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ハハが名画を丸洗い

あなたが道を歩いていて、ある家の前を通ったとき

庭先でしゃがんでいる主婦が、ホースでジャバジャバ水をかけて、一心不乱に何かを洗っているとします。

何の気なしにその主婦の手元をみたあなたは、主婦から水をかけられているものが、本来水濡れ厳禁であるはずのものだと気づきました。

それは(絶対どこかでみたことのある有名な)絵画が装填されたままの、立派な額縁だったのです……。

\(◎o◎)/!

びっくりしませんか ?しますよね ?

それは、わたしが十代の頃、外出から帰宅した際に見た我がハハの姿でした。しばらくショックでフリーズした記憶も残っています。

ただ当時、ハハに関して「ショックでフリーズ」するのはそれほど珍しいことでもなかったので、動揺が収まるのをただただ静かに待ちました。はい、それがいつものルーティンでした。

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ハハがまるで古い桶でも磨くがごとくホースで水を浴びせかけながらごしごしと埃を洗い落とす荒行をしていたのは、娘のわたしもよく知っているハハの古くからの友人が新築祝いに贈ってくださった、マネ「笛を吹く少年」でした。

実のところ、当時というか、わたしの記憶にあるハハは、9割がた普通ではありませんでした。が、それが性格なのだとあきらめていました。

でもさすがに「あの(親切で優しくいつも何かとわたしたち家族のことを気にかけてくれている)ハハの友人が、心を込めて贈ってくれたと容易に想像できる、高価(であろう)贈り物の額縁を、外で、水で、丸洗い」というハハの行為を目の当たりにしたとき、わたしははっきりと、彼女の精神状態はもはや結構な危険レベルに達しているのだと確信せざるをえませんでした。

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いつも眉間に深いしわを寄せ、宙を泳ぐ視線は家族の顔をまともに見ることもなく、涙目でため息をついてばかりの、あの頃のハハ。

姑の介護、小姑たちからの過干渉と彼女たちへの遠慮・気遣い、休日のない自営業の切り盛りとお客様との付き合い、ひっきりなしのご近所からの過干渉

そんなもろもろがハハの生来のプライドの高さを刺激して、彼女は24時間気を抜けずにいました。

一日の家事や仕事といった労働を前のめりになりながらこなし、遅い時間にバラバラに帰宅するわたしや弟の食事や入浴が済むのを確認してのち就寝すると、毎朝3時には起床。小ぎれいに身支度を整え、ご近所の誰よりも早く店のシャッターを開けて店の前を掃き掃除。

定番の煮物、季節の混ぜご飯(栗ご飯、豆ごはん、五目御飯)、お彼岸のぼたもち、お盆の味噌田楽などこまめに炊き上げては小分けにし、親類縁者やご近所さんや、仕事関係の方たちに配布。

実家から定期的に送られてくる米や野菜や特産品も、家族のわたしたちの口よりも、親類縁者やご近所のみなさんや、仕事関係の方たちが優先。

当然いただきものもすぐに、差し上げるべきお宅の件数に合わせて小分けされ梱包されて配布したし、いただいた方へはすぐに、本当にもう、いくらなんでも失礼でしょという速さで即お返しの品を差し上げたり、とにかく四六時中、あげるもらうの地獄のルーティンワーク。 

(持っていけと言われて当日の内にお返しを持っていき、「もう?」とムッとされたこともあるし、留守中に家の前に果物が置かれているとか、どなたからの頂き物かわからないときには必死の推理を働かせて速攻お返しするものの、その人からのいただきものではなかったことが判明するというめんどくさいフライングも)

そんなふうに他人の目と口を気にし「いい嫁ご」と言われるために何をすべきかばかりを考え、「これをしないとあの人に何を言われるかわからない」を行動基準として、人の思惑(ほぼ勝手な妄想)を先取りして血まなこになりながら動き回るハハには、「自分」も「家族」も「今という時間」も「安らぎ」もありませんでした。

★ ★ ★

名画を丸洗いしていた母の気持ちを、だからわたしは推し量ることはできました。

常日頃の鬱憤に、絵をプレゼントしてくれた友人が幸福そうであることへのやっかみ。あれもこれもと自分を追い込み、段取りしか頭にないために起きた事故的要素もあったことでしょう。

物心ついたときにはすでに父とハハとの間に会話はなかったし、ハハは「わたしはいいから」が口癖で、自分のためのことは決してしないことを断固として守り、それをアピールしていました。

「わたしはこんなに頑張っている」

「わたしは自分のことすべてを犠牲にして、全力でもって本家であるこの家に仕え、お姑さんに仕えている」

それが彼女の存在意義のすべてなのは理解できても、家から離れず行楽の類にも一切行かず、毎年熱心に誘って下さる同級生のみなさんからの同窓会の誘いにも一度たりとも応えず、お姑さんの健康状態が悪いからといって実の兄弟のお葬式にもいかなかったハハ。

家族はたまったものじゃありません。

ハハに何から何までひとりで抱え込まれたら、家族は全員役立たずの烙印をがっつり押されてしまうし、自分のための愉しみを一切排除しているハハの姿を見せつけられたら、家族は何をするにも気兼ねせざるをえません。

特に、第一子であり唯一の娘だったわたしは、ハハの助けにならないことを恥じ、ハハが不幸であることを自分のせいに感じて、いつもいつも辛く悲しい思いでいました。

今でもときどき考えます。ハハの望みはなんだったのか。ハハの分身としてわたしが動けばよかったのだろうか。それは可能だったのだろうか、と。

★ ★ ★

元あった場所にかけられた「笛を吹く少年」には、あきらかに水濡れによると思われるはっきりとしたシミが大きく広がってついていました。が、それを気にする人も指摘する人もいませんでした(少なくとも家族の中では)。

当時それをひとりで眺め、悲しい気持ちで黙り込んでしまった自分が、数十年を経た今は、あまりに幼く思えて情けなくなります。

今ならその絵に指をさし「なんでやねん!!」と突っ込みたい。そしてできることならハハ本人に向かって「なにやっとんじゃ!!」と突っ込んで、一緒に大笑いしてみたい。

今のわたしなら、それは可能だと思うのです。



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