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天才の孤独

 noteを始めてからここまでかろうじて連日投稿しこれが9本目。以前書いたものを掘り出し編集した「過去日記(=非公開日記)」に現在の心境を追加した記事と、「なんどわかっても、わからない」の二本立ての体裁です。

「過去日記」はmixiに非公開設定で投稿してきた記事からの流用なので、つながっているような、いないような。順序は守りたいけど全記事をもってくるわけでもない……。

 自分でもわかりにくくなってきたので、今回から目次機能を使ってみます。痒い所に手が届くnoteさんの機能に感謝♪

非公開日記10「天才の孤独」 2015年01月25日18:28

 昨夜は息子がまたおしゃべりしていた。友人たちとオンラインゲームをしている?とか? 詳細は不明。うるさい。これまで何度か注意をしてきているので一応気をつかってはいる様子だ。特に注意はせず、耳栓を装着して寝たものの気が付くと耳栓ははずれていたし、まだしゃべってるっぽいぞ、と感じて耳をすませたらやはりしゃべっているようで、それがもう明け方なのだった。

 一晩中しゃべる体力とか声帯の強さとか、たいしたものだ。とにかく一応気は遣ってくれていた(←ココ重要だから! )し、怒る気にならず気をそらしがてら声帯の強さにちょっと感心。ほめるわけにもいかんけども。

 睡眠不足とはいえ今日も受験生の娘は朝から塾なので起きて起こす。午前の強化授業は9時開始。今朝はすがすがしく起きてはりきって出ていった。動きとしては緩慢で地味だけど、彼女の基準に当てはめれば「すがすがしい」し「はりきっていた」のである。誰が何といってもそうなのである。

 昨日持ち帰った塾内模試の結果、B校合格の可能性90%・トータルで70%。志望校候補にはなかったはずなのになぜか第二希望の欄に記入されていたC校も同じく70。D校はもう少し低かったかな。驚いたのが、国語に限ってはB校C校共に受験生の中で「1位」となっていたこと。D校では「2位」だった。かっこいいぞ娘さすが娘。ぜひとも高校では国語女王として君臨して欲しい。

 というわけでもあり、ここのところ塾以外外出していないこともあり、なにより第一志望校と決めたA校なら余裕という感覚がさらに増大した結果「いますぐゲームを買う」と決意した娘に誘われておでかけした。

 大型家電量販店でゲームソフトを買う、というパターンを想像していたらしかし彼女がかの地で購入の意志を示したのはソフトではなくハードだった。「プレステVita」。なんだそれ。2万円弱の値札がついている。ハードだ。そうかこれかこれが欲しかったのかあ。なんやらずっと欲しい欲しいというていたわ確か。

 専用メモリーカードに加え、ダウンロードするためのソフトとかいう代物も併せて手にしレジへ行く娘を見守っていると、全部で3万超えてました。払えるとは言ってたけど、ポイントが1,200とちょっとあったので全て提供、支払額は29,081円に。81円だしてやり、娘の支払いはめでたく( ? )29,000円。たけぇよ。

 その後、せっかく出かけてきたんだからお茶とかしたいよぅと駄々をこねるわたしにさっさと見切りをつけて帰途に着く娘と別れ、ひとりべッカーズで『鉛筆デッサン小池さん』を読み終えた。図書館のティーンズコーナーからの掘り出し物である。

 長谷川集平さんは、中学校での読み語りで使われた「ホームランを打ったことのない君に」「はせがわくんきらいや」の作者で、何気に手に取ったところ裏表紙の「少年たちの、ブルー・ノートな季節」という紹介文に惹かれて借りてきた。

「ウノ美術研究所」と呼ばれる美大予備校講師の小池さんを「尊敬している」ぼくが、同じく予備校に通う同世代の仲間たちと過ごす日々を綴った日記のようなストーリーは、起伏が少なく先が気になる展開というのではないけれど、絵を描く人やそこを目指す学生の繊細な心情と、美大予備校生が習得しようと励む独特の技術への興味にひっぱられるように読み進んだ。

「天才の血」を持つ「小池さん」の孤独や寂しさ、報われなさが切ない。​

ぼくらは孤独を、他人の孤独も自分の孤独をも、そっとしておいてあげる勇気がなきゃいけないんだ。

と絵描きのさだめを語る「小池さん」の言葉と

絵描きの人生は、他の人生と比べて、いろんなことがより裸の姿で見えやすい、漫画みたいなところがあるので、命の問題があからさまにならざるを得ない。

と書かれたあとがきに感じ入りました。

★ ★ ★

……過去日記ココマデ。読んでくださった方ありがとうございます。

この過去日記は公立高校受験目前のころでした。

なんとのんきな日々を送っていることか。とはいえこの状況を生むための努力はした。し尽くしたといっても過言でないくらい、した。

 このとき大学一年の、のんきに深夜しゃべりたおしている息子は中学2年生の後半に。このとき中学三年の、のんきにゲーム機を購入している娘も小学6年の数か月と中学1年のときに、それぞれ不登校になったので、のんきな親だったわたしもたいそう鍛えられました。

たとえばこんなふうに(以下、息子中2の秋、不登校のスタートはわたしが切らせましたという内容の日記です。懐かしい)

★ ★ ★

2009年10月16日の日記「傷だらけの道化師」



昨日突然彼の傷が見えてしまいました。言ってしまえばつまり、心の傷というやつでしょうか。それこそきっかけとか何もないんだけども。彼の下校する後ろ姿をたまたま見かけたくらいかな。

常に覇気がなくよれよれしている息子に対して、なぜにこんなに疲労困憊しているのだ? とずっと疑問だったのです。
朝起きられないのは夜更かししているからだし、
成績が悪いのは勉強してないからだし、
全部自分自身の問題ではないか? と𠮟咤したい思いでいっぱい。実際𠮟咤もしてました。
自分がどんなふうに失敗してみせてウケたかを話す彼に、ふざけてばかりでいいのかという返答しかしてきませんでした。

甘やかして増長させるのを恐れるあまり執拗に追い詰めてしまうしかない、そんな日々。これでは親子して疲労困憊するぱかりだと、そのくらいはきづいていたつもりなんだけども、なんというか、問題はもっと別の次元にあったのかなと。

下校時の後ろ姿はまるで亡霊みたいに存在感を消している。
塾帰りの顔は目が落ちくぼんで青白い。
学校で「悪気はない」級友から「いじられ」て、それが嫌だとつぶやく彼の学ランに毎日ついてくる汚れ。

成績をあげたい気持ちはあるのに勉強する意欲がわかずに苦しむのは、がんじがらめになるほど追い込まれているからで、人の良さにつけこまれつつ、そんな自分を面白がる友達の期待にこたえてしまうのは、どうせ俺はと卑下しているから。

彼は自分の価値が見えないせいで、人(ワタシ含む)から痛めつけられることを許してしまっている。

そんな彼の、実際にはキズひとつない肌が、一瞬にして擦り傷切り傷、刺し傷まで負い、息も絶え絶えになっている姿に見えてしまい、大げさでなく、このままでは死んでしまうと感じたワタシは、今頃気づいても遅いけど、ごめんねと声をかけてあげる時間があるうちになんとかしたいと本気になりまして。

で、その時ムスメと食べていたのが、(買ってきた)紫芋コロッケ。
それがあまりにおいしかったものだから、即座に「明日は二人とも学校休もう、鎌倉にコロッケを食べに行こう! 」と宣言したわけだったのでした。

自分の直感を信じた結果、いつもよりずっと子供たちは気持ちよく早起きし、平日とは思えぬにぎわいを見せる鎌倉に罪悪感は消え去って、ここは呑んでいい場面とばかりコロナビールを片手に闊歩し呑んで見なさい旨いからと勧めるワタシに息子は呆れて笑い、子供たち初体験の不二家の大盛りに撃沈させられながら大盛り上がりにて無事帰宅。

それがなんだと言われれば、親が率先してさぼらせたりしてクセになったらどうすると言われれば、何の返答もできないし、ただ甘やかせただけかもしれないけども、ワタシたちにとっては最良な方法だったと信じたいと思うのです。
息子の治癒力を高めるためには、地道に細胞を活性化させていくしかないのよ、た・たぶん。。。

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2009年10月16日の日記ココマデ。長々読んでくださった方ありがとうございます。

 当時こうしてお互い血を流す思いで学んだもろもろ。意外なほど忘れていました。書いておいてよかった。


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