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第18葉, ナッツとか けもなれ とか
こんにちは、yasu59です。今日は個人的三連休の中日なので、じっくり考えながら書き留めていきたいと思います。
幸福って、人を好きになるって、生きる意味ってなんなのでしょうか?
この備忘録を自分が書き始めるきっかけになったのが、雨橋 という方のブログを数年前に読んで感動したというか、なんだか救われたような気持ちになったからです。そして、その雨橋さんの現時点での最後の投稿がこちら ↓
もう、、めちゃくちゃ共感できるんですよ… 選択肢がないんです、それは結婚に関しても、子供を持つということに関しても。以前 ゲイゆえに直接的に嫌な経験をしたことはないと書きましたが、なんだか ジリジリ、ひしひしと苦しさのようなものを感じることが増えてきました。「あぁ、日本は生きづらいって多分、こういう事なんだなぁ」と最近 思います。
こういう時、私は『獣になれない私たち』のひと場面を思い出します。
朱里「どっかに良い男いないかな〜。カッコ良くて優しくて、自分だけをみてくれて、ありのままぜ〜んぶ受け入れてくれる 経済力のある男。」
晶「そんな都合のいい男 いないんじゃない?」
朱里「いないか。」
晶「相手を都合よく使わず、自分を見失わずにいるにはどうすれば良いんだろう?」
朱里「恋愛って 自分を見失うものなんじゃないの?」
晶「…だったら、恋愛はいらないや。相手に縋って、嫌われないように振る舞って自分が消えていって 相手の事も分からなくなる。そんなのやだ。繰り返したくない。」
朱里「うーん、じゃあ ずーっと一人で生きていくの?」
晶「独りなのかな?例えば、今は二人 私と首里さん。さっきは3人でビールを飲んだ。お母さんじゃないけど、お母さんみたいな人とまた飲もうって約束した。会社の同僚と仕事のことで一緒になって喜んで、女同士で千回のハグ。この前は 飲み友達の部屋で夜通しゲームして、朝のコーヒーを飲んだ。そういう一つひとつを大事にしていったら、生きていけるんじゃないかな?一人じゃない。…んじゃないかな? 甘い⁇」
朱里「… ううん、ありかもっ」
テレビでこのやりとりを観た時、綺麗事じゃないかな…とどこかで思っている自分もいたし、その後 朱里さんが言い放った「それでも愛されたいな、私は。」の方が人間らしいなと感じた。しかし今は、確かに ひとりではないと思える。現に、一人暮らしをしてはいるが、そこまで寂しくはない。
でも、やっぱり 選択肢があるうちで ”ひとりでいる” ことを良しとして選んだのと、最初からそれを選ばざるを得なかったのとでは、自由の度合いが全然違うと思う。( 本当の自由とは、「やりたいことをやれる」のではなく、「やりたくないことを極力 やらなくて済む」ことらしいからな… )
ただ ここで思い出したいのが、前回も引用した 久保勇貴さんの文章である。オンラインメディア「Umeet」内の連載エッセイ”宇宙を泳ぐひと”の第9話『重量リソース/有限の愛(システム設計)』を読んで浮かんだ疑問だが、私たちは、というより私は分かり易い形の”愛”ばかりを求めてはいないだろうか? そこここにある愛を私はきちんと消化・吸収できているだろうか?
曰く、しっかり消化・吸収できた分しか人は愛を与えることができないのだと。だったら、(という接続詞で繋げていいかわからないけど… )まずは、身の回りにある "ともすれば見逃してしまう" ような愛を、そのかけらを集めてそれらを反芻し、次に「愛する側/愛を与える側」になってやろうと思う。
おそらく、愛も世の中を循環しているのではないだろうか?
official髭男dismの藤原聡さんは『ミックスナッツ』で、こう歌っている。
仮初めまみれの日常だけど
ここに僕が居て あなたが居る
その真実だけでもう 胃がもたれていく
多分 今の私は、目の前の現実それだけで十分 お腹一杯になれるのだ。というより、みんなそうなのかも知れない。恋も夢も、そして過去さえも余談なのかもしれない。確かに、今の日本は 私には心底 生き辛い。"いつか温かい家庭を築いて 幸せになる" ために生きている、なんて言える余地がないもの
あなたがすることの殆どは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。
しかしながら、生き辛いと感じる社会を前に、重なっていく毎日の忙しなさに、生きる意味という "大義名分" につい閉口してしまいそうになる自分に上記のガンディー氏の言葉は温かく、優しく響いてくる。「人の足を止めるのは絶望ではなく諦め、歩みを進めるのは希望ではなく意志」なのだから
歩みを進めていくとしますかねぇ、カタツムリのように ー筆おきー
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