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ハジまらないオわり

「やりとり」の“やり”の部分だけをひたすらこなす。
忙しかったから全く気が付かなかったけど、会話をしているようで実はただ話しかけているだけだった。もはや無意識の境地に達し、話しかけているという行為かすらも怪しかっただろう。

8月はバイト先の葡萄園が直売所を開く。
市の辺境に位置しているが、地元に根差し、徐々に評判を呼び、それなりに長い歴史をもって県外にも熱烈なファンが存在するこの葡萄園でバイトを始めてから早3年目。
盆の時期になると帰省した家族に、お中元にと、とてつもないほどの人、人、人。

過去に2度この夏を経験していれば、意識だけはプロフェッショナルだ。いつNHKのスタッフが来てカメラを構えられてもカッコつく具合には姿勢と表情を作っておく。

─あなたにとって葡萄園従業員とは?”
 んー、なんでしょうね。『母親』ですかネ。
自らの努力と我慢の結果が、この最高に美味いぶどうですかネ。

全くカッコついてない
もっと上手いこと言え。
この状況でProgressは流れないだろ。

週に一度くらいのペースで悲しい気持ちで起きてしまう夢を見ます。
悲しい夢じゃないはずなのに、
悲しい気持ちで起きてしまう。


アタシが抱えている不安の大部分って杞憂に終わることが多くて、だからって油断するわけにはいかない。多分人間誰しもそうなのだろうけども、「アタシ」という主語を使うことによって、些細な苦しさを独り占めして安心している。

あの人が終わることを想像してしまうこと。
あの人が口を開くたびに、一瞬でこれまでの終わりを強く覚悟してしまうこと。
やめないで。とか言えない。
多分、「やめます」って言われたらそれなりに受け入れることはできるはず。その後に単純な辛さに苛まれる。
全部妄想。準備。その日が来てもいいようにいろんな想像をして、その瞬間なんて言えばいいのかを練習しているだけ。

人が強く怒っているところを見るのはやっぱりつらい。しかし、その怒りのワケを考え続ける事はやめてはいけないと思っている。

最近、ポジティブな欲求は口に出すようにしてる。
母親はよく、「欲求は口に出すと近寄ってくる」って言ってたから最近実践してる。
いいことありますように。

思い返せばあと学校に通うのは3ヶ月とちょっとになってしまった。
色んなことにサヨナラを言う準備を着々と進めている。少し悔しいが、ここ最近は自分の気持ちをすんなり表現することが難しくなった気がする。
言葉を知らなさすぎるせいなのか、色んな言葉を知りすぎて使いあぐねているのか。
いい歌を歌いたい。
なんだか黙っているのが気持ち悪くなってきた。


ちょっと歌ってきます。また今度。

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