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なんで子どもの頃みたいに友達ができないの?

初めて出会った人とのコミュニケーションは、お互い手探り状態になる。価値観、趣味嗜好、性格など何も知らない状態で、言葉のジャブを放ちながら徐々に打ち解けていくのが正規ルートだと思います。一見難しそうに見える初対面でのコミュニケーションだけど、実は初めのうちは家族や友達と話すよりも楽ちんなのだ。僕は勝手に「会話のスターターデッキ」なんて呼んでいるんだけど、大人になるといつのまにかポケットに入っている会話デッキだ。これを使えば、半ば思考停止で他愛のない世間話が可能になる。

一転、子どもというのは、ひどく人見知りをする。学校の同級生や、家の近所の子どもなど自分のテリトリー内の人間とは誰とでも仲良くできてしまったりする。けれど、ひとたびそのテリトリーの外に出ると一変。内気な子はもじもじと恥ずかしがり、外向的な子はズケズケと「おまえどこの学校?」なんてやや高圧的な態度をとったり。後者は一見誰とでも喋れるかのような気もするが、見知らぬ人間に対する警戒の現れだと考えれば、内気な子も外向的な子も根本は同じなように思う。

大人になると、初めて会った人とでも1対1で普通に喋れたりする。「いやあしかし寒いですね。今年は暖冬だなんて話も聞きますけど。」「そうですね、自分も先週うっかり体調を崩してしまいまして。油断大敵ですね。」これは、僕がさきほど言った「会話のスターターデッキ」を使った会話の一例だ。初対面でも会話が成立する優れもので、なんと世の中の大半の大人はこのデッキを持っている。プライベートな情報をさらけだす必要もないが、しかし、一見内容が空っぽのように思えるこの会話に意味はあるのだろうか。実は、こうした会話を繰り広げることで「お、こいつもスターターデッキ持ってるな?」と互いに認識することが目的なのだ。つまり「やべえ奴じゃないですよ。こうして意思疎通ができるまともな人間ですよ。」という静かなアピールになる。そして、互いにある程度警戒レベルが下がったところで、自前の会話デッキを取り出すのだ。そこからがコミュニケーションの第2段階で、趣味や価値観などの個性を打ち出すフェーズに突入する。おそらくこの第2段階が1番難しいのだろう。相手の地雷を踏まないよう気をつける必要があるし、自分の趣味や価値観の内容によっては、相手に不快感を与える恐れも大いにある。ここで関係性に大きな進展が見込めなければ、おそらくその人と会う機会は今後ないのでしょう。

先にも言ったように、子どもは初対面でも容赦のない切り込み方をする子もいます。しかし逆に言えば、大人たちのように牽制し合うフェーズがないので、ゴリ押しで打ち解けたりするのです。子どもというのは余計な先入観や偏見が少ないですから、他者を受け入れる器はけっこう広いと思うんですよね。よほど憎い相手でもなければ、どんどん喋って、時には感情をぶつけあって意気投合していくのです。一方で大人は、世間話をしたり一般論を話したりして、話の内容ではなくその所作から相手のことを分析し、ソリが合わなさそうであればスッと身を引く。互いに不愉快になりたくない故の繊細なやり取り、一種の処世術かもしれません。そんなふうに”人間ソムリエ”をしていると、友達になれたはずの人とも友達になれず、いつしか自分の周りには誰もいなくなっているのかもしれません。

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