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タイパを意識する理由

僕は小学校の高学年になる頃にはインターネットに触れるようになっていました。黎明期と呼ばれている時代の少し後で、おもしろフラッシュや2chが台頭してきた頃ですね。思い出補正もあるでしょうが、その頃のネットはアングラ感が今よりもずっと強く、当時の僕には異世界そのものでした。その後、WindowsXPという優秀なOSの登場、ガラケーの普及などにより、00年代の時点で一部の人にとってインターネットは欠かせないものになっていた思います。そして、ネットを一気に卑近なものにした立役者がスマホです。殺伐としたネットの中で次々とインフラが整備され(それまで曖昧だった法整備が着実に行き渡っていった)、ソーシャルメディアの質がグッと上がった。これによって、情報化社会という言葉がいよいよ現実味を帯びてきたように感じた。

今の僕は、ネットを見れば見るほど疲れてしまう。「情報が溢れかえっている」という指摘が多くあるが、僕は一言付け足したい。「あらゆるジャンルの情報が玉石混交」の状態で溢れかえっているのだ。そして問題なのは、それが可視化されていること。インターネットがなくたって、現実世界でも自分の知らないところでありとあらゆる情報が溢れかえっている。しかし、自分が属していないコミュニティの話題なんて、自ら情報を得ようと動かなければまず入ってこない。一方で、SNSは嫌でもそれを見せつけられる。「ほら、いまこれが話題だよ!」「この情報に注目が集まってるよ、チェックしなくていいの?」と押し付けてくる。厄介なのは、僕たちはその押し付けられた話題が流行っているのか、注目されているのかを判断するときに”数字”を頼りにするしかない。再生数、いいねの数、インプレッション、その数字を見て「これはバズっている!拾っておかないと乗り遅れてしまう!」と考えるのだ。けれど、現実世界に置き換えてみてほしい。あなたが今20代〜30代くらいだとして、高齢者がこぞって集まっているイベントがあるとしたら、興味が湧くだろうか。自分が学校のクラスで目立たないタイプだったとして、ヤンチャな不良グループがもてはやしているファッションブランドに興味を持つだろうか。現実では、周囲のどんなタイプの人間がそのコンテンツに興味を持っているのか、何を話題にしているのかが目で見える。だから「自分とはタイプの違う人たちの間で流行っているものだから、自分には関係のないものかな」と判断ができる。しかし、ネットでは誰が話題にしているのか目で見えない。1万いいね、100万再生、数字しかわからない。もちろん、コメントなどを見ればコンテンツの支持層はざっくりとは分かるが、濁流のように押し寄せる情報1つ1つをそこまで精査しているわけにはいかない。

学校や会社では、身の回りの数十人〜100人程度が”みんな”であり”社会”だ。だから、その人たちの間で流行っているもの、情報さえ追っていれば「自分は周りについていけている」と安心することができる。けれど、ひとたびネットに目をやると数百万人、数千万人が”みんな”になる。SNSでは老若男女をとわず、皆が丸いアイコンとハンドルネームがついた記号になっているので、自分にとってそれらは等しく”みんな”なのだ。だから、あらゆるジャンル、カテゴリの情報をチェックしないと「周りに遅れをとっている」という焦燥感にかられる。これが、デジタルネイティブの人たちが「タイパ」を強く意識する理由だと思います。

生成AIの登場で、YouTubeなどのコンテンツに海外との垣根がなくなるのではないかと言われています。言語の壁を越え、海外のコンテンツも身近になるということです。一見とてもワクワクする未来予想なのですが、海外の人たちまで”みんな”になる日を想像すると、なんだかゾッとしますね。

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