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レムリアとは?聖書的世界観の復活 3

日本人の私たちにとって、ニューエイジ思想やスピリチュアルは輸入文化として入って来ます。音楽や映画、芸術と同じように外来文化として吸収してしまう傾向があるんですね。

ところがキリスト教信仰が根強い現地では、ニューエイジやスピリチュアルは、時にカルトのように異端視されます。


聖書的世界観の洗脳に、日本人は免疫が全くない所があります。
また、八百神ではないですが、文化的にも鷹揚な所があります。


16世紀に宣教師が布教していた時代とは違って、外来物を有難がる時代に私たちは居て、元々の宗教観も強くないので、教養や学問の一つとしてとりあえず一旦受け入れてしまう。

水瓶座時代は、神智学のブラヴァツキーが提唱したものです。実際に2020年の終わりに、そのように取れる星の並びがありましたので、神智学にも何か真実があるのかもしれません(アマゾンの書評を見たら、本の中にアジア人蔑視があるらしく、無理でした)。


ただそこには西洋の世界観が宿命として持つ、一神教の破壊的な作用もある可能性も、心に留めて置いた方がよいと思います。



一神教がなぜ破壊的な作用を持つのか。


確かに始めは1から生まれたのかもしれない。


宇宙は0から生まれ、1から始まり10に拡大して行く。

一神教というのは、一神教の祖というのは、1でありすべての始まりかもしれないけど


私たちは10の方を向かないといけないと思うのですよ。


宇宙はどんどん拡大していると言います。


それは一粒の種から育ち、たくさんの実を付けて種子が広がって行くように


私たちが生まれていろんな出会いや経験で人生の豊かさを積み上げて行くように


子孫を残すことで、命が広がって行くように

豊かさは10に向かって増えて行く、広がって行くものなんですね。



一神教の破壊作用というのはその逆です。

唯一つの神を崇めることで、1の方へ、豊かさとは逆の方向へ減少して行く


一神教と多神教の違い、その包容力や多様性の違いがどちらにあるか明白です。

一神教的な世界観、視点は、それ自体が減少作用を起こし、エネルギーの枯渇を生むとしたら


信者という名のエネルギーヴァンパイアを増殖させるようなものです。


肥え太るのは教祖だけ。

全部が1に向かいますからね。



私たちはオウムの時代で知っているはずなんですけどね...

なんてことを映画「ミッドサマー」を観て思いましたよね。


白くキラキラした砂糖菓子のように甘く爽やかなイメージ。
結構あれはオウムと重なる部分が多いのですよ。


今でもオウムは信者を増やしていますから、10年20年経って、知らない世代に壺を売るようなことをスピリチュアルでもやっているのに驚きました。


私はショップを始めた当初、まだルースしか売ってなかったですが、効果・効能は薬事法違反になるので、表現には物凄く気を使いました。今でもそうです。

その結果自分の実際に体験したことを正直にお伝えする以外は、なるべく伝聞・伝承という形で、情報としてお伝えすることにしていますが、それでもスピリチュアルということで随分怪しまれたりもしました。


石の視覚情報にこだわって石の解説をしているのも、ネットショップという性質上、目に見えないパワーをすごいすごいと言ってお客様を引き付けるのはフェアではないと感じているからです。


それなのに、何の変哲もないビーズや原石を、エネルギーという名で売りつけているのを見てぶっ飛びましたよね。



オウムの件は、25年も経ってますから、二十代でももう知らないんですよね。
だから一応書いておいた方がいいかなと思います。

Stone marbleでもエネルギーという表現を使いますので、誤解のないよう、当店の立場を説明しておこうと思います。


「ミッドサマー」は明るい陽の光る太陽の下でも、自然豊かで清々しく神々しい雰囲気でも、洗脳や支配は行われるという警告なんですね。

というか教会とかはそういうイメージですしね。


どんなに言葉を変えても、プログラミングしました~、エナジャイズしました~、というのは立派な霊感商法です。

エネルギーという科学でも実態が完全に掴めないものを、商品として売るのは詐欺ではないですか?


エネルギーが永遠不変で変質しないものかどうかもわからない。

そうやって繋がれば、コンセントでコードを繋ぐようなもので、自立した思考が果たして出来るのでしょうか?

客観的な思考が出来るのでしょうか?

思考もエネルギーですよ。



温かい空気が冷たい所へ流れるように、水が高い所から低い所へ流れるように

エネルギーって原理的にはそういうものだと思っています。

水が溜まると淀むように、適度に循環させる。

循環している状態が一番の高エネルギー状態ですよね。

お金が回らなくなったら経済が停滞するように。


だから渦(marble)は、高エネルギー状態なのです(笑)



エネルギーはわからないことが多いのだから、どんなにスピリチュアルやエネルギーを追求しても、それ自体を売ることは御法度。超えてはいけない一線のはず。

自分でエネルギーを扱っているなら、尚更わかっているはずなんですよね。



知らない世代も増えているので言っておきますが、オウムの教祖は別に悪い人じゃなかったんですよ?


と言うと語弊がありますが、人の心を読めるというか、よく気づき共感する能力の高い人だったんです。
周囲の人にはいい人だったんですよ。

だから教団を作るほどの信者を集められ、支配することが出来た。


元々宗教を始めるような、宗教心のある人は、人たらしというか、善意から始める人がほとんどだと思います。いい人なんですよ。


でもどんなにいい人でも、犯罪行為や詐欺行為を、自らの信仰や信念の下にやってしまうんですよ。
「ミッドサマー」のように、罪悪感もなく。
だから危険なのです。


そしてこの事件が大問題であるのは、何も犯罪性だけじゃないです。


多くの優秀な人でさえ、一人の人間によって簡単に支配され、動かされてしまう点です。

洗脳の力です。


その結果が犯罪であってもなくても、人間の思考力を奪う「教え」は、たとえどんなものでも、その人から自立性=魂の自由と創造性を奪い、退化させる。


だからたとえそれがヒーリングであっても、善意によるものでさえも、エネルギーや石の力で自らの力を信じさせる行為は、洗脳と変わらないのです。



キリストの奇跡じゃないですが、「奇跡」は人を信じ込ませるんですよね。

オウムも空中浮遊とか一生懸命やってましたが、「奇跡」は集団心理にスイッチを入れる一番手っ取り早い方法かもしれません。


冷静に考えれば、「奇跡」は「マジック」であることがほとんどです。



石は元々エネルギー体で力があります。
力があるから、いろんな産業を支え、文明の礎になっています。

石がすごいんであって、自分がすごいわけじゃないのに、石の力と自分を重ね合わせるのが、教祖心理というか教祖志向を感じるんですよね。


もちろん、そういう石を呼びよせたのはその人の力かもしれませんが、それでもすごいのは石ですから。
そこにエネルギーを調整するとか、石に対する冒涜にすら感じます。



一神教の世界観、西洋的価値観は、自然との対立も生み出します。


西洋的価値観では、自然とはコントロールし服従させるもの。それによって自然科学は発展して来ましたが、同時に様々な問題も抱えてしまっています。


温暖化が進み地球環境が悪化したならば、地球外へ出てしまおう、他の惑星に移住しよう。


いかにも西洋的な考え方だと思います。



スピリチュアルでも、今度は水星へと、同じことを言っているのが面白いなと思います。


モーゼのように出エジプトならぬ、出地球が、これからのトレンドなのでしょうね。


そしてきっと同じことを繰り返すのでしょう。




10の方を向かわなければいけないと、書いたけれども、そういえば十字架って十だよなあと思いました。


巧く出来てるなあと。


十字架は元々キリスト教のものではなく、ヨーロッパの原始宗教だったケルト人のケルト十字から採られています。

姉妹店OLD SCHOOL#では、以前ケルト十字のアクセサリーを扱っていました。


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自然崇拝、太陽崇拝の象徴でもあった十字架が、磔にされたイエスの神話に重ね合わされた。


このエピソードもどこまで本当なのか、、、と思えて来ますね。

まるで、十字架をアイコンにするための物語のようです。


その土地その土地の土着の原始宗教を飲み込んで、キリスト教は生まれています。

大きな宗教や神話は、得てしてそのように誕生するのかもしれません。

一説には、キリストは実在していない、当時の複数のモデルが一つにまとめられたものとも言われています。



自然崇拝や太陽崇拝がいつの間にか教祖崇拝へすり替わる。


石にも同じことが言えると思うのです。

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