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🐰ゆる不食の経過報告(24日目)

ゆる〜い不食(完全断食ではない※)を始めて、24日間経過しました。

ほとんどまともにご飯を食べてないのに、毎日一万歩前後歩いても全然元気で、私の体はどうなってるんだと自分でも不思議です。

むしろきちんと三食摂っていた頃より、3倍くらい活動的で驚きます。

メンタルが静かで、考える前に動けることが、私にとっては嬉しい効果です。
(これは不食のせいなのか1日中祈っているせいなのかはわかりません。どちらかと言うと祈りのせいでは??という気もする…)

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400%達成てどういうこと?10万歩とか歩きすぎやろ


たまに食べてるもの:蜂蜜、ナッツ、酒粕、海塩、味噌汁の上澄み

基本上記以外はExceptionalで、飢餓感は特にありません。
暇なとき「ちょっと何か味わいたいな」は出るけど。

でも特に食べることを禁止しているわけでもないから、外食したとき家族におすそ分けをもらったりしてます。祈ってみてよさそうだったら、数口いただくみたいな。

献身滞在の期間中は、お料理ファンクションの仲間たちが作ってくださったものは、愛&感謝とともに味わえたらいいなと感じています🫶✨ 

なお、私の場合、空腹感からでなく「舌に情報がほしい」から何かを味わいたくなるみたい。

空腹感からの「食べなきゃ死ぬ」みたいな気持ちはまったくゼロです。
それより「味覚を通して何か(情報)と繋がりたい」という欲求がわきやすいみたい。

体重は5kg減りましたが、不食や断食の先達の書いたものをいくつか読んだところ「適正体重になったら体重の減少は止まり、少し増える現象が起きる(これを甲田カーブと言うらしい)」とのことなので、こちらも特に心配はなさそうです。

この期間での感想としては、「食べなくても生きていける」感覚があり、味覚の楽しみのためにちょっと口に入れる、くらいでよさそうな気がしています🤔


断食の大家である甲田先生によると、食べない生活がうまくいくかどうかは、その人の信仰心と大いに関係があるそうな。

だからといって楽しく食べることはまったく罪ではないし、神の愛を食事から感じられるのなら、むしろ大いに喜んで食べたらよい(ハッピー)と私は思います。


私が知りたいのは「私の正体は肉体ではない」ということなので
食べようが食べまいがそこに神の愛を感じられるならなんでもいいんじゃないかと思っていて
何にせよガイドされるままにいきたいです。

そういえば
この間レバーの煮付けをひと口だけ食べた直後、意味のわからない怒りが込み上げてきたことがあり
一瞬「肉(しかも怒りと関連のある臓器である肝臓)を食べたせいでは?」と肉への罪悪感ファンタジーを信じかけたのですが

はるかから「信念が知覚されてるだけやろ」と冷静なツッコミをもらい
それな!
となってからは

何を食べて(食べなくて)
何を感じたとしても、
私の正体は肉体ではないんだから、そこに本当の因果関係はない。

という感覚になってきています。

全部間違うもんね〜

目覚めたヨギたちは、大量の毒を飲んでもケロリとしているというから

「何を食べても食べなくても『私』の本性は肉体ではないから、不変で傷付かない」ってことなのかなぁ?


食べても食べなくても
神の愛を感じられるなら
ぶっちゃけどっちでもいい
今は不食(極少食)の生活だとハッピーな感じで過ごしやすいかも、と思うけど

それはとにかく自分が本当は何者なのかを教えて欲しい。

というのが
今のところの正直な知覚です。

以下の声明以上に、世界が聞くのを恐れているものはない。
私は、私であるものを知らない。
だから、私が何をしているのか、どこにいるのか、あるいはこの世界や自分自身をどのように見たらよいかも、知らない。

だが、この学びの中で救済が生まれるのである。
そして、本来のあなたである存在が、あなたにそれ自身について教えてくれるだろう。

(奇跡講座 上巻 三十一章 Ⅴ17-6〜8)


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