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わたしに未来はない。今がある。

わたしは自分を信じていない。

わたしは、自分の"未来"に期待はしていない。


自尊心とか自己肯定感とか、そういうことではないと思う。なぜならそれらは、"今"の自分に対する対応だから。


よく、「将来の夢は?」「10年後は何していたい?」とかいう問いがあるが、わたしはその類が苦手だ。


なぜなら、
「10分後にわたしが何を考えているか、感じているか、自分でも分からないのに、そんな遠い将来はわからない」
からだ。


今の自分が好きか好きじゃないかとかを考える以前から、なぜかわたしはそう感じていた。


多分、幼い頃から、「門限の17時までに帰ろう」と16:00に友達と話していたとしても、実際には19:00に帰宅したり、
25歳になったら結婚して都内のマンションに住みたいなと20代最初に考えていたけど、25歳をすぎて今、全く結婚とかマンションとか興味がない。


こんな感じの自分への期待は大小いろいろであれ、大体の人は経験がある感情だと思う。


そして、わたしは幼い頃から、幾度と数分前の自分に絶望し、「なんでこんな簡単なことができないんだ」「なんで約束を守れないんだ」と自分を責めていた。

たくさんたくさん、自分に絶望してきた。

もっと若いときは、まるで絶望するために、自分へ期待や未来の約束をしていた。


でも、20代半ば、絶望するのに、飽きた。
そもそも、自分とって無理な期待や約束をしていたんだな、と気がつき、「未来の自分はわからない」と確信した。


それからは少し身が軽くなった。


「英語学習のために、このテキストを月末までに1週読み切ろう」
という自分に対する期待(目標)をしていたが、今は
「このテキストを毎日2ページ読もう。やりたくなかったら1ページでもいいから、とにかく毎日テキストを開こう」
という感じだ。明日の自分、月末の自分なんて、全然信用できないもん。


「これからずっと一緒にいようね」
も、結構苦手だ。大切な人がいても、わたしからは言ったことがない。
言ってもらっても、はっきり「うん」とは言わない。可愛げがない。


わたしは、未来の自分を信じていない。


だからといって、未来に希望がないわけではない。


希望ある未来にぽーんと飛ぶというよりは、今足す今足す今足す今……今の陸続きが未来という感覚。


10代の時に手放しに感じていた、キラキラ輝く未来ではない。
それなりに重いし、キラキラしていない。


でも、わたしの未来はそれでいい。
それなりに重量があるから、面白い。


今が楽しかったらきっと未来も楽しい。
だから、今を生きる。

月並みな言葉と思考だけど、やっと実感できた。


今まで絶望してくれた自分、ありがとう。
とりあえず、今生きてます。

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