見出し画像

ずっとモラトリアム。だがそれがいい。

君は、新卒で入社した会社で業務システムの開発や運用、プロジェクトリーダーなどを経験する。その後、コンサルティングファームに転職し、クライアントである超大手企業のグローバルプロジェクトに従事する。そこで成果を残すことで昇進し、部下を持つ。そして、今はスタートアップ企業に転職しマザーズと東証一部上場を果たす。

ここまで書くと順風満帆のように聞こえるが、今の君をモヤモヤさせている疑問は未だに解かれていない。

それは、「私は何者になりたいのか?」という疑問である。

大学生のとき「留学すれば」、「大学院に進学すれば」と考えた。
大学院の時「修士論文が書ければ」、「内定が取れれば」と考えた。
社会人になってからも「このプロジェクトをやり遂げれば」と考えた。

どれも実行し無事に達成できたものの、答えは見つからなかった。
我が道を突き進む人たちが物凄く眩しく見える。

果たして自分が進む道はこれでいいのか?
自分の人生を賭けてでも成し遂げたいことは何なのか?

なぜ転職を2回したのか。

「何者」かになるためではなく、「ここではない何処か」を求めた訳でもない。

社会人として仕事をこなし世の中を少しずつ知っていくと、
「世の中にはこんな会社や仕事があるんだ」
「こんなに便利なテクノロジーがあるんだ」
「これからはこういうビジネスがトレンドになるんじゃないか」
といった自分の好奇心を揺さぶるものに出会っていく。

そうした強い好奇心や直感に突き動かされて、ついつい転職したのだ。

(行き当たりばったりのように思えるかもしれないが、好奇心や直感を言語化し第三者に論理的に説明さえできればキャリア上なんの問題もない。)

希望的な観測を言えば、このような好奇心が築くキャリアの点と点が繋がって「Connecting the dots」的に自分を「何者」かに仕立て上げていくのかもしれない。「何者」かになるために何かをするでのはなく、結果として「何者」かになる(のかもしれない)。

「何者かにならなければならない」という一種の呪縛のようなものだと思う。焦らずに好奇心の赴くままに動けばいい。その方が楽しいし、好奇心で心が揺れ動くのはとても健全な証だ。結果として、「何者」かになっていればラッキー。それくらいのゆるさで丁度いいだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?