像に小判

猫に小判とはいったものだが、こないだケンゾーは像に小判をあげていた。像というのは「象」ではなく、いわゆる私たちの記憶の欠片みたいな、見間違いみたいな「像」のことである。

私はケンゾーが見開いた目で像に小判をあげているのをみて、虚しさで涙を流した。けれどそれもまた私が「像」に何かを渡すかのようで、どうしようもなくなると、ふと震えが止まらなくなったのだ。

急にあたりは真っ暗になって、ケンゾーも像も、小判も、私には何も見えなくなった。あらゆるものが自分から離れていくのか、それともすごい勢いで近づいてくるのか分からない。

そんな時の私の耳元には吹きすさぶような風の音が聞こえていて、まったく何もかもがわからなくなっている。そう、そんな時。私はもう、どうしようもないのだ。

ここから先は

0字

¥ 250

応援ありがとうございます。おかげさまで真夜中にカフェインたっぷりのコーヒーを飲めます。励みになっております。