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プリザーブドフラワー

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プリザーブドフラワー

プリザーブドフラワー【preserved flower】
 生花や葉などをグリセリン溶液のなかに沈めて水分を抜いたもの。脱水後に保湿剤を吸わせることにより、色彩と柔らかい感触を保持させたままで長期間の保存を可能とさせている。また、保湿剤に着色剤を入れることで鮮やかな発色も可能となる。

 薄暗い部屋のなか、ひとりの男がいる。窓にかかったカーテンは部屋に差し込む陽光を押しとどめている。ランプスタンドは窓際に置かれた机の上で暖光色をはなち、男の着ているワイシャツをほのかな暖色で彩らせている。暖かなワイシャツの色とは裏腹に、肌寒い部屋のなかで男はアームバンドをはめて腕まくりをする。
「僕は小さい頃から可愛いものや、うつくしいものが好きだったのです」男は語りかける。「好きな物にたいしては人だけではなく物にもさんづけしてしまいます。擬人化といいましょうか。うつくしいものを見ますと特にね。変ですかね。それはそうとほら、みてごらんなさい、うつくしい百合さんですよ。蘭さんもそうですね」椅子のうえの百合を見せる。部屋には百合だけでなく他にも――いい香りが漂ってくる。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき……苦しいかどうかはべつとして、花の命は短いですね。小さいころから僕は、どうすればその命を長くすることができるのだろうかと考え続けていたのです。最初に見つけたのはドライフラワーでした。でもドライフラワーは単純に乾燥させるだけなので、時間が経てば色あせてしまいます。色褪せては駄目です。ほかになにか手はないのだろうかと調べたところでプリザーブドフラワーのことを知りました。見つけたときはうれしかったですね。これだったら長い間ずっと愛でることができる」笑みをうかべながら言う。
「春の眷属に誘われて、百合は男の元にやってきた。お駄賃ちょうだい、二銭五厘が手のひらころりん、ちゃりん、ちゃりん」男は古い歌を口ずさむ。はるか昔の歌を。
「ドライフラワーとプリザーブドフラワーの違いを知っていますか? ドライフラワーは文字どおり、花を乾燥させてつくるものです。そうして花の命を長持ちさせるのですが、すこしずつ色あせてきてやがては枯れ草となってしまいます。それに対してブリザードフラワーは、より生花に近い、いえ、生花では出すことのできない色さえも発色させることが可能な方法なのです。僕はプリザーブドフラワーの魅力に取り憑かれていろいろと研究してきました。渡米したのもその勉強のためです。向こうではいろいろと学びました。役に立つと思いエンバーミングもね。興味深かったですよ。ところで、プリザーブドフラワーをつくるときにいちばん大切なのは何だと思いますか? それはいちばんさいしょ、切り取るときがたいせつなのですよ。道具をつかうと細胞がこわれてしまうのですね。だから細長いところを折ってしまったほうがいいのです。後が少し面倒ですが、立たせる必要もないですからね。さて、そろそろ百合さんをプリザーブドフラワーにすることにしましょうか」そうつぶやくと男はうすいゴムのてぶくろをはめる。男の白い指は、百合の細長いく……びくっとした。窓のそとで物音がしたのだ。男は手を止めると窓のほうを向くが、そこはカーテンの閉じられた窓。外は見えない。百合のほうにむきなおる。カーテンを開けて物音を確認するつもりはないようだ。そのまま手に力をいれる。二度目の大きな音がした。何かが折れるような……男の手に百合の重みがかかる。落としそうになる。腕のなかの百合を見つめながら、男はつぶやく。むかしはもてたのに。老いて増えたしわを見つめる。時が残していく爪痕。いまはもてることもない。しかしこれは男のものだ。
「ああ、この部屋、薄暗いですよね。カーテンも締め切ったままで。暗いのはプリザーブドフラワーといえども日に当てると退色してしまうからなのですよ。なのでこうしてカーテンも締め切って薄暗いままにしています。かといって雨戸を閉めてまっくらにしてもいけませんが、生きているときは日の光がなければいけないのに、不思議なものですね」
 しなだれた百合を台のうえに置くと、グリセリン溶液を入れる準備をする。管をさしこみ器具を動かすとグリセリン溶液は管のなかをゆっくりと動き始める。
 「枯れる寸前のうつくしさ。僕はねえ、この最後のうつくしさをこの世にとどめておきたいのですよ。美しさの頂点ではなく、かつてあったうつくしさを思い出させる最後のきらめき。この百合さんもそうです。わかりますか」男はうっとりと百合をみつめる。
――グリセリンが百合のなかを満たすまで、あとはただ待つだけだった。液体が置き換わっていく。こころなしか百合の白さが際立っていくように見える。もちろんそれは気のせいで、白さが際立つのはもう少し先の話だろう。グリセリンが百合のなかを満たすまで一時間。
――細胞を壊さぬように、そっと、ゆっくりと、やさしく。すでに壊れてしまっているというのに。
 男はポケットから煙草の箱をとりだすと、抜き出した一本を口に加える。外に出て紫煙をくぐらせるために扉へと歩いていく。
 歩きながら百合のそばの蘭に目を向ける。「蘭さん、つぎはあなたの番ですよ」そして微笑みかける。
 扉が開く。
――部屋は霞がかかっていく――揺らぐ――ほのかな明かりのなかで何も見えなくなる。
 部屋のなかは眠ったように静かになった。

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