縦断と革命の熱風その2〜ボリビア〜
ちょうど私がボリビアにいた1997年にチェゲバラの遺体が発見された。CIAの戦略により殺されたと言われるチェゲバラの死に顔は、まるで十字架上で息を引き取ったイエスキリストのように美しかった。そしてそのカリスマ性から神格化されることを恐れたCIAが、密かに処分したという噂もあった。またCIAは生捕りを望んだがボリビア側が射殺したとも言われる。いずれにしろ1997年キューバとボリビアの合同捜索隊により、死後30年にして遺骨がボリビアの空港滑走路の下で発見され、遺族らが居るキューバへ送られた。ボリビアはゲバラが英雄視されているために位置を伏せておきたがったが、関係者の告白によってこの事実は陽の目を見たとのこと。そしてその遺体が発見されたという情報はちょうど中南米の政局が安定し、北米と南米を縦断できることが可能となっていたことと合間って、多くの旅人達の心を動かした。それはバッバッカーしかり、バイカーしかり、サイクリストしかり。
中にはチェゲバラと自分を重ね合わせる運動家も少なくなく、何らかのムーブメントを巻き起こす勢いだった。その中には解放の神学の信奉者もいた。解放の神学によって貧しい人々、抑圧された人々の側に立って戦った中南米カトリック界の中では、革命を指揮し国家元首になる聖職者も出て来た。
中南米を席巻した解放の神学は、その影響力の強さからバチカンから危険視され、一旦破門とされていたのが、ちょうどその頃破門を解かれて容認されていた時期でもあった。
チェゲバラが殺害されたのと時を同じくしてブルースリーも死んだ。死因は諸説あるが、その中にCIAによって暗殺されたという説もある。
南米の街角を歩いているとブルースリーの映画が至る所のレストランで上映されていた。この頃から南米で格闘技ブームも湧き上がっていた。ブルースリーのジークンドーと日本人柔道家前田光世のブラジリアン柔術がその中心であった。