#名刺代わりの小説10選 について

まずはこのNoteを開いていただいたことに感謝いたします。

しばらく駄文がつらつらと並びますが、限界だ!と思った方はいつでもブラウザバックしてくださって構いません。ただひたすらに、僕が好きな小説について、自己満足のために書いたものですから。これを読むより星新一のショートショートでも読んだ方が、同じくらいの時間であなたの人生は豊かになるでしょう。

先日、読書垢にするつもりでアカウントを作り、挨拶代わりになればと#名刺代わりの小説10選 というハッシュタグを使ってツイートをしました。そうしたところ、ものすごい勢いで同志の方々がいいねやRTを押してくれるではありませんか。

これは嬉しい。もしかするとタグだけを見て機械的にいいねを押してくださった方もいるのかもしれませんが、「この小説、私も好き!」という意味を込めていいねを押してくださった方もいるのでは、と期待をしてしまいます。いや、いてくれ!という思いです。今までの人生で読書という趣味を共有できる友人にはあまり出会えてこなかったものですから、孤独に登山をしながら4合目あたりでようやく同じ登山客を見つけたような気分になりました。

名刺がわりの小説10選、ということでこれまでの人生で読んできた本(読書垢をやってる方々にくらべれば、量としてはおそらく全然多くないと思われます)の中から選りすぐった10作品。きっと皆さん共感してくれると思いますが、これがまた難儀な、かつ楽しい作業でした。
10冊というのは多いようでめちゃくちゃ少ない。本棚と脳内の思い出と会議を繰り広げた結果選ばれた10冊は、さながらM-1グランプリでファイナリストに選出された漫才師たちのごとく輝きを放っていました。

そしてこう思いました。もっと深く、この10冊について語りたい、と。


というわけでここから1冊ずつ、「名刺代わりの小説10選」を紹介していきたいと思います。よろしければお付き合いください。

1.アヒルと鴨のコインロッカー 伊坂幸太郎

大学進学のため仙台に引っ越してきた椎名。引越し先のアパートで知り合った奇妙な隣人、河崎は言う。
「一緒に本屋を襲わないか?」
本屋を襲い、『広辞苑』を盗んでこよう。そんな突拍子もない誘いに、生来の流されやすい性格が災いして乗ってしまう椎名。
そこから始まる椎名と河崎との交流、そして並行して語られる河崎の元カノ「琴美」の話。ペットショップの美人店長や留学生のドルジ、さらに連続ペット殺しという不穏な影も交えながら、2人の物語は交差し、そして思わぬ展開へ…

伊坂幸太郎さん。「好きな作家は?」という問いには必ず1番に彼の名前を挙げるほど、愛してやまない作家です。
どれも本当に素晴らしい作品なのですが、僕の中ではこの「アヒルと鴨のコインロッカー」が別格です。

物語の導入はいきなり、椎名がモデルガンを構え、ボブディランの「風に吹かれて」を歌いながら書店の裏口を見張っているところから始まります。

何にも知らない人がこの導入を見たら「????」でしょうね。僕も初読の時は「これ、どんな方向に進んでくんだ…?」と混乱しました。
そんな混乱も、椎名や河崎をはじめとした登場人物たちがかわす軽妙な会話や、地の文でお洒落にはじけるユーモアにニヤニヤしながら読み進めるうちに気にならなくなります。伊坂さんの作品の魅力といえばやはりここでしょう。深刻なシーンにも、どこかユーモア、おかしみがある。これは後述のジョン・アーヴィングの作品にも共通して言えますね。(実際に伊坂氏はアーヴィングからの影響を公言しています)

この作品を読んだ方は分かると思いますが、実はこれ、なかなかに悲しい真実が終盤で明らかになります。やりきれない、あまりに切ない展開になります。それなのに最後の一文を読んで本を閉じたあと、僕の胸に去来したのは、この上なく爽やかな余韻でした。

普通、悲しい話を読んだあとって少なからず心に暗い影が差すものだと思うのですが、この作品にはそれがほとんどない。かといって、ピクサー作品を見たあとみたいなハッピー100%、という感情でもない。「伊坂作品特有感情」とでも形容するしかないような、心地よい余韻があるのです。それがこの作品を選んだ理由ですね。
どれだけ言葉を尽くしても、これは読んでみないとわからないと思います。百聞は一読にしかず。おためしあれ。

2.砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない 桜庭一樹

母、兄と暮らす中学生、山田なぎさは早く大人になりたい、と願いながら毎日を過ごしていた。そんな山田なぎさのクラスにやってきた転校生、海野藻屑は美少女だけどものすごい変人。なぎさは戸惑いながらも彼女との交流を重ねていく。しかし、藻屑の父親、海野雅愛の存在が2人の友情に、そして物語に悲痛な影を落としていく…

謎に可愛らしいタイトルに油断してはいけません。

これを初めて読んだ時の衝撃は忘れられません。確か「ジェノサイド」の作者、高野和明氏(本当はジェノサイドも10冊に入れたかった)が「作家の読書道」でこの本を紹介していて、気になって買って読んだのだと思います。

はっきり言って、展開はほとんどの人が読めてしまうのではないでしょうか。中盤あたりから、不穏な影が物語全体を覆います。ちょっと待てよ、まさか…やめてくれよ…と思いながら読み進め、その「まさか」があまりに切実に、残酷に読者に襲いかかります。

読み終わったあと、心の一部に大穴が開いた、と本当に思いました。しばらく他の本を読めなくなったほどです。
ただこの物語は、大穴が開いたその場所を何か別のもので埋めてくれた、とも思います。元通りになったわけではないし、再読するたびに、なんなら表紙を見ただけでも痛むのですが、とても丁寧な処置をこの物語が施してくれた。これも確かです。

3.人間失格 太宰治

「恥の多い生涯を送って来ました。」
ある男の独白。幼い頃から他人と自分を欺いて、そんな自分に苦しみながら生きた男。これを読んでどう思うか。気味が悪いと顔をしかめるか。変なヤツもいたもんだ、と笑い飛ばすか。これは自分なのではないか、と恐怖を覚えるか。

地上の人間は3種類に分かれます。
1.「人間失格」を読んだことがない人。
2.「人間失格」を読んで、なんだこりゃつまらん、と思う人。
3.「人間失格」を読んで、共感を覚えてしまう人。

あなたはどれでしょうか。
僕は間違いなく3の人間であり、なんなら「これは俺だ」という、文学好きが陥る特有の思い込みを発症してしまうくらいの人間です。

これを初めて読んだのはたしか高校の時だったでしょうか。「富嶽百景」という作品が国語の教科書に載っていて、興味を持って手に取ったのが「人間失格」でした。

それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子よりも鰐よりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。
新潮文庫版、p15

この文章。うわ、俺は分かるぞ、お前の気持ち!!と叫びたくなったのを覚えています。僕はとにかく親や教師から怒られるのを恐れてしまうタイプの人間でした。それだけでなく、自分ではないクラスの誰かが怒られてる時だとか、ショッピングモールで何処の誰かもわからない親が我が子をキツく叱ってる場面に遭遇した時なども、恐ろしくて身がすくんでしまうのです。この病気(という表現が適切かは分かりませんが)は未だ完治しておらず、今も毎日周りの上司の機嫌を伺いながら、隣の部署で誰かが誰かに怒られてるのを片耳で聞きながら怖くて震えているほどです。

自分語りをしてしまいましたが、この作品の恐ろしい点はこういうところでしょう。自分に当てはめてしまう。この男は俺だ、という危険な思い込みを抱えながら読み進めてしまう魔力があるのです。そんな読み方で読書をした経験は当時の僕にはありませんでした。

これを読んだと読んでないとでは人生の歩み方、捉え方が確実に変わると言っても過言でない作品だと思います。ぜひ未読の方は読んでみてほしい。「なにこれ、つまんない」と思って途中で捨ててしまってもいいです。たぶん、捨ててしまえる人の方がしあわせな人生を歩めそうな気がします。(炎上しそうな文章)

4.ホテル・ニューハンプシャー ジョン・アーヴィング

夫のウィン、妻のメアリー、長女フラニー、長男フランク、次男ジョン、次女リリー、三男エッグ、ウィンの父アイオワ・ボブ。個性溢れるベリー家は「ホテル・ニューハンプシャー」を開業し、ウィンの夢であったホテル経営に乗り出す。家族に立ちはだかる困難、事件、別れを次男ジョンの視点で描いた「家族」小説。

先述の伊坂幸太郎氏が影響を受けたというので手に取ったこの作品。
最初は「これ、面白いのか…?」と不安になりながら読み進めました。冒頭は夫婦の馴れ初めをウィン、メアリーが子供たちに聞かせるという場面からスタートするのですが、これ本当に面白くなるのかと疑ってしまうくらい、ゆるやかに物語が始まります。

結果的に、僕の不安は全くの杞憂で、読み進めるうちにベリー家のひとりひとりに愛情を覚え、どうか彼らが幸せになってくれ、と願いながら家族と共に戦うような気分で物語を堪能しました。

伊坂幸太郎氏のところでも書きましたが、この作品の魅力は通奏低音のように物語中ずっと漂っているユーモア、おかしみでしょう。極めて深刻なことが起きている(しかも割と頻繁に)のにずっと流れ続けるユーモアは心にじわじわと沁み渡ります。
深刻なことがあまりにさらっと書かれているせいで、「…えっ???」と驚いて慌てて前のページに遡って読み直す、という現象が何度も発生しました。とある重要人物の死なども、まるで日常の出来事のように書かれているため、初めて読む人は戸惑いを覚えるかもしれません。

悲しい出来事が連続するこの物語から、僕は「悲しみとの向き合い方」のようなものを受け取った気がします。向き合うのが辛い物事から目を背けるでも、立ち向かうでもなく、ズボンのポケットにサッとしまって、とりあえず歩き出して、たまにそれを取り出して涙を流す。それでいいじゃないか、と。

ちょっと不思議な、でも素敵な家族の、結構悲しくて、でもやっぱり素敵な物語です。

5.テスカトリポカ 佐藤究

メキシコの麻薬密売人のバルミロは、抗争の果てに日本人臓器ブローカー、末永と出会う。2人は手を組み、異能の仲間たちを集結させ恐ろしい犯罪ビジネスを立ち上げる。
麻薬、臓器売買といった世界の暗黒面と、アステカ神話が交錯する強大な物語。

「直木賞選考史上に残る激論の末に受賞した作品」という前評判を聞き、興味本位で手に取ったこちらの作品。

いや、前評判を裏切らないなんてもんじゃありません。高く設定したあったハードルを飛び越えるどころか、ハードルが粉々に破壊されてしまいました。それぐらい力を持った作品です。

あらすじをお読みいただければ分かる通り、"黒い"話なのは間違いありません。人は死にまくりだし、拷問もあるし、倫理観?なにそれ何処の言葉?って感じのストーリーだし。

しかし、そんな血みどろの話だというのに僕はこの物語を読んでいる間、「どうかまだ終わるな、もっとこの世界に浸らせてくれ」という、素晴らしいフィクションに出会った時特有感情に襲われたのです。

断っておきますが僕は決してグロデスク、ピカレスク、暴力大好きな人間ではありません。もちろんそういう小説も読むには読みますが、そう言った類の話が特段好きというわけではありません。

そんな僕がなぜここまでこの小説世界にのめり込んだか。それはひとえに文章の流麗さ、そして登場人物の破天荒な魅力に圧倒されたからに他なりません。
能力系のバトル漫画に出てきそうな異能を持ったヤバい犯罪者たちなのですが、なかなかどうして全員魅力的なのです。
特に麻薬密売人"バルミロ"のダークヒーローぶり。凄まじくカッコいいです。やってることは「ダーク」なんて言葉じゃ足りないくらい残虐非道ですけど…。

麻薬密売や臓器売買といった裏社会的なテーマと、恐怖とそれと同等の神秘的な魅力を持つアステカ神話が混ざり合ったこの物語。その魔力に僕は完全にやられてしまいました。
こんな読む人を選びまくる小説が権威ではNo.1の直木賞をぶん取ったという事実、最高に痛快です。

6.バトル・ロワイアル 高見広春

中学生の頃の話です。親に連れられていったショッピングモール内の書店をフラフラしていた僕は、とある本を見つけました。なんとなく手にとって、裏表紙のあらすじを読みます。

西暦一九九七年、東洋の全体主義国家、大東亜共和国。城岩中学三年B組の七原秋也ら四十二人は、修学旅行バスごと無人の島へと拉致され、政府主催の殺人実験を強制される。生還できるのはたった一人。そのためにはただクラスメイト全員を殺害するのみ――。現代日本を震撼させたジェットコースターデスゲーム・ノヴェル、ついに文庫化!
高見広春「バトル・ロワイアル(上)」幻冬舎文庫  裏表紙より引用

…やばい…なんだこれ…怖すぎる…!!

あらすじだけでここまで恐怖を覚えた経験は後にも先にもありませんでした。そして僕は恐怖と同時に、どうしても読みたい、という衝動に襲われます。怖いもの見たさです。

なんとなく親にバレてはいけない気がして、こっそりレジに持っていって会計して、カバンにそっとしまって、家に帰ってから自室のドアを閉めてこの本を開いた記憶があります。

そして裏表紙のあらすじの恐怖を遥かに凌駕する、あまりに怖くて理不尽で悪趣味な物語に、中学生の僕はノックアウトされてしまいました。

どうみても金八先生のパロディみたいな教官(ゲームの進行役、俗悪極まりない男です)が出てきたりとか、妙なテンションの地の文とか、ここまで描写する必要あるのか?というほどグロデスクな殺人シーンなど、すべてが悪夢のような小説です。
未だにバトロワに参加させられる悪夢を見てしまうほど、強烈な衝撃が心に刻まれています。

ただ、やはり、認めるとヤバい人間認定されるのでは、と思ってしまいますが…でもやっぱり認めざるを得ません。

そう。凄まじく面白いのです。
上下巻の長い話なのに一瞬で読み終えてしまいます。

中学生のひとクラスが殺し合う話ですから、キャラの数も膨大になるわけです。
しかしこの作品、クラス42人全員のキャラがしっかり立っている。これは物凄いことだと思うのです。

この手の話だと当然序盤であっさり殺されてしまうキャラも複数いるわけですが、序盤で退場する人たちも、他のキャラに「あいつはああいう奴で…」と語らせることで読者にしっかり印象付けることに成功しているのです。上手いのです、この作者。

アクションシーンのスピード感、緊張感も、ちょっと気障なきらいもあるけど熱いセリフ回しも、終盤のツイストも全てがエンタメ小説の理想なのです。パワプロでいったら能力値オールAみたいな(伝わる?)。

死と隣り合わせになった状況下だからこそ、登場人物たちは「生きること」という難題に立ち向かい、戦います。その姿は本当に熱いのです。青春小説にも似た爽やかさが、スプラッタの間に確かに存在するのです。いや、ほんとに!!

これに影響されたと思われるデスゲームもの、小説でも漫画でも映画でもよく見かけますが、やはり原典には敵わないと思います。それだけこの作品は物凄い。

ちなみに、若き日の藤原竜也が主演をやった映画版も有名ですが、ぜひ小説も体験していただきたい。登場人物ひとりひとりの感情が描かれてますから(映画だと尺の都合上かなりカットされてる)。
あと全然関係ないけど、通ってた自動車教習所にこれの漫画版がなぜか全巻あって、絵に書き起こされたスプラッタシーンを読んで気分が沈んだ後に教習車に乗り込んだ思い出があります。

7.龍神の雨 道尾秀介

添木田蓮と妹の楓は、継父の睦男の存在に倦んでいた。溝田辰也と圭介は、両親を亡くし継母と静かに暮らす。そして蓮が継父の殺害を計画する。降りしきる雨の中、二組の家族の運命が交錯する。

道尾秀介さんも日本人作家の中では特に大好きな作家です。

どの作品を選ぶか頭の中で激論した末、こちらの「龍神の雨」をセレクト。

僕が思う道尾秀介作品の魅力として、以下が挙げられます。
① 流れるような美しい文章。
② 「これ俺も覚えがある」と共感させられる感情の描写。
③ 予想を遥かに超えてくる結末。

この「龍神の雨」は上記の魅力を全て兼ね備えた、いわば道尾作品の最高到達点と言ってもいいでしょう。

初読時、強烈に印象に残ったシーンがあります。
蓮が働く酒屋「レッド・タン」に辰也と圭介の兄弟がやってきます。辰也が来店した目的は商品を万引きするため。弟の圭介はそれに無理やり連れてこられる形です。
その時蓮は(これから読む方の楽しみのために詳細は省きますが)さまざまな事情から感情がささくれ立った状態でした。そんな中、辰也はわざと蓮を挑発するような動きで商品を手に取り、それを見た蓮は…

苛立ちと後悔と恐怖が混ざり合い、一瞬にして別のものに姿を変えた。それは怒りだった。もしあのタイミングでなければ、何もないゼロの状態から感情が生まれていたのであれば、きっとあれほどの強烈な怒りではなかったのだろう。人間の心は、瞬時に極端な感情を生み出すことなどできない。しかし、そのときは違った。蓮の胸の中で、蜂の群れのように唸りを上げていた苛立ちと後悔と恐怖は、とてつもなく大きなものだった。限界まで膨らみきっていた。それがすべて、怒りへと変わったのだ。自分が何か唸るような声を発したのを、蓮は聞いた。
道尾秀介「龍神の雨」新潮文庫  p67

みなさんも一度は経験があるのではないでしょうか。さまざまな要因でイライラが積み重なっていた状態のときに、ちょっとしたことでストレスの限界値を超えてしまい、つい必要以上に感情が爆発してしまう。引き金になったのはほんの些細なことなのに、それまで蓄積されたストレスのせいで自分でも驚くほどの感情を発してしまった、という経験。感情の現れ方は人によって激怒だったり、涙だったりの差異はあるのでしょうが。

そういう「人間の感情あるある」を分解し、分析し、表現を研ぎ澄まして文章として表現する。それまで小説はストーリーを追えればいいもので、劇的で派手なシーンがある作品こそ正義、みたいな考え方を持っていた中学生の僕に道尾さんの文章はひとつのターニングポイントになったと思います。小説という媒体の力を思い知らされた、大事な文章です。
ひょっとしたら人によっては一介のなんてことない文章に過ぎないのかもしれませんが、何故か僕にはこの文章が心に深く突き刺さっています。

突き刺さった文章でいうともう一点。

想像は人を喰らう。観念の産物である龍が、人間を腹の底に呑み込もうとするように。
道尾秀介「龍神の雨」新潮文庫 p382

想像力というのは諸刃の剣です。豊かな想像力は人生をよいものにしてくれる(それこそ小説なんて想像力の産物の最たるものでしょう)、これは間違いない。でも時には人の首を絞めることもあると思うのです。たとえば恋人が浮気してるんじゃないか、という不安。あのヒソヒソ話はもしかして俺の悪口なんじゃないか、という被害妄想。これも全部想像力の産物ですよね。

なんだか抽象的なことばかり書いてしまいましたが、サスペンス、ミステリとしてもこの作品は一級品です。終盤の展開は道尾作品の中でも一、二を争うスリリングさ。
暗く、重たい話ではあります。でも確実にあなたの心に何か残してくれると思います。登場人物たちに降り注ぐ雨は上がるのか、是非見届けてほしい。


8.銃 中村文則

「昨日、私は拳銃を拾った。」
大学生の西川はある雨の日、死体を発見する。そしてそのすぐそばに落ちていた黒い物体-拳銃。西川は拳銃を持ち去り、共に生活するうちにその物体に次第に魅せられ、「拳銃を撃つ」という確信に似た感情に蝕まれていく。ニュース報道、突然来訪した刑事、虐待を行う隣人の女-追い詰められていく西川が下した結論とは。

「これは俺が今まで読んだどの本とも違う」

これが初読時の感想でした。所謂「純文学」というジャンルのファーストインパクトをこの本が与えてくれました。

拳銃という、片手に収まるサイズなのに強大な存在感で「私」の精神を蝕んでいく物体。「私」がどんどん深みにはまっていく様を、熱量を削ぎ落とした冷徹な文章で描いていきます。そのクールさに僕は魅了されました。「私」が拳銃に魅せられたのとまったく同じように。

文章表現の美しさという純文学的魅力と、刑事との対話シーンなどに見られる息詰まるサスペンス。普通では同居し得ない二つのジャンルが見事に融合した凄まじい作品です。

僕はこの作品で中村文則氏にハマり、さまざまな作品に触れ、毎回ノックアウトされる(最近では「R帝国」にぶっ飛ばされました)のですが、思い出補正と、純文学という新しいジャンルへの道に誘導してくれた感謝もこめ、「銃」を10選に選出させていただきました。

「私」が拾った拳銃。
はたして「私」は誰を撃つのか?
その結末はある意味では意外、またある意味ではそうなるしかないよな、という結末。そしてどこか示唆的です。

↑の意味はキミの目で確かめろ!(ファミ通の攻略本並感)

銃、拾っちゃったらどうしよう。
皆さんはどうします?
そのまま持っておくのか?
誰かを撃つのか?
それとも…?

9.身の上話 佐藤正午

地方の書店に勤めるミチル。平凡な毎日に飽き飽きしていた彼女は思いつきで不倫相手の豊増とと共に、勤務時間中にもかかわらず東京に飛んでしまう。そしてひょんなことから所持していた宝くじ。それがなんと2億円の当たりくじであることが判明。ここからミチルの人生が大きく動き始める…主に、悪い方向に。
そしてこの物語の語り手を務めるのは「ミチルの夫」を名乗る人物。一体彼は何者なのか?

「すごい、すごすぎる、いややばいなんだこれ」

読み終わった後、あまりの興奮にパニックになったことを覚えています。端正な文章。練りに練られた構成。予想がつかない、つくわけもない展開。終盤のツイストに次ぐツイスト。
よくない表現かもしれませんが、本当に、本当に本当に完璧な小説です。

主人公のミチルは意志が弱く、流されやすい、なおかつ後先を考えず行動してしまう、少々たいへんな性格の女性です。
そんな大変な性格のミチルは、宝くじで急に大金を手にしてしまう。そのお金で幸せに暮らしましたとさ、となるわけもなく、さまざまな災難が彼女に降り掛かります。大金を手にした後の展開は本当に凄まじいスリリングさで、読むのを途中で止めるのは不可能です。断言しましょう。不可能です!!ですので忙しい時にこの本を開くのはマジでやめましょう。

そして語り手はミチル、と思いきや「ミチルの夫」を名乗る人物。色々と恐ろしい事件が起こるのですが、その人物は淡々と、終始平坦なテンションで語っていきます。人がキレても失踪しても殺されてもずーっと平坦。それがまた恐ろしい。
一体この話はどう決着がつくんだ、そもそもこの語り手誰なんだ??と謎に次ぐ謎に翻弄されながら読み進めると、まさかまさかの結末に帰着します。

佐藤正午さん特有の流麗な文章と息が止まりそうになるサスペンス。この合わせ技はぜひ全人類経験すべきです。

10.虐殺器官 伊藤計劃

9.11以後の世界。徹底的な管理社会の実現によりテロは消滅の方向に向かっていたが、未だに耐えない虐殺。その虐殺の影には必ず1人の男の存在があった。ジョン・ポール。米軍大尉クラヴィスは彼を追い、チェコに潜入する。ジョン・ポールが持つ「虐殺を引き起こす器官」とは…。

さあ、ラストです。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

語り手を務める主人公の「ぼく」ことクラヴィスは、米軍所属の兵士として数々の暗殺に手を染める冷徹な戦士でありながら、どこか少年の面影を残す人物。

物語は終始クラヴィスの視点で語られるのですが、どこか少年性というか、幼さを残す彼が語り手なので、例えば殺戮のシーンもまるで子供がその日学校であったことを話すかのような温度で語られます。そこが奇妙で、この小説の美点の一つだと思います。(文章の表現などが拙い、というわけでは断じてありません)

序盤から緊張感あふれる作戦のシーンから幕を開けるのを皮切りに、スリリングなアクションシーンが連続しますが、それも語り手のクラヴィスという人物の語りの温度により、たとえば前述の「バトル・ロワイアル」のような血生臭さが文章から漂ってくるような感じはしません。バトロワに負けないくらい血が飛び交い、人が死ぬ話なのに。

もちろん、アクション一辺倒の小説ではありません。「9.11以後の世界」という設定で、近未来的なツールや技術が多数登場(痛覚マスキング、壁に投影するキーボード、コンタクトレンズの要領で眼球に装着し戦闘に必要な情報を投影する"オルタナ"など)してワクワクさせてくれますし、クラヴィスが接触するジョン・ポールの恋人ルツィアとのやり取り、そして倒すべき敵ジョン・ポールとクラヴィスの対話シーン。これは一見の価値ありです。

作者の伊藤計劃氏は34歳という若さでこの世を去っています。癌を患い、闘病生活の中、癌が寛解期に入った僅かな時間の中でこの物語を書き上げたのだそう。
その期間、わずか10日。なんということか。

伊藤氏が命を削って紡ぎ出した最高のフィクション。読んでくれ。そして圧倒されてくれ。確実にあなたの人生に必要な経験だ。



はい、お疲れ様でした!以上になります。

楽しかった。そして疲れた。

好きな物事を語るのはなんて楽しいことか。

ここまで読んでくださった方、本当にあなたは奇特な方だ。奇特で、なおかつとっても優しい方とお見受けします。ありがとうございました。

まだまだ僕は読書量的には「読書家」を名乗るにはヒヨッコだと思っております。
アンテナを常に張りつつ、これからもどんどん素敵な本に出会えることを願って、旅を続けていきたいと思います。


駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
それじゃまた!

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