#16 who am I ?
ーーー僕は何者だ?ーーー
前回のnoteで、情報過社会について書いた。
そこでも触れたけど今の世界ってスマホ1台だけでも情報が多すぎて、繋がりやすすぎて、対象が多すぎて、すごく「自分」を見失いやすい世の中だよなって本当によく思う。
でも、紛れもなく、この人生っていうゲームの主人公は自分であって、プレイヤーの変更は出来ない。だからこそ自分のキャラクターの理解を深めていかなければいけない。
自分のことって、もちろん自分がよく知ってるはずだし、分かってるはずなんだけど、時々よく分からない時もある。
「一体俺って何がしたいんだろう?」「これまでの自分はなんだったんだろう?」そんな風に過去の自分に嫌悪感を抱き、自己否定をしたことって誰しも1度はあるのではないかなって思う。
けれども、そうやって何度も何度も人生をコンティニューしていく過程も自分であるわけで。スタート地点に戻ったわけではなく、寄り道してレベルアップしてるだけで。その積み重ねが自分を形成しているんだって。そういう風に考えている。
だからこそ僕は常に「自己対話」を大切にしている。
具体的にはメモ。媒体はスマホのメモ機能でも紙でも良い。このnoteだって良い。その時の自分の気持ちに任せて手を動かせばいい。
僕は結構、次男・末っ子らしく素直で自由奔放なところがある。親に自分の選択・行動を否定されたことがないからこそ、良くも悪くもそこが僕という人間のパーソナリティだと思う。
端的に言えば、自分も友達も認めるくらいめちゃくちゃ好奇心旺盛。1日を通して、色んなことを考えている。悪く言えば散漫。
それを頭の中にストックしておくだけじゃ、本当に頭がパンクしてしまうからこそメモして、形に残す。
人間辛いことがあっても、ご飯を食べて、ベッドで眠って、時間が過ぎればそれもだんだんと和らいでくる。
それに応じて気持ちも体調も変わってくる。
同じ出来事でもその日の気分によって、捉え方が全然違ってくることだってあると思う。
だからこそ、その時にその出来事を通じて何を考えたか。自分は何をしている時にワクワクするのだろうか。それを継続的に記録していくことで「自分」というキャラクターの理解を深めていくことが出来ると思う。
人生は選択の連続。
人は1日に10000回くらい選択をするらしい。
そうした選択の連続が内面的にも外面的にも自分を形成していく。
他人や本、映画や音楽の外的要因で自分の幅が拡大していくと同時に「自分らしさ」を見失うこともあるだろう。
けれどもそれもそれで良いじゃないか。それはただの「自分らしさ」の発展途上なんだから。
どの道を選んだところで必ず批判は付いてまわるのだから、どうせなら自分が自分らしく生きられる道を選んだ方がいい。もちろん謙虚さと愛を忘れずに。
これは僕が好きな、棚木悠太さんのインスタの言葉。
世界中の全ての人が自分を肯定してくれることなんて絶対ない。あり得ない。この世界には78億人もの人が居るんだから。
ただ周りにいる自分を肯定してくれる人たちは本当に大切にすべきだとつくづく思う。
だからこそ、その人たちに感謝をしていきながら今日も僕は自分らしく。
素直に。伸び伸びと。自由奔放に。
それと自己対話を大切にこれからも生きていきたいと思う。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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