間に合ってくれ親孝行
「白髪」という概念はまだまだ遠いところにある。
成人してまだ一年も経っていない私は呑気にそう考えていた。
確かに私自身においてはそうかもしれない。
しかし私を取り巻く環境に、「白髪」はいつの間にか溶け込んでいた。
昼ご飯を食べて、食器を流し台にもっていくとき、母の後ろを通る。
いつもは食器を落とさないように集中しているけれど、その日は偶然目線を外していた。
それで母の後頭部に、ピントが合った。
「お母さん!」
私は叫んだ。
「お母さん!白髪!めっちゃある!」
今思えばデリカシーの欠片もない発言だ。
しかし母はなんてことないように笑った。
「あー、後ろは三面鏡ないと切りにくいからなぁ」
母は50代前半だ。
ついこの前決心して白髪染めを買ったはずなのに、未だ切るという手段に執着しているようだった。
私の記憶に一番根深い、40代前半の母が蜃気楼みたいに歪んだ。
(頭の中が全てお花畑で、時折女子高生のようなはしゃぎかたをする)精神はともかく、肉体から若さを蒸発させつつある母がそこにいた。
母のように白髪染めを買った50代の知人もいれば、60代で白髪ひとつない人もいたりする。
女性がだいたい、何歳くらいから白髪と向き合い始めるのか、私はよく分かっていない。
ただ主観で、「早すぎる」と思った。
私はまだ成人したばかりで、ようやく母とお酒が飲めるようになって、それなのにもう母は、着実に老いへの一歩を踏み出している。
ではなぜ「早すぎる」のか?
答えはすぐに出た。
私が苦労をさせすぎたからだ。
謎の生真面目な性分さえなければ、すねかじりの天性の素質が発揮されていたのではないかと思うほど、私は不精だ。
恥ずかしいことに、率先してする家事の数が両手で事足りてしまう。
大人になったらしっかりすると他人事のように思っていた。
「三つ子の魂百まで」を舐めていた。
手にしていた食器に視線を落とす。
お菓子作りは上手い方なのに、料理を始めから最後まで担当したことがない。
以前からじわじわ抱いていた罪悪感が、わぁっと波になって押し寄せた。
もし過去に戻れたら、いじめられないように悪玉の機嫌をめちゃくちゃとっておくとか、不意にあの子を傷つけてしまった一言をなかったことにするとか、恥をかく場面を思い出せる限り回避するとか、やりたいことはたくさんある。
でも今は、現在やっている家事をあの頃から積み重ねたいと心底思う。
三つ子の魂が百までなら、百の魂も三つ子からだ。
今できている家事のほとんどは、小さい私にもできる。
現代に戻ったら真っ先に母の白髪の数を確認したい。
それができたら一番いいけれど、生憎そうもいかない。
現状できることは、私ができる家事の数を3倍に増やすことぐらいだ。
と言いつつ、先程家事に関する口喧嘩をしてしまったのでどうしようもない娘だとつくづく思う。
ひとまず、美味しさは保証できないけれど、料理の担当を名乗り出るところから始めたい。
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