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人の話は聞かない
今日もなにも書くことはない。
自分と、自分のことを好いてくれているだろう誰かと過ごすことは、人生の中でも上位になるほど幸運なことであろうが、
そういう人との会話の中で、自分の気持ちに正直で、自分で言語化したように思うこと(だけど年齢を重ねた人にとっては常設の問題に対する回答と思われること)を口にすることは、恥ずかしさと悔しさを伴うことを知っている。
特に相手が年上だと、「わたしにもそう思う時があった。あなたは今そういう思いを抱く"トキ"なのね」という、自助というか、庇護というか、守られているけれど突き放されている感覚は慣れない。
そして、たぶん、わたしが、彼ら彼女らと同年代になったときには、年下の人間に対し、そう思うのだろう。
なんとつまらないことか。
同じことを繰り返してしまっては面白みがない、と思ってしまうのは自分に負荷をかけ過ぎか。
わたしの尊敬する人は、わたしより何倍も社会的に評価を受け、わたしの想像以上に"ファン"を生み出すもの。
同じことをしようとは思わないが、そういうことを出来る人は少ないとも思う。
何が言いたいか分からないけれど、
ポジティブに言えば、そういう、社会的に認められたひとが"語ること"は、ある場面では有意義であること、
そして、
悪く言えば、それは一個人の意見でしかないこと
聞き手の心理的状況、どれだけ相手の言い分を聞く余裕があるかに影響する、とても流動的なもの。
でも、
伝えたい思い・言葉は、きっと伝わる。
明日、1ヶ月後の問題ではない、
1年後、10年後だ。
そう、人は簡単には変わらない。
時に、ひとは簡単に変わる。
だから面白いんだよね。
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