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もやもやの正体を探して

 朝、寝ぼけ眼でスマホを確認する。SNSのタイムラインには、昨日と同じような投稿が流れている。同じ人が同じような愚痴を吐き、それに対して同じような慰めの言葉がつく。「いいね」をつけるか迷う指が、結局何もせずにスクロールしていく。

 なんだかモヤモヤする。

 電車に乗り、いつもの席に座る。向かいの人は、いつもと同じようにスマホを見ている。画面に映るのは、きっと私と同じようなタイムラインだろう。ふと顔を上げると目が合い、お互いに慌てて目をそらす。

 なんだかモヤモヤする。

 会社に着くと、同僚が愛想笑いを浮かべながら挨拶してくる。「おはようございます」と返す声が、少し裏返る。昨日の飲み会で、彼が上司の悪口を言っていたのを思い出す。でも、そんなことを気にしているのは自分だけかもしれない。

 なんだかモヤモヤする。

 こういった日常のモヤモヤは、一体何なのだろう。不快だけど、はっきりとした不快感でもない。イライラするほどでもないが、すっきりもしない。言葉にしようとすると、むしろ捉えどころがなくなる。

 もしかしたら、このモヤモヤこそが現代社会の本質なのかもしれない。SNSで繋がっているようで孤独で、リアルでは表面的な関係しか築けない。自分の本心すらよくわからないまま、日々を過ごしている。

 でも、そんな風に言語化してしまうと、何か違う気がする。そう簡単に説明できるものではない。説明できないからこそ、モヤモヤなのだ。

 結局のところ、このモヤモヤを解消する方法なんてないのかもしれない。むしろ、モヤモヤを感じられることこそが、私たちがまだ生きている証なのかもしれない。完全にクリアになってしまったら、それはそれで怖い。

 だから、今日も私はモヤモヤを抱えながら生きていく。そして、このモヤモヤを感じる感覚自体を大切にしていきたい。それが、この複雑な世界を生きていくための、唯一の道しるべなのかもしれないから。

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