔の浮かぶ特定の誰かではなく、それよりももっと大きな何かに頭を押さえつけられているような感覚に陥る。
 言い訳を並べるだけの返信をする気にもならず、かといって依然として立ち上がる気にもならない。まるで尻が縁石にくっついてしまったようだ。
 もう二度と立ち上がれないかもしれない。ふと、そんな思いが心中を横切る。足早に周りを行き過ぎる人々はまるで自分など見えていないかのようで、透明人間にでもなったかのような心地になってくる。
 いっそ酔っぱらったふりで花壇の中に寝そべってやろうかと上を仰ぐと、真向いのビルに取り付けられた大型ビジョンが目についた。
 ビジョンのなかではチラチラとカラフルな色彩が瞬間ごとに移り変わり、目まぐるしい。加えてその下をニューステロップがとめどなく流れていく。ド派手な広告と不穏なニュースの対比がアンバランスで一層気が滅入る。
 高速道路での交通事故、某国同士の戦争激化、物価高騰、気候変動、ミサイル落下、不漁、不作、ヘリコプター墜落事故、銃乱射…。
 見るともなしにテロップを眺めていると、暗いニュースばかりが濁流のごとく、次々と目に飛び込んでは消えていく。
 もう、全て決まっているのではないか。不意にそんな思いに駆られる。
 ここで自分がジタバタと足掻いたところで、全ての結果は決まっていて、自分の行動が影響を及ぼすことなど、この手でひっくり返せることなど何一つないのではないか。
 そう思った途端、がっくりと首が地面に落ちた。
 今、今日は当然のごとく冴えなくても、明日、いずれはそこから抜け出していることを思って、今を過ごしている。それは夢物語なのではないか。結局は明日も、いずれも、大事な約束をふいにして見放され、周りの冷ややかな眼差しを受け流すために頭を下げにはせ参じ、内心不満たらたらで縁石に座り込んでさぼっている。そういう自分なのではないか。
 緩慢な動作で、鞄からイヤホンを取り出して耳にはめたのは、道の向こうから一台のベビーカーが行き過ぎたからだ。両親らしき二人の間でぐっすりと眠る横顔に導かれるように再生を選ぶ。
 一瞬で全ての暗雲を切り裂くような絶対的な歌声が耳に飛び込む。力強く華々しい存在感を誇るバンドサウンドが鳴り響けば、頭の中で明るい光が弾けた。

 意味ない 無駄さ ベイビーには聴こえない
 頭ん中 爆音で 大好きな歌を聴いてる
 希望とか期待とか ベイビーには分からない
 行かないではいらんない場所へ向かう物語

 唯一無二の歌声に、その歌声に呼応するように全てをぶっちぎっていく爆発的に軽やかなバンドサウンドに、ああ、そうだった。そうだった、と思い出す。この歳まで生きてきて、当然のごとく既に分かっていることだった。

 現実を見ろ 無意味だぞベイビー 
 どうせ散り行く定めさ そうだろう

 現実を見た 知ってたんだベイビー 
 世界のエンドロールは

 この世で誰一人 誰一人見たことがないってね 
 笑ってる

 そうだ。それはもう、この世界は絶望に満ちている。見渡す限り。それこそ毎日のニュースを眺めるまでもなく。
 だからこそ、とっくに辺り一面が絶望に満ちていることを知りながら、知っているそのうえで、いつだって、どこからだって希望は始められる。それも既に知っていることだった。このバンドがそう思わせる。
 それでもまだ何も決まっていないと、このバンドがいる限りそう思える。 
 いつも先回りの想像で諦めている。それは予想でしかないことを、未来はどうなるかわからないという事実そのものを、彼らは希望に変えて見せる。過去や未来がどれだけ暗闇でも、今この瞬間、この手には今という名の光り輝く希望が残されていることをいつだって思い出させてくれるのだ。
 気が付くと、叩きつけるようなラララに押されるように自然と縁石から腰を上げていた。
 今からできることをする。
 心中に湧いた言葉は先ほどとは打って変わって、そんな言葉だった。


先日AFOCのツアーでこの曲を聴きながら沸き上がった感情をもとに。
時折、誰かに未来はわからないと言ってもらいたくなる。そしてその言葉を言われるなら、このバンドがいい。いつもそう思う。だからフラッドがいる世界にいたい。そう思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?