MIMIi
今日、ひさしぶりにライブに行った。
唄人羽の本多哲郎のソロライブ。
土曜日にあった羽のライブは予定が合わずに行けなかった。
彼のライブを観るのは本当にひさしぶりだ。
最後に見たソロのライブは確か渋谷だったはず。
数年ぶりに触れた彼の音楽。
なつかしい景色や、思い出や、夕日の色や、気持ちがたくさん出てきた。
彼の唄で私が特に思い入れのある曲がある。
もちろん大切な曲はたくさんたくさんあるんだけれど、
中でも特別なのは「ミミィ」。
彼が飼っていたチワワへの曲。
私も「ちっぷ」というチワワを飼っていた。
ちっぷは病気だった。
昔書いた記事がある。
勝手にこの曲にちっぷを重ねてた。
彼がこの日ミミィの話をした。
福岡に引っ越してひさしぶりに東京に来て。
ミミィの思い出の場所へ行って、
お世話になった人に挨拶して、
その人と思い出の場所の桜の木の下あたりに散骨したと。
その後に演奏した曲では、
「きみのいない家に 僕は帰る」みたいな歌詞が
最後はそのきみは僕の胸にいつもいると唄っていた。
旅立ってしまったミミィ。
彼の中でミミィがやっと形を変えて永遠になったんだなぁと。
そして、桜が毎年必ず咲くように、
ミミィの季節がちゃんと花を咲かせてみんなを笑顔にしたり、
大切な思い出になったりしていくんだろうなぁと。
演奏しないと思っていた「ミミィ」は、
一番最後に演奏した。不意打ちだった。
本当に不思議なのは、
「ミミィ」の歌詞は「ただいま おかえり 大嫌い 大好き」と、
日常にあふれている言葉が並んでいる。
だけどこの曲の中にミミィがちゃんと生きていて、
私が聴く「ミミィ」の中にはちっぷがちゃんと生きているんだ。
あたしが帰るとヨタヨタの足で玄関まで来てくれた姿、
夜遅くまで仕事をしていて、母のところで寝ていたちっぷが、
あたしが寝る前のトイレに行くとそっとヨタヨタ起きてきて、
一緒に寝る気満々でそばに来てくれる姿、
毎晩一緒に寝る前にちっぷに「大好き」と伝えていた思い出。
ありふれた言葉だからこそ、
この曲の中にちっぷがちゃんと生きていてくれる。
この曲をライブで聴くたびにあたしはちっぷに会えた気になる。
この曲が入ったアルバムにはとても思い入れがある。
当時あたしは東京での仕事を辞めて実家の群馬に戻った。
音楽の仕事を辞めて家族と一緒に生活することを選んだ自分にとって、
このアルバムは音楽に触れている楽しさを教えてくれた存在。
未練がなかったわけじゃなかった音楽の仕事。
だけど、それ以上に家族よりも大切なものはないと選んだ自分の選択が、
正しいものだったんだ、大丈夫と言い聞かせる毎日で、
このアルバムを聴いているとやはり音楽は素晴らしいと思えた。
あたしはこのアルバムが出たあたりに比べると、
今はもう東京で暮らしているし、
結婚もして、大切な家族ができて、
「ももきち」という新しいフレンチブルドッグの家族もいる。
彼はミミィを桜と一緒に永遠にしたように、
あたしは、「ももきち」を迎えることで、
ちっぷはまた新しい、別の存在、でも一生変わらない存在になった
ということを知った。
ももきちを迎えるときに、何度も旦那は話し合いをしてくれた。
フレブルを飼いたかったという旦那の長年の夢。
そのたびに実はあたしは何度も泣いて、
「ちっぷを上書きしてしまうようでできない」と言っていた。
旦那はあたしの実家の群馬県で生まれた子を探していた。
奇跡的なタイミングが重なって出会えたももきち。
初めて会いに行ったとき、まだ実は少し戸惑っていたあたしに、
ももきちはそっと何人もいる大人の中からあたしの腕を選んで爆睡してくれた。
この腕の中で彼はすやすやといびきをかいて寝てくれたのだ。
その姿に、ちっぷが「迎えてあげて」と言ってくれているようで、
不思議なんだけど許されたようで、そこから戸惑いが一切消えた。
ちっぷは新しい存在に、永遠になった。
彼の音楽に本当にひさしぶりに触れた。
あの頃から比べるといろんなことがあまりにも大きく変わっていて、
今の新しい毎日の中では、
最近ではすっかり作業BGMになる曲ばかり流している時間が増えて、
ゆっくり自分のことを振り返る時間を忘れてた。
だから知らない曲も本当に多かった。
だけど、改めて聴いてみると彼の曲の中にはやっぱり景色があるのだ。
そしてその景色の中はいつだって優しさであふれていた。
強い曲もある。
でも彼の持っている強い部分と優しい部分のバランスが、
自分の中に持っているものと、すごくほどよくリンクして、
いろんな自分に会えたような気になる。
曲ごとに違う映画を見ていて、
その映画の中にちゃんと自分の思い出が溢れているような。
そしてその思い出が曲とともに真空パックされているようで、
触れれば一気に空気を含んで、目の前にそのまま広がって、
いろんな人に会えるような気がした。
あのときと、今も、
いい意味で変わらず真空パックしてくれているのがすごい。
彼は自分で気づいていないと思うけれど、
そういう変わらなさがどれほどすごいことで、
そしてどれほど救われているか。
変わってしまったら、
真空パックしているあたしの思い出の景色には
もう出会えなくなってしまうかもしれない。
だから、心から願う。
これからも彼が唄い続けてくれますように。
彼の唄の中にちゃんとあたしの物語がある。
思い出がある。
そんな思い出たちがあふれたから、
帰り道は時間をかけて歩いて帰ることにした。
胸がいっぱいで、
ちっぷのことも本当にひさしぶりにくっきり思い出した余韻を、
もう少し楽しみたくて。
家に帰れば大切なももきちが待っていて、
「歩いて帰るの?えらいね!」とLINE返してくれる旦那がいる生活に戻る。
その毎日が涙が出るほど愛おしくなった。
頑張ろう。あたしも。
大切な音楽があたしにはある。
それがこれまでの自分の人生で出会えた宝物なのだ。
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