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地球の緑の丘
一冊の本がある。
いや正確にいえば、かつては一冊の本だったものの一部だ。
わたしの手元にあるのは引き裂かれた一冊の本の、終わりの部分。
そこにあるのは物語の最後のページとその後に続く注釈。
わたしの人生もこの本と同じく残りわずかであることは理解している。
この本と同じく最後のページを迎えようとしている。
だから、わたしもこの本と同じだ。
でも、この本には私の人生には存在しない注釈が残されている。
物語が終わったあとの……
…~~~~…~~~~~~~~…~~~~~~~~…~~~~~~………~~~~~~…~~
「ミラーナ……」
妻の顔を見た瞬間、言葉に詰まってしまう。
「どうしたの、緑の丘を見ることができたんでしょう。ユーリもあんなに喜んでいたし」
「……ああ、緑の丘を見ることができたよ」
「そう、だったらよかったじゃない、この子が生まれたら私もその丘に連れて行ってね」お腹をさすりながらミラーナは言う。
「ミラーナ……」その後を続けようとするのだが、言葉が続かない。
「愛しているわ、ミハイル。なにも言わないでいいのよ」ミラーナはミハイルの顔を見つめる。「……ユーリが撮った写真を見せてもらったわ」
ミハイルの頬を一筋のしずくが流れ落ちた。
「……ミラーナ、すまない」
いままで言えなかった言葉がようやく口から出た。
「地球の緑の丘」終わり
地球の緑の丘*1 注釈
*1【訳者注】
[地球の緑の丘]
原題はそのまま訳すのであれば緑の丘となるべきものでしたが、このタイトルをどのように訳そうか思案していた際、アメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインが1947年に発表した短編SF小説に「地球の緑の丘」というタイトルの小説があることを思い出しました。訳者が幼少期に好きだった小説です。ハインラインの「地球の緑の丘」の内容*2との類似性も鑑みてこの題名をつけました。
*2【訳者注】
ロバート・A・ハインライン「地球の緑の丘」あらすじ
今日語られている宇宙航路の盲目詩人ライスリングの姿は彼の死後にメディアによって作られた虚像だった。実際の彼は容姿も平凡な宿無しで飲んだくれの詩人でだった。彼は宇宙船の機関士だったが、ある事故により失明し機関士としての職を失ってしまう。以前から詩作にふけっていたが盲目の彼の詩は純化されていき人々を感動させていく。
地球を飛び立って以降、火星や金星、様々な惑星を渡り歩いていった彼だが地球に戻ることはなかった。あるとき彼は地球に帰ろうと思い立った。生まれ故郷のオザークを、もう一度だけ見ておきたい衝動にかられたのか、それとも自作の「地球の緑の丘」にそそのかされたのか。彼は地球行きの宇宙船に潜り込むのだが、その宇宙船の機関室で事故が起こる。元機関士として彼は致死量の放射線が渦巻くなか、応急処置をおこない宇宙船を危機から救う。そして彼が緑の丘を見ることは叶わなかった。
一章 ミハイル・ノヴィクの一日 午前
※2 1ページ目 1行【著者注】
[ミハイル・ノヴィク]
この物語の主人公。作中での年齢は三十四歳。*3
*3【訳者注】
作者がこのような本文を読めばわかるような自明の言葉になぜ注釈をつけたのか不明です。作者は作家活動を行ったこともなく生涯に渡って書かれたのはこの物語のみなので、本文に書くことが難しい事柄を注釈として書いていたのではないかと想像します。本文と同様に注釈も原文を尊重してそのまま翻訳することにしています。
※3 1ページ目2行【著者注】
[昼休み三分前のチャイムが鳴った。]
昼休みの時間がくれば工場内の機械はすべて停止する。そして休憩時間の作業は機械を使う使わないにかかわらずすべて禁止されている。機械の停止は時間がくれば有無をいわさず行われるため、作業途中だった場合は製品の破損等が発生する可能性がある。そのため休憩時間がくるまでにそれまでの作業を切りの良いところで終わらせる判断となるよう、合図を鳴らすことによってこれを防ぐ措置が取られている。それがこの三分前のチャイムである。
昼の休憩時間は六十分間取らせなければいけないという労働法に違反した場合のペナルティは企業にとって無視できない影響力を持っている。必然的に企業は社員ひとりひとりの休憩時間を管理しなければならなく、休憩時間に入っても休憩しない社員がいればそのぶん、管理コストがはねあがる。それを考えれば、三分間の猶予を与えて強制的に作業を中断させるこの方法は三分間なにもしないことによる機会損失よりもコスト面でおおきなメリットがあった。
※4 3ページ目4行【著者注】
[会社が考えてくれるのは仕事時間内の効率化]
この国では労働者の労働時間の管理は厳格に決められている。一日の仕事時間はもちろんのこと休憩時間もである。定められた労働時間を超える仕事を行わせることは法律違反であり、違反した企業にはペナルティが科せされる。
その一方で、権利を与えられた労働者に対しても、その権利の行使の制限が科され、与えられた権利以上の権利を主張することは違法ではないが、現在の法律で与えられた以上の権利を与えられることはない。ようするに、今の制度に不満があろうがなかろうが、一定の権利は与えたのだから、それ以上の権利は望んではいけない。ということである。
しかし、一日八時間の労働と午前と午後の一五分間の休憩、そして1時間の昼休みが保証されていて、それ以上の労働を強制されることはない現在、それ以上の権利を求める者はいなかった。
二章 ミハイル・ノヴィクの一日 社員食堂
※1 5ページ目7行【著者注】
[アサーヴ]
ミハイルと同じ会社の社員
※2 6ページ目12行【著者注】
[アサーヴもミハイルと同様、この国に移民としてやってきた]
戦後に驚異的な経済発展を遂げたこの国も先進諸国がかかえる少子化という問題に直面をした。さまざまな政策がうちだされ、子供を生むということに対しての経済的な補助や保証が行われたが、少子化によって家族という仕組みが解体され、数世代が一つの家族となる共同体がなくなってしまった状況では焼け石に水であった。さらには好調だった経済の発展も陰りが見え始めたことも、少子化に追い打ちをかけた。小さな島国で他国民を受け入れるということを率先して行ってこなかったこともあって、自国民だけではもはや衰退の一途をたどることは自明でもあった。
そこでその状況を一気に打開する策として移民政策が行われることとなった。経済の衰退は見え始めていたがそれでも他国からみればこの国はまだ魅力のある国で、積極的な移民政策が行われることによって海外から多数の移民が行われ、人口は増えていった。
積極的な移民政策が行なわれるにあたっては反対意見も多数あったのだが、それ以前から少しずつ行われていた憲法や法律の詭弁的ともいえるような解釈を行い、議会での答弁ものらりくらりとかわし、内閣の権限を驚異的なまでに強化していった結果、表面上は議会制民主主義国家でありながらも実情は独裁国家に等しい状況と化していたため、移民にあたって必要な法案は次々と国会を通過し施行されていった。
そんな独裁政治にもかかわらず、国民の反感が目立つことがなかったのは、それらの政策が一部の利益のためではなく、国家全体の利益のためであり、私利私欲に走る政治家がいなかったことが大きい。
※3 10ページ目3行【著者注】
[この国には自然な環境が少ない]
この国に自然が少ないというのは、一般人が入ることのできる場所には自然環境が少ないということである。
国有管理地となって一般人の立ち入りが禁止されている場所は放置されている事が多いので草木は密集生息している。
少子化によって地方の自治体の維持が困難になり、その結果自治体が管理できる区域を制限せざるを得ない状況になった。人々は自治体が管理する都市に引っ越しをし、そこで生活をしなければ自治体のサービスを受けることができない。それでもなお自給自足で都市から離れた山奥などで生活をすることを選ぶ人々もいたのだが、その殆どは高齢者で、自治体のサービスから切り捨てられた結果、ほどなくして生活はおろか生存すら困難となり、消息不明となっていった。
自治体の管轄外の土地はすべて国有管理地として接収され、一般人の立ち入りは禁止されている。
名目上は国有管理地とされているが、管理地となった場所が厳密に管理されているかといえばそのようなことはなく、先にも書いたとおり管理地の大半はメンテナンスされることもなく放置された状態にある。
管理地の一部で国家機密のプロジェクトが行われているという噂が流れることがときおりある。しかし実際に管理地で国がなにをしているのかに関しては報道されることもなく、また国民もそこでなにが行われようとも自分たちの生活にはなんの影響もあたえないため、噂は局地的に発生するが、それ以上の広がりを見せることなく都市伝説として消えていく。
※4 15ページ目3行【著者注】
[終業十五分前のチャイムが鳴った]
終業の場合は一連の作業はすべて完了させておく必要がある。
一連の作業にかかる時間は作っている物によって変わるので、部署によって終業前のチャイムの鳴る時間は異なる。ミハイルの部署ではその時間が十五分前となっている。
三章 ミハイル・ノヴィクの一日 帰路
※1 20ページ目4行【著者注】
[出勤と退勤の時間は電車もほとんどギュウギュウ詰めで混雑している]
通勤ラッシュはこの国の日常茶飯事の出来事である。
会社によって始業時間は異なるが、大幅に異なるわけではなく、大多数の会社はほぼ同じ時間に始業開始となり終業時間も同じとなる。必然的に一日の中で特定の時間だけ乗車率は100%を超えることとなる。
昼休みとおなじく各企業は就業時間の効率化は考えるが就業時間外のことに関しては考えない。
始業時間をずらすということは他社との営業時間がずれるということで、ずれるということは機会損失を生む。
※2 24ページ目9行【著者注】
[会社を出てもまだそこは会社の一部]
ミハイルは自分の家に帰るし他の乗客が向かう先もそれぞれの家であったが、共通するのはそれが社宅であるということである。ミハイルが降りた駅の周辺は彼が勤めている会社の社宅で埋められている。ミハイルが自宅の扉を開けて家の中に入るまでは彼をとりまく世界は会社の一部であり、家族という存在だけが会社から離れたという幻想をミハイルにもたらせてくれる。
四章 ミハイル・ノヴィクの一日 我が家
※1 30ページ目2行【著者注】
[ユーリ・ノヴィク]
ミハイルの息子。作中での年齢は八歳。
※2 30ページ目3行【著者注】
[ミラーナ・ノヴィク]
ミハイルの妻。作中での年齢は三十四歳。
※3 34ページ目2行【著者注】
[ミラーナは編み物をしていた]
ミラーナが編んでいたのはお腹にいる子どものための服だったが、男の子か女の子かはミハイルには教えていなかった。それはユーリとミラーナの二人だけの秘密だったのであるが、このとき編んでいた服に使われていた毛糸の色が赤や黄色といった色だったためにミハイルは生まれてくる子どもが女の子であることを察していた。
※4 35ページ目8行【著者注】
[この国に来てよかったかい、ミラーナ]
ミハイルとミラーナが生まれ育った国はこの国から遥か遠く東の地にあった。
人口も少なく国土も小さな発展途上国であったが、発展の余地はありそれゆえに先進諸国の企業からの参入が盛んで急激に発展していった。その急激な経済発展はさまざまなところで歪を生み出し、その歪が問題視されたときにはすでにとき遅く、手のうちようもない状況だった。参入した海外の企業は撤退をし始め、あとに残されたのは人々の失望だけだった。
そんなとき、この国で移民政策が行われた。
小さい頃からこの国のアニメや漫画に慣れ親しんでいたミハイルとミラーナは一緒にこの国に移民することを決意した。
※5 36ページ目13行【著者注】
[二人の貯金額]
ミハイルたちの故郷がまだ急成長中だったときにかなりの貯金をすることができていたので、移民に必要な費用は借金をする必要がなかったが、そのお金は渡航費用としばらくの間の生活費だけで消えてしまった。
五章 会社再び
※1 40ページ目9行【著者注】
[こんなのはネットを調べればすぐにわかることだからたいしたことはない]
ミハイルもネット接続できる環境があるのでアサーヴが調べてくれたことならばミハイルも調べることはできるのだが、ミハイルはあまりネットに触れようとはしない。
ミハイルたちが接続できるネットは国によって無料提供されたネットであり政府の管理配下にある。昔のネットとは似ていて非なるものだ。
もっとも管理配下にあるといっても言論統制や検閲といったものがあるわけではない。ただし、あからさまな検閲はないが、ネット上に存在する情報は政府によって提供された情報しか存在しない。だから事実上は検閲されているともいえる。しかし、必要十分な情報は提供されているし常に最新の情報が載っているのでそれを不満に思う人は少ない。
※2 53ページ目3行【著者注】
[政府の調査員]
この時代、政府機関が各企業の実態を抜き打ちでチェックするために調査員を臨時の派遣社員と偽ってチェック対象となった企業に社員として潜り込ませているという噂があった。
一説には、企業が労働法に準拠しているかどうかのチェックのためだといわれているが、その一方でチェックの対象が企業ではなく社員で、反政府行為を持つ人間がいるかいないかを調べるためだという説もある。
現在でもこれが真実だったのかは不明。*4
*4【訳者注】
作中ではアサーヴが政府の調査員で、アサーヴがある日突然退社してしまったのは調査員だったことが他の社員たちにわかってしまったらしいということが書かれているが、現実のアサーヴは調査員だったことはなく現在でも訳者と交流がある。
※3 62ページ目8行【著者注】
[一週間の有給休暇を使ってしまうともう有給休暇の残りはない]
社員に与えられるのは有給休暇のみであり、その日数は勤続年数により変動(勤続年数が多いほど日数が多くなる)するがこれはそれぞれの企業ごとに決められているのではなく労働法によって定められており、どの企業の社員も勤続年数が同じであればその日数も同じである。
勤続年数で決定するので転職をした場合、勤続年数はゼロからスタートすることとなる。ミハイルは一度途中で転職しているので同時期に移民してきた人たちと比べると有給休暇日数が少ない。
有給休暇を消費してしまったあとで休暇を取らなければならない必要が発生した場合は欠勤となる。
ただし、忌引はこの範囲には入らない。
六章 緑の丘をめざして
*5 67ページ目2行【訳者注】
[前日の夜から降っていた雨は止み、地面にはまだ濡れているところもあったが、太陽は暖かくミハイルたちを迎えてくれていた。]
実際は前日からの雨は止むことなくそのまま降り続いていました。作者の記憶違いか作為的な変更なのかは作者が故人のため確認することができません。なお、事実と違っていたままでもその後の内容との間に齟齬があるわけではないので、事実とは違うという指摘のみとします。
*6 69ページ目4行【訳者注】
[ユーリよりもミハイル、あなたはあなたのことを心配していますか?]
から
[良いところに気にしないで]まで
原文に忠実に翻訳しましたが、意味の通らない文章になっています。作者が故人のため正しい文章が確認できないので、訳者の記憶をもとに実際の会話を以下に記します。
「ユーリよりもミハイル、あなたのほうが心配かしら」
「今度はぼくかい?」
「おしっこは大丈夫かたまに聞いてあげてね。大丈夫だとおもうけど」
「ああ、忘れないよ」
「旅行だからといっても長い旅行なんだからあまりユーリを甘やかさないでね。夜は早めに寝させてね」
「うん、わかってる。心配しなくても大丈夫だよ。それよりもミラーナ、君のほうが心配だ。ごめん、一人だけ残して」
「いいのよ。ユーリのための旅なんだから。ミハイル、あなたはユーリのお供なのよ。ユーリに緑の丘を見せてあげて」
「そうだね」
「じゃあ、いってらっしゃい」
七章 緑の丘
※1 85ページ目13行【著者注】
[今はもう誰も住むことがなくなった廃墟のビルの間を歩いていく。]
ミハイルたちがたどりついた街は自治体の管轄内の土地であったが、自治体の管轄内だから整備されているかといえばそのようなことはなく、移民政策によって人口は徐々に増えていったが増えていくのは大都市に集中しており地方の自治体は依然として人口減少に歯止めがかかることはなかった。
税収が減っていくなかで魅力のない自治体の人口減少は止めようもなく、周辺部から徐々に自治体によるライフラインを始めとする土地の整備は外されていき、その場所で生活している住民たちの自助努力によってかろうじて維持されている。
*7 92ページ目9行【訳者注】
[おとうさん、もうじきかな]
ここから数ページほど原文が失われております。ミハイルとユーリがもうまもなく見えるであろう緑の丘を目指して二人で歩いていき、途中で建物の向こうがわに見える緑の丘を真っ先に見せてあげるためにユーリを肩車して歩いていく部分です。この部分が無くても物語としてはそれほど支障はないでしょうが、訳者の記憶をもとに補完したものを以下に記します。
「おとうさん、もうじきかな」
「そうだな、もうじきかもしれない。疲れたのかい」
「ううん、だいじょうぶ」
「お父さんが肩車をしてあげよう。ここは高い建物ばかりだからユーリの背丈じゃ遠くまで見えないだろう」
「え、いいの。おとうさん、疲れてない?」
「大丈夫だよ。そらっ」
ユーリの脇の下に手を入れて、体を持ち上げて、肩の上にユーリをのせる。
――重くなったな。
こういうことをしたくても重すぎてできなくなる日もそう遠くないのかもしれないとミハイルは思う。いや、反抗期でユーリのほうが嫌がる日のほうが先にくるかもしれないな。
「おとうさん、遠くまで見えるよ」
「緑の丘が見えたらお父さんにも教えてくれないか」
「うん」
高いビルの群れが少なくなり、低い建物に変わっていく。
少しずつ建物も少なくなっていく。
――そろそろ見えてもいいかもしれないな。
「あ、おとうさん、緑が見えてきたよ」
その言葉に自然と足取りが早くなる。
ミハイルの視線からは建物が邪魔をしていて見ることができない。
「おとうさん、緑だ」
ミハイルの目にもユーリの見ていたものが見えた。
「おとうさん、あれが緑の丘なんだね。初めて見たよ。すごいね」
ミハイルの目に映ったのは丘のように見えるドーム状の建物だった。その屋根は緑色のペンキで塗られている。
「おとうさん、連れてきてくれてありがとう。こんなにすごいんなら今度はおかあさんにも見せてあげたいな」
ユーリは喜んでいる。
※2 92ページ目15行【著者注】
[緑の丘はこの建物です。ええ、これは一種の芸術作品ですよ]
会話の中では芸術作品と言われているが、観光名所としての目的のものであったことは自明である。
※3 93ページ目2行【著者注】
[今は緑なんですが、夕方になると金色に変わるんですよ]
この建物が太陽の傾きに応じて夕方になると緑から金色に変化するということから、一見すると緑一色で塗られた建物のように見えるが、実際は小さな多角形から構成された複合体である可能性が高い。
線と色彩による幾何学的抽象主義である新造形主義から派生した第三次ネオ造形主義であると思われる。
八章 家に帰りて
*8 95ページ目5行【訳者注】
[ユーリははしゃぎ疲れたのか家に帰って夕食を食べ終わるとそのまま眠ってしまった。]
七章が、緑の丘が緑色のペンキで塗られた、丘のように見えるドームであること、そしてそれが芸術作品として作られたものであることを知ったミハイルが呆然と佇むところで終わっていて、続く八章が自宅に帰り着いたところから始まっていますが、これは原文通りのもので、帰路の物語が失われてしまっているというわけではありません。作者の意図は不明ですが、訳者による補足はおこないません。
著者 ミラーナ・ノヴィク
翻訳 ユーリ・ノヴィク
ユーリがこの本を携えてわたしのもとに訪れてくれた日のことはあまり覚えていない。
以前はもう少し覚えていた気もする。
ミラーナが書いた本だといって手渡してくれたのだ。
郵送でもよかったのにと思うのだがわざわざ飛行機でこの国まで来てそして手渡ししてくれた。
わたしと離婚してからしばらくしてミラーナはユーリを引き取って、母国に帰っていった。
そしてあれほど好きだったこの国のことを忘れていった。だからこの本もミラーナは彼女の母国の言葉で書いたものだった。一方でわたしはこの国に残り続けて母国の言葉を忘れていった。
ユーリはそんな私のためにミラーナの書いた物語を翻訳して一冊の本にしてくれたのだ。
どんなことが書かれているのか楽しみにしながら読み始めたわたしにとって、そこに書かれた物語はあまりにも辛い物語だった。それはわたしたち家族の間に塞ぎようのない亀裂が入ることとなった出来事に関することで、そしてミラーナがあえてこんな物語を書いて私に送りつけたことにひどく腹が立ち、最後のページまで読み進めてそこでわたしはこの本を引き裂いてアパートの窓から外に投げ捨ててしまった。
夜になってようやく怒りも静まってきた。つまるところはわたしが悪かったことでミラーナに非があったわけではないのだ。
そして投げ捨てた本を取り戻そうと外に出て探したのだが、見つけることができたのは半分だけ、そう、いまわたしの手のもとにあるものだけだった。
ミラーナの物語の最後の部分。唯一わたしの手元に残っている物語の部分。その部分だけは実際に起ったことと違っていた。
わたしとユーリが緑の丘を求めて旅行に出かけているあいだにミラーナはお腹の子を流産してしまった。
旅行など出かけずにいつもと同じくミラーナのそばにいてあげたとしても、それは防ぎようのないことだっただろう。とはいえども苦しむミラーナのそばにいてあげることはできた。ミラーナの苦しみを少しでも引き受けることはできた。緑の丘が緑の丘ではなかったという失意とともに帰宅したわたしを待っていたのは感情を押し殺したミラーナの顔だった。
ミラーナは何も言わなかったのだが、わたしは彼女のその表情を見た瞬間、ミラーナになにが起こったのか理解した。そして私の口から出た言葉はミラーナに対する非難の言葉だった。
「どうして連絡をしなかったんだ」
その時はわからなかったが、今ならわかる。
連絡をすればわたしもユーリも旅行を止めて引き返して戻ってくる。
ミラーナはユーリのために黙っていたのだ。悲しい出来事が起こってしまったけれども、せめて一つだけは楽しい出来事を。そのためにだ。
しかし、楽しい出来事は半分だけ。いや、偽りの楽しさ。
ユーリは偽物の緑の丘であっても喜んだが、いずれ真実を伝えなければならない。悲しい出来事を先延ばしにしただけに過ぎない。
ミラーナの言葉が残されている。
「愛しているわ、ミハイル。なにも言わないでいいのよ」
あのときミラーナが言えなくて、だけれども彼女が言いたかった言葉だ。
この言葉のためにミラーナが作ってくれた私の物語は失われてしまった。
いまのわたしに残されたものはつらい真実だけだ。
「……ミラーナ、すまない」
いままで言えなかった言葉がようやく口から出た。
終わり
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