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小山俊一という人

数日前に「小山俊一全通信」という本が届いた。これは七月堂という東京の小さな出版社が50周年記念企画として発売したもの。この小山俊一はメディアにはほとんど出てこない人で、いわゆる在野の哲学者として文章を書き続けていた。読者募集の広告を出し、数十部とか部数限定で自身の書いたものを発行していたらしい。彼自身は1991年にすでに病没している。
なぜ僕がこんな人を知っているかというと、話はずいぶん昔に遡ってしまう。

ちょっと個人的な話になってしまうので申し訳ないんだけど、高校生のころ、僕は同じクラスの一人と少し仲良くなった。彼は考え方がちょっとシニカルなんだけどとてもユニークで、何より知的だった。高校生の僕たちが持っているような常識の枠を軽々と飛び越えていくような、そんな発想が常に湧き出てくるような人だった。そしてその言動やファッションの奇抜さは強烈に垢抜けていて、僕はそんな彼に対して、今まで経験したことのないような驚嘆と憧れと嫉妬を感じていた。
僕はそのころ心理学に少し興味を持っていて、彼は彼で哲学に興味を持っていた。お互いが読んでいる本のこととかについて何かを話したのか、たぶんそのあたりのことがきっかけでちょっとずつ仲良くなっていったような気がする。

ある日、彼の家に招かれた。彼の家はけっこうな街中にあり、真っ白な家の壁は何かの植物の蔓で覆われていた。まるで雑誌の中から出てきたような小洒落た家だった。家の中もこざっぱりしていた。なんというか、誰かの理念のようなものが隅々まで行き届いていているような、とても賢そうな住居だった。
彼の部屋は屋根裏部屋にあり、部屋への梯子を登るとそこにはベッドマットが置かれていて、壁一面が本棚になっていた。本棚にはさまざまな本が並べられていて、僕はこの光景にとにかく驚き感動した。どうやら彼の父親は以前に古本屋をしていたようで、その関係で今もこんなに本があるようだった。
そんな驚きで混乱している僕に、彼は友川かずき、浅川マキ、ジョン・ケージ、メレディス・モンクなどを容赦なく聴かせた。その音楽のどれもが今まで聴いたことのないようなもので、僕の頭はまったくと言っていいくらい情報の処理が追いつかなかった。ひどく嬉しい混乱だった。

彼の哲学や文学に関する知識は莫大で、僕はその足元にも及ばなかった。しかもただ知識を持っているだけではなかった。彼は、自分自身の感じたことを常に基盤とし、その感覚を彼が持っている知識ときちんと連結させ、自分の頭で考えるという行為につなげていくといった一連の流れが、まるで息をするみたいにごく自然に行えていた。
結局のところ、僕が彼から受ける脅威の本質はそこだった。彼は、僕たちのようにどこかから借りてきたような考えを自己の中心に据えるようなやり方では満足しないたちだった。常に自分の頭で考えていた。僕が彼から感じる脅威と魅力の根源は、紛れもなくそこだった。

とはいえ、彼は学校の成績はそんなによくなかった、というかそもそも興味がなさそうだった。ある日、彼は高校をやめるみたいなことを言っていた。僕は彼流の冗談か何かだろうと思っていたら、本当にやめてしまった。そしてお別れに小山俊一の本をくれた。

何十年も読んでいるのでぼろぼろ

彼の父親は今では出版業をしており、そこで小山俊一の本(というか冊子のようなもの)を出版していた。当時、小山俊一は愛媛県松山市に住んでおり、小山俊一に興味を持った彼の父親が小山俊一に協力し、部数限定でこれを出版したそう。そして僕は友人からその一部を譲り受けたということになる。それ以来、折に触れてその本を何度も読み返していた。定期的に読みたくなるというか、読まないとやっていけないような時が何度かあった。そんな時に読んでいた。

小山俊一の言葉はどうしようもなく生身だった。だから読む側もどうしても生身にならざるを得なくなる。僕は、人が書いた文章からこんな作用を受けるのは初めてだった。でもこの感覚は何かに似ていて、そのことをよくよく考えてみると、それはこの本をくれた友人と接している時の感覚とよく似ていた。結局はそういうことなんだな、と思った。

生涯で小山俊一は「通信」と銘打って5回ほど通信を発行している。それらを集約したものが今回の七月堂による出版物となる。数十部しか発行されていない通信が全てまとまったことで、彼が生涯に発行したものは無事この一冊に集約された。
これは僕にとってほんとうに奇跡的な出来事で、まだ読んだことがなく、読めるという期待もしていなかった彼の文章を読むことができてしまうことになった。これはほんとうに七月堂という出版社に感謝するしかなかった。東京に行く機会があったら菓子折りでも持って行きたいくらい。


最近聴いている抜群に良いアルバム。この二人名義の以前のアルバムも良かったけど、これもそれに勝るとも劣らない。どの曲も後半以降の音の密度が凄くて、ちょっと鬼気迫るものがある。そこに触れたくてもう何度も聴いている。


これはプレイリストになっちゃうんだけど、とある知り合いから不要になったCDを譲り受け、それをApple Musicにインポートしたもの。ウエストコーストあたりのジャズが中心。さほど深刻みもないのでなんとなく聴いていることが多いんだけど、stan getz はちょっと別格だなあと思う。


とはいえここ数年はベースばかり聴いていて、このギターとのデュオとかほんと耳への滋養。


でもやっぱりこれが一番な、dave holland のベースソロ。いかにもECMな感じも良い。


ちなみに、その高校の友人はのちに大検を取り、東京の大学に進学した。国文学科だったと思う。卒業後は父親の出版社を継いだような話を聞いた。今ではもう連絡をとっていない。一度、彼の父親の出版社にメールを送ったことがあるけど、特に返事はなかった。ひさしぶりに会いたいような気もする。でもこのままでもいいのかもしれない。今となってはもうどっちでもいいような気がする。


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