青藍紺碧ライン_kyohki7thC_201805211730

曲感想:エンドロール【瀬名航】

初めまして、口閉(こうへい)と言います。
このような書き物はほぼ初めてなのでお見苦しいところあるとは思いますが
どうかご容赦下さい。

今回紹介させて頂きます曲は、瀬名航(せなわたる)さんのエンドロールという楽曲です

(このnoteのサムネはこの楽曲に使用されているテルハさんの青藍紺碧ラインをpiaproよりお借りしました。この場を借りてお礼申し上げます。)

まず、瀬名航さんについて軽く説明させて頂きますと2012年頃から活動されているボカロPの方で、大人になりきってしまった人間には決して出せない詞(ことば)を、ポップでお洒落な曲調と少し幼く感じられる自然な無邪気さを持った初音ミクの歌声に乗せることで独自の持ち味を作り出しており、シンガーソングライター系に近いながら共感と郷愁を呼ぶ歌詞はある種の「おれらのうた」要素も兼ね備えているように思います。

そのような中で今回紹介させて頂くエンドロールですが、氏の楽曲の中では珍しくVOCALOIDイメージソング(以下ボカロイメソン)のタグがつけられており、直接歌詞などに名前が出てくるわけではありませんが、VOCALOIDとユーザーの関係性を歌った内容となっております。
ただ、一般的なボカロイメソンが「ボカロPへのメッセージ」VOCALOIDが歌い上げる、所謂キャラクターソングに近いものを指すことが多いのに対して、この曲では「VOCALOIDへのメッセージ」をVOCALOID自身に歌わせるという形を取っています。
VOCALOIDへの想いをその本人であるVOCALOIDが歌い上げるという、ちょっと混乱しそうになる形式ですがVOCALOIDへ想いを届ける方法としては最上級のものでしょう。なにせ歌ってるんですから、知らぬ存ぜぬは通じません。恐るべきボカロPによる所業であります。
私はこのようなタイプの楽曲が好きなのですが、これ以上書くともう一つnoteが出来てしまいそうなので今回は差し控えさせて頂きます。

さてここでやっと楽曲に入っていくわけですが

ほんとはね
メッセージも さほどあるわけでもないし
ほんとはね
君のうた ただ聴いてみたいだけかも

はい、ここでいきなり私の涙腺がダメになりました。
だって、だって。VOCALOIDって、あなたの「言葉」と「想い」を伝えるもので。教えてよ君だけの世界で。あなたの願いを歌うものじゃないですか。それなのに。それなのに。
メッセージなんてそんなに無いけれど、それでも君のうたを聴いてみたいだけかも なんて。そんなの。
なんだか無性に嬉しくなってほろほろと泣いてしまいました。
伝えたい想いやメッセージはとても大切なもので。
だからこそ、そういうものが無かったとしても、それでも一緒に居てくれるというのが胸に響きました。

そしてそれを踏まえた上で、迷ってしまいます。
「誰のためにうたうのか、何のためにうたうのか」
迷ってしまうのは、どちらも本当だからでしょうか。
「僕のためにうたうのか、君のためにうたうのか」
自分のためにしたことが君のためであったり、君のためにしたことが自分に返ってきたり。あるいは全然関係ない誰かであったり。でも、それに甘えたくないからこそ「言葉が浮かばない」となっているような…。
迷ってしまいますね…。

隠れた僕を刺すような
君のうたに救われたんだ

ああああああああ!
そうなんですよね…別に何か悪いことをしてるわけじゃないのに、真っ直ぐ前を向いて歩いていけるわけじゃなくて…誰かから、何かから隠れるように生きてて…表向きは合わせてても本当は何か違うように感じていて。
そんな自分を刺してくれるような。穿つような。

なんてのは、あくまで自己体験を交えた私の妄想に過ぎないのですが。
君のうたに出会ったことで、何かが変わるような気がして。

熱が冷めてしまう前に
誰かが飽きてしまう前に
奏でてくれるかな
本当は嫌われてないかな・・・?

その時感じた何かが無くなってしまう前に。
ああ、だけどそれが本当に君のためのか、自分のためなのか。
嫌われてしまっていないか…。

くりかえし 線なぞって
誰かにも褒められて
若さだけ 消えてって
また君を利用してた

瀬名航さんは、初投稿当初は高校生ボカロPだったそうで。
それから6年以上が経ち、現在では投稿された楽曲は40曲を超えますが、その年代の数年というのはとても大きなものだと思います。
その数年を、春夏秋冬を、ボカロに注いでこられて。繰り返し、繰り返し。
そんな中で、誰かに褒められたり、アンチもついたりして。
この曲の文脈から素直に受け取るのであれば、瀬名さんがボカロPになられたのは「君のうた」に救われて、その恩返しをしたかったからだと思われますが、それなのに、いつのまにか「君」を利用してしまっていた…。
本当にそうであるかは関係なく、ただほんの少しでもそう思ってしまったなら…。「虎の威を借る狐のくせに」ではないですけれど。
彼女は肯定も否定もしてくれません。
悩んでしまいますね…。
だからこその「君のうた ただ聴いてみたいだけかも」に立ち還るのかもしれません。

大人になっても 君が泣いても
いつまでも忘れはしないから

忘れはしない、とは何をでしょうか?
この曲では、「君のうたに救われたんだ」と 何度も繰り返されます。
だからきっと、そういうことなのでしょう。
迷って、悩んで、たとえ自分が変わってしまっても、それだけは変わらないのだと、何度も何度も。言い聞かせるように。


歌詞ばかり取り上げてきてなんですが、私がこの曲を聴いて嬉しかったのは、「普段通りの瀬名さん」であったことです。
前述した通り、青年期から大人にかけての繊細な空気を言葉に落とし込み、ポップでありながら郷愁を感じさせる音楽と無邪気なミクさんの歌。
それらの要素がそのままボカロイメソンを形作っており、瀬名さんだからこそこの曲が生まれ、そして、ボカロがあったからこそこの曲が生まれたのだということがボカロイメソン特有の二重構造となっているのが素晴らしいと思います。これだからボカロイメソンはやめられません!
この曲は瀬名さんの1stフルアルバムである「せなのおと」のトリを飾る1曲でもあるのですが、まさに「せなのおと」ですね!(宣伝)

私は、めんどくさいやから瀬名航さんに入ったので、瀬名さんのファンとしてはにわか者なのですが、それでも、ニコニコで瀬名さんの曲に出会った時に「この人はボカロ界に新しい風を吹かせてくれる人だ。」と興奮したのを覚えています。ボカロ界とはなんぞやという質問は私にもわかりませんが。
そして、このエンドロールを聴いた時にそれが正しかったと確信しました。
「今」のボカロを体現するボカロPの一人だと思います。
瀬名航様に置きましては、より一層のご活躍をお祈り申し上げます。


最後に。
ここまで長々と書いておきながら、私の中で何故この曲が「エンドロール」であるのかということを上手く消化出来ていないのですが…
きっとこのエンドロールの最後には小さな文字で「つづく」と書いてあるのだと、それだけははっきりと分かります。わかる。

お見苦しいところ多数あったと思いますが、ここまで長文駄文に御付き合い頂き、ありがとうございました!
それでは!

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