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過去日記「ボケ連発」と、坂口恭平さんのこと

前説

毎日お暑うございます、的な挨拶しかできなくなっていますね、そうですよね、そうじゃないですか。午後ともなると近隣が異様に静まり返ってるもんなあ。週末も。

わたしは炎天下であるほど妙にテンションあがるというか、エアコンの室内にとどまるのが苦手だったりで、「焦げるー! 」と言いながらちょろちょろと外に出ています。マスクもちゃんとつけてます。腕は完全に土方焼けして肘から先がこんがりといい色になってます。シミの大量増産が容易に見込めます。いいやもう。

関西と中部に住む友人からは「外に出たら溶ける」「息できない」とラインがきました。そうでしょうともそうでしょうとも。彼女たちの住む地域の熱波ときたら。垂直に刺さってくるような熱線。炎の中にいるような眼前の空気のゆらぎ。重い空気は扇風機の力を借りてもどこまでもぬるく、決して体感温度を下げてはくれない。長く住んできたわたしの体にもその尋常ではない重みのある熱はしみついてます。だからこそ、今住んでいる関東の暑さをツライとは感じない。感じないけどたぶん体には十分こたえているはずなので留意したいとおもいます。

というわけで過去日記です。

非公開日記34「ボケ連発」2015年06月14日00:21

昨日6月12日、救急医療センターで健診。日時だけをチェックしていたので、予約時間の10時半に間に合うように支度をして、いざ問診票を書こうと用紙もろもろを取りだしたところで、「前夜は午後9時以降飲食NG、飲酒もダメ」「当日は当然飲食NG」の注意書きを目にした。全部破っておりました。OH~NO! 

さらにさらに。時間厳守っぽかったのに数分遅刻。駐車場が空いていなかったという理由もあるにはあるけど、そのくらいの余裕は見越して早めにいかねばならないのは必須事項だ。でもまあなんとかなるだろう、の甘い考えを胸に到着すると、「10時半予約の方ですか?」と、きっちり確認されてしまい、やはり遅れちゃあかんかったのね、な再認識を促された。

持参した問診票のチェックなどのあと、何か特にありますか?ときかれたので、いそいそと(?)「実は朝ごはん食べちゃって」の件を申告。戸惑う若い女性担当者。「一週間以内なら予約の取り直しもできますが……」と、もしかすると暗に「出直せ」と言いたかったのかもしれないお言葉を戴くも、元より何らの緊張感や切迫感のないワタシだ。「いや、いいでぇす」と続行を願い出て、無事(?)健診開始となりました。やれやれだ。

問診、内診ののち、採尿、身長・体重・血圧測定。そして、採血。採血では、診察項目のチェックの際に、「(当然)食前ですよね」と○をつけられてしまった。「すみません食べてきちゃって」と自己申告すると、受付時同様「検査結果に影響が」「やり直しもできますが」「時間が経っているので大丈夫かとも思いますが」といった種々の問答。結局続行するという判断のもと、何を食べたかをきかれ「パン…えと、塩パンです。マーガリンつけて。あとウインナーを半分と。それから、珈琲も…あ、あの、豆乳を少しいれましたほんとすいません普通に食べてきちゃって」てなもんだ。ほんとに申し訳ないことだ。

ついでに白状すれば、実は乳ガン検診が目的だったはずなのに、申し込むのを忘れていて、もんのすごく、普通の検査だけだった。しかも正確な検査結果がでないだろう条件つき。なにをしにいったのかまったく不明でした。やれやれだ。

★ ★ ★

過去日記ココマデ。読んでくださった方ありがとうございます。

タイトルを「連発」としたとおり、この前後にも大量のボケ事件が列挙されているんですけど発表は自粛。しかし年月はわたしを強くしました。数々のボケを読んでいてもぜんぜん痛くない。人さまに多大なるご迷惑をおかけしたボケに関しては思い出して心の中で手を合わせますけども。

年月もそうだけど、最近のわたしの心をより強くしてくれているのが、坂口さんの言葉です。ありがたや。

今読んでいる本

少し前にはこちらを

「まとまらない人」を最初読んだときは、坂口恭平ってどんなひと? という入り口の段階だったせいか、読んでも読んでもまさに頭の中で何もまとまらず、どう受け取っていいのかわからないでいたんです。

ところがツイッターで坂口さんのつぶやきを日々おいかけているうちに、いつの間にやら彼という人そのものにすっかり心酔。するとあら不思議! 本に書かれている言葉一つひとつがピタッと心にはりつくみたいにわたしを支える力になってくれました。こんな体験するなんてほんとびっくり!!でした。

付箋を貼っていたらほぼ全ページに必要になりそうだったので、これと感じる一文はノートに書き写していきました。今開いてもどれを選ぼうか迷うほど、元気になれる言葉がたくさんありましたが、ひとまずこれかな。

散歩をすすめるのは、足を止めると思考が止まるから。やっぱ足は止めちゃだめ。それを家の中でできるのが、手を止めるなってこと。 (中略) だから、手だけ動かせばいいの。それは足を動かしてることになる。

気がかりなことがあると次の動きにうつりにくくなる。停滞する。そして気がかりは気がかりなまま解決しない。たぶんわたしも相当鬱傾向が強いたちだと思うので、日々自分の心身をどう取り扱えばいいのかが悩みどころです。

坂口さんのこうした言葉はほんとうに頼もしくて、太くて大きな腕でがっしりと心と体を支えてくれるような具現化した力強さが感じられるから、とにかく実際そのままに動けてしまう。「手だけ動かせばいい」「はいわかりましたっ!」ですぐ動く、みたいな。

『自分の薬をつくる』では、『まとまらない人』に書かれていた方法論(のようなもの)を、より具体的に、ワークショップのかたちで読ませてくれます。ひとりひとりの悩みにこたえる坂口さんの「こう考えたらいいんですよ」「これをやってみてください」という断固とした助言を読むだけで、つらい気持ちが消え、悩みが悩みでなくなってしまう不思議。

ご自分の携帯の番号を公表して「いのっちの電話」を受け続けている坂口さん。何の力みもなく何かしら動き続け人を元気にし続けるその存在は、神がかっているようでいて、だけど決して上から物は言わないし、しっかりと地に足がついているから、むしろ大地そのものという気がしています。

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