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20240101

少し前に車が壊れてしまい、もう3ヶ月くらい代車に乗っている。壊れた車はリアウインドウがばらばらに割れて、今は保険会社の指定した工場に預けている。この車、1991年式となかなか古いため、今でも修理に使える部品が見つかっていない。なのでおそらくこのまま廃車になる可能性が高い。それに20万キロちょっと走っていたからもう替え時かなあと思っていたところだったので、結局これを機に新しく車を購入した。タイミングとしてはちょうど良かったのかもしれない。でも20年近く乗った車だからさすがに少し寂しい。

1月1日、その代車に乗って初詣に行った。神社の駐車場に入るのを待っている時に、突然車が左右に揺れた。子たちがふざけているのかと思ったら、家にいた妻からメールが来て地震だったことを知る。急いで災害用アプリでニュースを見ると、女性アナウンサーがすごい剣幕で叫んでいる。まるで怒っているみたいで、こんな話し方をテレビではあまり聞いたことがなかった。僕はその声の激しさに戸惑い、驚いてしまった。
一刻も早く避難をしてもらうように敢えてそのような口調なんだろうけど、そこにはアナウンサー自身の感情も明らかに含まれていた。そしてその声は、僕の胸に突き刺さってしまった。こんなに感情があらわになった言葉を聞いたのは、とてもひさしぶりだった。

ニュースを見ながら、なんだか気もそぞろに駐車場に車を停めて本殿のほうに向かう。下鴨神社は嘘みたいに混んでいた。そそくさと初詣をすませ、家に向かう車中で再び震災速報の番組を見る。もうさっきのアナウンサーの声はなく、避難を穏やかに諭すような口調の女性に変わっていた。でも僕の頭の中では、さっきのアナウンサーの声がずっと反響していた。そして結局それは数日間消えなかった。

能登半島地震について感じることはいろいろとあったので、数日間、それを文章にしようとしていた。何度か書いてはみるものの、あとで読み直しては結局消していた。書いている文章がなんだか自分自身の言葉じゃないようで、どこかから借りてきたようなものばかりだった。嘘を書いているわけではないんだけど、何度直してもどうしても嘘っぽく感じた。

今日のニュースでは、妻と子供3人を今回の地震で亡くした男性のインタビューがあった。ちょうどうちの家族構成と一緒だ。その男性の話を聞いていてとても辛く感じるのだけど、僕はそれを暖かい部屋の中で、入浴後のストレッチをしながら見ていた。ここにも乖離があった。そしてそれは罪のように感じられた。

次男が通う高校から、今回の地震によって不安になったり感情がうまくコントロールができなくなることがあるので、そういう人はカウンセリングを受けてください、そう感じるのは自然なことなので、といった内容のメールがきた。
でも、非被災者である僕たちは、僕たちなりの苦痛を味わえばいいのだと思う。痛みを感じることが自然なことであるのなら、自然にまかせていればいいんじゃないかな。僕たちだけが痛みから除外されるのは、なんだか違うような気もする。


最近は lee konitz ばかり聴いていた。この人のサックスは軽やかだけどきちんとふくよかで、そのへんの塩梅がちょうどいい。ornette coleman のウエストコースト版という感じかな。音感的に気持ち良いだけではなく、音の配置もちょっと込み入っていて、脳味噌にも適度に刺激があるのでなかなか飽きない。



FODという日本の民放のウェブ版?みたいなやつで「終りの季節」という短編のドラマが放映されていた。題名の通りレイハラカミの曲(細野晴臣ですが…)が用いられていて、これを作製した鈴木健太という監督は、「レイハラカミの終りの季節が最後に流れるドラマを作りたいとずっと思っていた」とのこと。なかなか良い。

レイハラカミの曲に映像がくっつくと、曲自体の表情もガラッと変わるのでとても楽しい。レイハラカミと映像といえば「天然コケッコー」があるけど、このドラマもとっても良かった。
僕は単純にレイハラカミにつられて観たんだけど、映像のセンスがしっかりあるので没入できたし、役者さんもとても良かったのでもう一回観たいと思うくらいだった。まあそもそもレイハラカミでドラマを作りたいって人の作品という時点で、すでに気に入ってしまうことは確定していたんだけどね。

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