ティーダのちんぽに学ぶ汚言症
ティーダのちんぽ気持ち良すぎだろ!
空前絶後のティーダのちんぽブームが既に旧作と化したFF-10の売上を爆増させた後、真夏の夜空に散る花火のようにスクエニからの削除申請で元動画は削除された模様。
このティーダのちんぽブームとは一体何だったのだろうか?
抑圧された言葉の解放
元々ニコニコ動画はMAD動画置き場として、映像クリエイターやそのファン達が自由な創作を楽しむ場としてハッテン♂した経緯があります。
世間ではNGとされるゲイネタ、ホモネタ、創価ネタみたいなのがフリーダム(自由とは言っていない)に表現物に転化され、そこでは世に口に出来ないような差別用語やエロワードも好き勝手に飛び交っていた訳です。
人には元々こうした世に憚られるような言葉を口にしたいという欲求があり、ニコニコ動画はそうした欲求の捌け口としてあり続けました。
特にホモがアングラ掲示板で吐き散らした文章、変態糞親父シリーズなんかは最たる例で、全体的に汚い言葉が散らばるも、そこには謎の疾走感や躍動感が臭気を放ち、抑圧された感情の爆発が表現されています。独特の言葉選びから感じ取れる汚い劣情…それらを迷いなく吐露した、むしろ清々しさすら覚える名文の数々に、我々ノンケは文学性を見出してしまうのです。
今回のティーダのちんぽ騒動は
「声に出して読みたい抑圧された言霊」
の解放だったのではなかろうか。
大衆の深層心理は世の中から
「言ってはいけない(戒め)」
とされた数多の言葉達を、本心では吐き出したく吐き出したくてたまらないのです。
ポリコレ社会と前頭葉が抱えるストレス
言論統制の強まるロシア国内でガチムチパンツレスリングが流行り、中国では淫夢が流行っている事を考えると、これらはやはり抑圧された世相に対するカウンター文化であります。
人間は普段、言葉の清濁を問わず数々の単語が脳内のフラッシュメモリにプールされては削除されていますが、それを判断しているのが理性を司る前頭葉であり、前頭葉は脳内に浮かんでくる汚い表現や不要な言葉を削除し、その場に相応しい言葉を選別して言わしめるようにしています。
しかし、近年は日本でもポリコレだの弱者に配慮した言葉への言い換えだの、社会的な抑圧が強くなっている傾向があります。これまでナチュラルに使っていた言葉は使えなくなってしまうと、理性を司る前頭葉の仕事も多くなり、無意識にストレスがかかってくるようになります。
怪我や病気で脳の前頭葉に障害が出た場合、それまで貞淑だったお婆さんが突如としてバカだの死ねだの、更にはウンコチンコマンコとかいった汚言を連呼するようになったりすることはよくある話で、抑圧された言語野が解き放たれると、誰でもこうなってしまうのです。
この事から、ティーダのちんぽは全国の抑圧された兄貴達の魂の叫びに他なりません。前頭葉にも安らぎを感じる時は必要なのです。
汚言の解放と抑圧、それらは社会性との折り合いをどう付けるかの問題である。
今回のスクエニの削除は、まぁその影響力を考えれば致し方ないのかな、とは思います。ティーダのちんぽが独り歩きすると、ワッカの声優さんがホモ声優として扱われて迷惑がかかりますし、作品としての立ち位置もネタゲーと化してしまいますからね。
私はしばしば価値倒換という言葉を使いますが、ガチムチパンツレスリングがアメリカのゲイポルノへの見方を変えたように、ティーダのちんぽ現象はFF10への見方を完全に変えてしまいました。
本来の表現物の価値を変えてしまった事で、スクエニも社会的な不利益が出ると判断したのでしょう。
しかし、人々の前頭葉と魂は常にその解放の場を求め続けています。おとわっかはそれ自体が優れた二次創作の産物であり、商用でない限りはそれ自体の表現は社会的に規制されるべきではありませんし、公開する為の場はある程度は必要なのだと私は考えます。
そのうち飽きられて消えてしまう宿命のティーダのちんぽでありますが、消すと増えます理論により複製されたおとわっか動画にも、それなりの存在意義があるという事を、我々は理解しなくてはならないのです。
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