暴動が可能にしたこと
主要メディアが伝えるアメリカの暴動をみて、違和感、嫌悪感を持ったひとがいるかもしれない。街に火がつけられたり、物が壊されたり、強奪が起きたり、警察官に攻撃的になったり、なぜ?と怒りや疑問を持ったひともいるだろう。
暴動=わるい、意味がない
平和な街=いい、正しい、あるべき姿
もしそう考えるなら、一度バイナリー(二択の世界観)から離れ、いま#BlackLivesMatterの抗議運動や暴動で起こっていることの奥を一緒にみてほしい。
「権力は要求なしに何かを譲ることはない。それは一度も起こらなかったし、これからも起こりえない」
フレデリック・ダグラス(奴隷制度廃止論者リーダー・元奴隷)
「暴動は声なきひとびとの言語である。」
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師(黒人公民権運動指導者)
歴史上には、暴力に晒されている民衆が立ち上がり、表面的な平和を壊した例が無数にある。たとえば、1834年にイギリスが奴隷制度をやめたのは、ある日突然イギリス政府が「奴隷制度は間違っている」と気づいてそうなったわけではなく、奴隷たち自身が立ち上がり、暴動を起こして勝ち取った結果だ。奴隷以外のひとびとに、このまま奴隷制度を続けるのは危険だと暴動を通して認識させたのだ。
その歴史は、権力者にとって危険で不都合なものだ。
だから戦略的に消されている。
社会的な暴力を経験することなく生きられる特権を持ったひとびとは、生まれたときからその暴力だけを経験してきたひとびとが立ち上がり、平和の幻想を壊すと、たいてい同じような疑問を持つ。
「こんな騒ぎを起こして何が解決するの?」
「もっと建設的な方法はないの?」
けれど、僕たちは暴動が勝ち取った権利に満ちた世界に生きている。
2020年、ジョージ・フロイドさんへの殺害を発端に、再びひとびとが権力に立ち上がっている今、暴動が勝ち取った権利を享受して生きるひとりとして、真実を語る責任を深く感じて、この記事を書いている。
ここでは、現在の#BlackLivesMatterの抗議運動や暴動が、すでに何を可能にしたかについて明確にしたい。
#BlackLivesMatterの暴動が可能にしたこと
1.ジョージ・フロイドさんの殺害に関与した4人の白人、アジア人の警察官全員が逮捕された
主犯のデレク・ショービン容疑者の起訴内容を第3級殺人罪から第2級殺人に格上げ、他の3人も第2級殺人の幇助と教唆で起訴された。
これは実に画期的なことで、アメリカでは警察官が市民を殺害しても、正当防衛が認められ、罪に問われないケースがほとんどであるばかりか、そういった事件がこれまでに何件起きてきたのかさえ公表されていない。詳しくは後述するが、とにかく本件については、ひとびとの声が警察を動かしたのだ。
2. 警察への予算縮小のために前例のないサポートが集まった
アメリカの州や市町村では、教育や適正価格の住宅、医療、メンタルヘルスのサービスなど、どのコミュニティに欠かせない公的事業のための予算が毎年削減され、不足しているが、犯罪発生率が毎年下がっているにも関わらず、警察への予算はますます増大している。たとえば、僕が住む町の隣、オークランド市では町の年間予算の40%が警察に使われた。警察が持つ巨大な政治力を政治家が怖れているのだ。警察への予算が増大していくのと比例して、黒人やその他の有色人種, LGBTQIA+、精神的な問題を抱えるひとびと、貧困世帯への暴力がどんどん高まっていった。
現在この事実をもっともグロテスクなかたちで可視化させている例を挙げよう。コロナウイルスと闘っている医療従事者のためのマスクがないのに、何千人もの警察官が完全な保護具を着ている。
なぜ、医療従事者や教育者、メンタルヘルスの介助者など、コミュニティにほんとうに必要なサービスをしているひとびとが予算不足で困窮している中で、警察の権力を増大させ続けいているのか?この暴力を止めようと、数々の団体が警察の予算を減らすためのアクションを何年もおこなってきた。今、この暴動を受け、ようやく米国のさまざまな町で、警察の予算削減に向けた議論や方針転換が始まっている。暴動が起こる前には夢のまた夢みたいな話だった。
3. ミネアポリスの公立学校では役員たちが警察との契約終了に票を投じた
日本では考えられないことだが、アメリカでは「子どもの安全のために」という名目でほとんどの中学校と高校が警察と契約を結び、各校に銃を持った警察官を配備している。けれど実情は学校が警察を使って子どもたちに脅威を与え、コントロールしようとしているに過ぎない。
ここにも黒人に対する差別がある。権力がつくってきた「黒人は危険」というイメージによって、子どもも含めて、黒人が犯罪者化されている。その結果として、黒人の子どもが学校内で逮捕され、少年刑務所に送られる確率が、他のどの人種よりも何倍も高くなっている。そのほとんどが「授業の邪魔をする」などの取るに足らない理由だ。
学校に配備された警察による黒人の子供に対する差別の劣悪な例は枚挙にいとまがない。たとえば、今年2月に黒人の6歳の女の子が逮捕された。「お願い、わたしを離して」と泣きながら懇願する女児をパトカーで連行する動画がニュースとなった。
少年刑務所に送られた子どもは授業を受けられなくなり、勉強もできない。どんどん他の生徒よりも学習が遅れていく。少年刑務所に送られる子どものほとんどが高校を卒業できない。高校を卒業できないと、大人になったときに貧困になりやすくなる、そうすると犯罪に関わる確率がとても高くなる。これは何百年も権力によって自立した人生を築く機会を破壊されてきた黒人が特に陥りやすい状況だ。こうして、大人になって今度は大人の刑務所に入れられることになる。一度でも重罪で刑務所に入れば、その記録は一生残り、その後どこにも雇用されなくなる。そしてますます犯罪に頼らなければ生きていけなくなる。終わりのないサイクルだ。
(ちなみに、重罪で有罪判決を受けたひとは投票権も失うため、現在13人にひとりの黒人に投票権がない)
この重大な問題を「学校から刑務所へのパイプライン(School-to-prison pipeline)」と呼ぶ。学校から警察を追い出すのは、この人種差別的な不条理を壊す第一歩だ。これがいま、暴動によって起こりつつある。
4. 超党派グループが警察に軍事装備を譲渡する事業の見直しを検討
アメリカでは1980年代から、軍隊で過剰在庫になった武器や兵器などの戦争道具を警察に無償で譲渡する事業が存在している。1998年から2014年のあいだには戦争道具の譲渡が、なんと84倍にまで膨れ上がった。それにより警察は次第に軍隊のような姿に変わっていった。
アメリカの警察は非白人の有色人種、または貧困の白人コミュニティを支配し、犯罪化する長い歴史がある。現代ではLGBTQIA+, 精神障害者、権力に逆らうひとびともその対象に含まれるようになった。警察が軍事化されることで、特定のコミュニティがまるで戦場のようになり、何万人ものひとびとの人生が破壊され、家族が引きちぎられてきた。
この事業が重大な問題であることにアメリカ国民の多くが同意したが、警察が持つ政治的な力が世論を封殺し、警察はさらに軍事化していった。今ようやく、この暴動に反応するかたちで、アメリカではまれな政治家の超党派グループが組まれ、警察を軍事化しているこの事業の見直しをしている。
5. サンフランシスコ地方検事は過去に違法行為を犯した人物を警察官として採用することを禁止にした
アメリカでは警察官が市民を理由なく殺害したり、性的暴力を犯したり、その他の犯罪を犯したとき、一度は解雇されたとしても、巨大な政治力を持つ警察の労働組合のおかげで、また同じ職場に再雇用されるか、他の町の警察で働くことができる構造になっている。アメリカの警察では過去に重大な犯罪を犯しながら服役しなかった警察官が何百人も働いている。彼らは犯罪を犯しても大きな力に守られているという自信を持っている。けれど、暴動によって潮流はいままさに変わりつつある。
6. ミネソタ州の人権局がミネアポリス市警への調査を開始した
ミネソタ州の人権局はミネアポリス市警の過去10年間を遡り、施策や実際の捜査手順を追跡し、警察官が白人以外の人種の市民に差別をしてきたか調査することに決めた。
レベッカ・ルセロ人権委員は「目的は個人を刑事責任に問うことではない。構造的な変化だ」と発言した。
7. 全米の都市で人種差別主義者に贈られた記念碑や像が破壊された
バージニア州の南軍の記念碑前で踊るダンサーたち(写真)
南北戦争で白人至上主義と奴隷制度を維持するためにアメリカから独立した南軍の記念碑が各地に残っている。それらを町から排除する運動は、2015年に白人男性が黒人の教会で9人の黒人を射殺した事件のあと、犯人がサウスカロライナ州議会議事堂に掲げられているものと同じ南軍連合旗を持って写る写真が発見されたことをきっかけに始まった。今回の暴動がこの運動をさらに加速させ、ヨーロッパにも広がりをみせている。
8. 議会は警察官が絞め技や脳への血流を止める行為をおこなうことを禁止する法律を制定した
9. 限定的免責の改正法案が議会に提出された
ジョージ・フロイドさんが殺害される以前にも、警察官が何もしていない黒人を殺害する動画は何度も撮られていた。けれど、動画がどんなに事実を明白に映し出していたとしても、限定的免責(Qualified Immunity)という法律制度が、犯罪を犯した警察官を民事訴訟から守ってきた。
当然のことながら、これは法執行機関に対する免責の文化を助長し、不合理な結果をもたらしてきた。昨年、フレズノでは捜査中に225,000ドル(約2440万円)以上を盗んだ警察官が、アイダホでは無実の女性宅を催涙弾で爆撃した警察官が、ジョージアでは民家の敷地内にいた犬を殺そうとして間違ってその家の10歳の男児を撃ってしまった警察官が、限定的免責により罰を受けなかった。けれど、今回の事件をきっかけに、あらためて限定的免責に厳しい注目が集まり、法改正に向けて動き始めている。
僕の視点からも話したい。
まず、このような社会的な変化がほんのひと晩で起こったという事実は、問題はいつだって変えようのない現実などではなく、政治的な意思の欠如であったのだという証拠を示している。
公共の場でひとびとの怒りを持続的に表現することで、これまで非現実的といわれてきた社会的な変化を現実のものとした。これを成し遂げたのは、ひざまずくパフォーマンスをした警察ではない。政治家でもない。いままで暴力を見て見ぬ振りをしてきた特権を持つひとびとのこころが急に変わったからでもない。何十年も草の根のレベルでひとびとを鼓舞してきた黒人のリーダーたち、そして彼らとともに権力に立ち向かったひとびとが、それを現実にしたのだ。抗議活動の成果だ。
学校から刑務所へのパイプラインや、警察の軍事化などの大問題は、これまで隠されてきたわけではない。警察官が差別的に黒人に凶悪な暴力をふるってきたことも、ジョージ・フロイドさんの死によってはじめて明らかなったわけではない。
何もしていない黒人が警察官に殺される動画は何度も撮影されてきたし、何度もニュースになった。これらの問題についてはすでに何百回も主要メディアのニュースに流れているし、何十人もの作者や大学の教授によって本に書かれている。
これまで、黒人はあらゆる手段を使ってこの状況を変えようとしてきた。投票権を持つひとは投票した。政治家にもなった。政府に入って中から変えようともした。ジャーナリストになって何千もの記事を書いた。何年も何十年も抗議運動などを通して訴え続けた。
にも関わらず、警察による黒人への構造的な殺戮は少しも変わらなかった。暴動をしてはじめて、やっと、少し状況が変わりはじめた。
なぜ、ここまでしないとこの社会は変わらないのだろうか。それは特権を持つひとびとが抱く平和の幻想が壊されない限り何も動かないからではないか。この動かぬ社会が、暴動を必要としているからではないのか。
黒人のひとびとはよく「黒人が自由になるとき、誰もが自由になる」という。これは歴史的な真実だ。暴動によって起こる変化は、黒人だけではなく、すべての人種のひとびとの人生を解放する。警察を自らの責任に向き合うまっとうな組織に変えていくことで、黒人だけでなく、LGBTQIA+やメンタルヘルスに問題を抱えるひとびと、ラテン系のひとびと、家のないひとびと、警察による暴力に脅かされているすべてのひとびとの生命がより安全なものとなる。
アメリカの歴史には、先住民と並んでもっとも権力に抑圧されてきた黒人たちが、あらゆるマイノリティのために立ち上がり、彼らの自由をともに勝ち取ってきた例が数え切れないほどある。
この記事を書いている僕自身が、いまトランスジェンダーとしてほんとうの自分の人生を生きることができているのも、1960年代に警察による暴力に対して暴動を起すことから始まったLGBTQIA+の運動が勝ち取った権利のおかげだ。
6月はプライド月間として知られているが、1960年代の暴動を含むLGBTQIA+運動を立ち上げたのが黒人やラテン系ののトランスジェンダーの女性たちだった。黒人のトランスジェンダーの女性の平均寿命はおよそ35歳だ。そして、LGBTQIA+の運動が暴動によって始まったこと、黒人のトランスジェンダーの女性が始めたことがすでに歴史から忘れ去られ始めている。よくあるパターンだ。
マーサ・P・ジョンソン(右)とシルビア・リベラ(左)
暴動は生命を可能にした。彼女たちが起こした社会的な変化の恩恵で、何人のひとが警察に殺されずに済んだだろうか。何人のひとが暴力の恐怖の中で生きなくて済んだだろうか。
これまでに述べた変化は黒人への構造的な暴力を止める大事な一歩だが、ほんの始まりに過ぎない。
ジョージ・フロイドさんが殺されたミネアポリスで警察の廃止を訴え、何年も活動しているグループMPD150は警察の廃止についてこう説明する。
「(警察廃止とは)リソース、資金、および責任を戦略的に再割り当てし、警察からコミュニティベースの安全、サポート、予防のモデルに向けて段階的に再配分するプロセスだ」
ミネアポリスの市議会は警察を解体し、再建することを発表した。
警察はより大きく人種化された社会的支配のシステムの一部にすぎない。この驚くほど包括的で偽装されたシステムによって黒人は奴隷化され、白人の巨大な富と権力は守られ続けている。黒人、そしてすべての人種が自由になるには、このシステムを完全に解体しなくてはいけない。長年抗議運動を続けてきた黒人のオーガナイザーや活動家たちは、すでに次のアクションに向けて動き始めている。次回以降の記事には、そのことについて、より広い視点から書きたい。
もしかしたら、すべてのひとが自由になれる世界は、誰もが想像するよりずっと近くにあるのかもしれない。
けれど、その日が来るまで暴動は止まらない。
正義がなければ、平和もない。
No Justice, No Peace.
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