わずかな時間
「しほかぜさえわたる」の作中作の原型短編です。
原型といってもこちらのほうが分量が多いのは、作中作に入れ込むにあたって削ったからです。
https://note.com/stillblue/n/n73831e9e6ef1
父さんがわたしを探していたとき、わたしは海岸で見知らぬ花を見つけて、これは何の花なんだろうと考えていた。去年はここには何も咲いていなかったはずだった。
あとで父さんがゆっくりと丁寧に図鑑で調べてくれた結果、ハマナスの花だということがわかった。どこか別の島から流れ着いたのが発芽したのだろう。父さんはそう言った。大小さまざまな島が連なる貝楼諸島ではたまにそういうことがある。そしてハマナスだったからそのまま咲かせておいても問題はないという結論になった。ほんとはわたしが自分で調べたかったのだが、父さんはまだわたしに図鑑を触らせてくれない。いや、触らせてくれないのはわたしだけでない。父さんの持っている本を触ることができるのは父さんだけだった。わたしが父さんの跡を継ぐのであれば自由に触らせてくれるだろうけれど、父さんの後継者は従兄弟のケンイチに決まっていた。父さんの跡を継いだケンイチの跡をわたしが継げば自由に触ることができるだろうけれど、本は貴重で丁寧に扱わないといけない。そこまでしてまで本に触りたいのかといえばそうでもなかった。
昨日の嵐で海岸の砂浜はだいぶ浸食されてしまったようだ。浸食された砂浜を修復するために父さんたちはストランドビーストを運んできた。父さんがわたしを探していたのは手伝わせるためだ。本を扱うのは下手だけど、ストランドビーストを扱うのはちょっとしたものだった。という自負がある。
風が吹いてきた。ストランドビーストが風を食べる。風を受けてビーストの風車(口)がゆっくりと回り始め、口(風車)は風を回転運動に変換する。口の軸についている歯車が胴体の主軸を回転させていく。軸に取り付けられたクランクが動き出すとクランクについている別の軸のクランクが連動して動き出し、そのクランクの回転につながってムカデのようなたくさんの脚がゆっくりと動き出す。風を食べたストランドビーストは眠りから覚め、砂の上を歩き始める。
ストランドビーストのなめらかな動きは見ていて飽きない。どの脚も他の脚と重なることなくつぎつぎと一歩先を目指して、振り上げては降ろし、振り上げては降ろしとストランドビーストの体を前進させていく。ギギ、ギギと鳴く。ストランドビーストが鳴くたびに、身体のどこかが痛いのだろうか、そう思ってしまう。でもストランドビーストは生き物ではない。ギギ、ギギ。油を差さないといけない。油を差すとビーストは静かになった。動きもなめらかになったような気がする。
まだ幼かった頃は、ストランドビーストが風を食べちゃったらそのうち風がなくなっちゃうじゃない、と思っていた。しかしストランドビーストがどんなに風を食べようが、この島に吹く風はなくなることはない。今日もこの島に風は吹く。そしてストランドビーストは風を食べて生きる。
動き出したストランドビーストはまっすぐ海へと向かっていく。脚が水の中に入っていく。胴体からぶら下がった浮力計が浮力を感知するとビーストは180度方向転換し、幅広のショベルが下がってくる。ショベルは水中の砂をすくいながら来た道を戻り始める。ショベルがすくいとった砂は歩き出すとともに少しづつ零れ落ちていく。やがてショベルの砂が無くなると、再び方向転換をして海へと向かう。そのくりかえしをしてストランドビーストは浸食された砂浜を復元する。
海風が髪にまとわりつく。ストランドビーストは風を食べるが、わたしの髪は食べない。そろそろ髪を切ろうか。
チョキン。はらりと髪が落ちた。
髪を切ってもらうと昔のことを思い出す。今は島の床屋で切ってもらうが、昔は父さんがわたしの髪を切ってくれていた。
「父さんはストランドビーストを生き物のように言ってるけど、生き物じゃないじゃん」わたしは髪を切っている父さんに言う。
「ふーむ。じゃあお前はどこが生き物じゃないと思うんだい」
「うーん……。自分の考えで動いていないじゃん」
「そうか、自分の考えで動かないと生き物じゃないのか。それじゃあ、自分の考えというのは体のどこにあると思う」
「そんなの簡単。脳みそだよ」
「脳みそがないと考えることができない?」
「うん」
「アメーバーみたいなのは脳みそがないけれども、あれは生き物じゃないということかな」
「……いじわる」
「ほかの条件を考えてみようか」
「……生き物は物を食べる」
「ストランドビーストは風を食べているんだよ」
「……じゃあ自分で動きまわる……動いてるか、ストランドビーストは」だんだんとわけがわからなくなってくる。そもそも生き物の定義ってなんだろう。「あ、子供を作る」
「お、いいところに気がついたな。たしかにストランドビーストは子供を作らないな。しかし、子供を作らないんだったら、なぜストランドビーストの数は増えているんだ?」
父さんのいうとおりだった。去年と比べればストランドビーストの数は増えている。「それは父さんたちが作っているからじゃないか」
「そうだ。父さんたちが新しいストランドビーストを作っている。ということはストランドビーストは子供を作っているのと同じじゃないのかな。ストランドビーストは人間と共生をしているんだよ。だからストランドビーストは人間から恩恵をうけているし、人間もまたストランドビーストから恩恵をうけている」
「月に一度島にやってくる船も生きているの?」わたしが質問すると父さんは少し悲しそうな顔になった「あの船は、生きているとはいえないかな。もう、あんな大きな船をつくることはできないんだ。われわれは」
「じゃあ、あの船はいつかは死んじゃうの?」
「エンジンが壊れてしまったら、たぶんもう無理だろう。燃料の重油が先に無くなる可能性もあるが、最近じゃ重油の使い道もなくなりつつあるからなあ」
鏡越しにストランドビーストの風車が見えた。「あ!」っと声が出た。一瞬で現実に引き戻される。「ん、どうした?」チョキんと前髪が切り落とされる。「あ!」鏡に写った前髪の残りを見てまた声がでる。「おじさん、ちょっと切りすぎ」「すまん、いきなり叫ぶから」
あのストランドビーストは麦畑を耕すのだろう。もうそんな時期なのかと思った。去年、麦踏みを手伝ったときのことを思い出す。麦踏みローラーは重いのでストランドビーストは引っ張ることができない。麦踏みだけは人がやらなければいけない仕事だ。
髪を切り終えると、外はさらに暑かった。山頂の受電アンテナ塔がキラキラと光っている。一週間前に島の住人総出で受電アンテナ塔の錆落としをしたおかげだ。錆落としは大変な作業だけれども、それは年に一度なのでお祭りみたいなものだ。もうなんの役にもたっていないのだから壊してしまえばいいのにとおもうのだが、壊すだけの技術も失われてしまっているらしい。
昔は空から電気が送られてきたという。受電アンテナはその電気を受け取る塔だった。空のずっと上に電気を作る機械があったということがだ、これも生き物じゃなかったので、死んでしまったということだ。受電アンテナは生きているんだろうか。動かないから生きていない気がする。それにアンテナは増えないし。
アンテナの向こうの青いキャンバスに、白い線が伸びていくのが見えた。
「飛行機雲だ!」遠くの方でだれかが叫んでいた。
あれが飛行機雲なのか。どこまで伸びていくんだろう。面白いな。そうか、とうとう飛行機を飛ばすことに成功したんだ。
もう動かなくなってしまった飛行機を修理して飛ばそうとしている人たちがいるということを聞いたことがある。十年ぐらい昔からだ。その飛行機は音の速さよりも早いらしい。音の速さよりも早いって、わたしが「わ!」っと叫んだあとで飛行機に乗って飛んでいって降りたところで、さっき叫んだわたしの「わ!」って声が聞こえてくることだ。自分の声と競争なんてちょっとおもしろい。いつかわたしもあの飛行機に乗ることができるのだろうか。たぶん、それは叶わぬ願いなのかもしれない。
ヒトがこのまま滅んでいったとしても、ストランドビーストたちはすこしだけ長く生き延びる。どのくらいかはわからない。ビーストたちの体も少しずつ寿命を迎えていく。わたしたちはビーストたちの寿命を少しだけ長持ちさせることしかできない。もちろん新しい命を生み出してあげることもできる。しかし、それでもヒトの寿命よりも少しだけしか長生きさせることができない。
それでもいいかと思う。ヒトの滅んだ世界で、ストランドビーストが風を食らう世界がすこしだけ続いて、それはヒトを継ぐ生き物で、ヒトはヒトを継ぐ生き物を生み出すことができたのだ。たとえそれがほんのわずかな時間であっても。
了
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