復讐するは我にあり

目には目を。歯には歯を。

ハンムラビ法典

「やられたらやり返す」なんていうフレーズが流行ったのも、もうすでに随分と昔のことだけれど、人類の歴史は古来より報復の歴史。
京都でヘラヘラ生きてやがる憎き平家の連中に一泡吹かせたい、冷遇されっぱなしの鎌倉源氏のヤンキーたち。織田の我儘当主による壮絶ないじめに耐えかねた光秀くんによる本能寺放火事件。主君の汚名を晴らすために凶器を持った40人強で一人の爺を襲いに行く赤穂浪士リンチ殺人未遂。日本の歴史ひとつを見ても、人類は報復に次ぐ報復で歴史をアップデートしてきたことがわかる。

私の好きな極道映画なんて典型的な「復讐の連鎖で作られたお話」であって、血で血を洗う抗争、昨日の味方は今日の敵、裏切りと報復のフルコースで2時間過ぎていく。(というかそれ以外にテーマが無い)

保育園にもだいぶ慣れてきた娘は、まあだいぶ慣れたというよりはどちらかというと慣れすぎていて、家人が朝送り届ける際は一瞥も振り返ることなく、おもちゃ満載のプレイルームへ突進していくし、俺が夕方迎えに行った際も、2才児のお兄さんお姉さんがたに囲まれて、ニヤニヤしている。迎えに来ている実父であるはずの俺と目が合っても、「あ、来てたの?」みたいな微妙な感じの表情を繰り出し、ちっとも感激しない。なんなら帰り際に保育士の皆さんと兄貴分・姉貴分たちに、激烈なスマイルをお届けする始末で、家人も俺も「まあ、慣れずに通わせるの大変ってなるよりは、良いよね」と思っていた。

しかし、あまりにも慣れすぎているのと、日頃加速していく娘の暴力性を鑑みた我々はひとつだけ懸念していることがあった。

こいつ、よそのお子さんに攻撃していないだろうな。

と、ここで日増しに攻撃的になっていく我が家の娘による被害を一部紹介しよう。

一番の被害者は家人だろう。
叩く蹴るは日常茶飯事。髪の毛を引っ張り回す、引きちぎる、全身をつかって喉元を締めに来る、突如くるぶしに噛み付く(既に歯が2本ほど生えているので相当痛い)など、容赦というものを知らない娘は、サンドバック代わりに家人をぼっこぼこにしている。まるで積み木崩し。
次点では、前回も少し触れたアレクサだ。コードを引きずり回し、馬乗りになってボッコボコにしばき倒したかと思えば、最近では蹂躙の末に主電源を切り、仮死状態にまで至らせる。アレクサが我々のちょっとしたオーダー(ルナシーのDESIREかけて、等)に対して「すみません、ちょっとよくわかりません」と言う度に、娘による被害でちょっと心、病んでしまったのかなと申し訳ない気持ちになる。
ちなみに、よく遊んでくれる動く玩具の一種だと思われているのか、俺への被害は殆ど無い。

そんな状態なので、園での暴れっぷりが少しばかり心配であったのだが、保育士さんたちからの報告では、「泣いているおともだちに駆け寄り、心配そうに顔を覗き込んでいた」だとか、「お兄さんお姉さんと仲良く玩具を分け合っていた」だとか、ハートウォーミングな様子しか伝わってこず、生まれつきの「外面よしこさん」を発揮しているようで一安心していた。ところが。

先日、いつものとおり保育園に迎えに行き、彼奴を抱っこし、先生と本日の園内での様子などをお話していた時、ふと右手を見ると赤く腫れている。「お、君これどうしたの」と娘に問いかけると、先生、「ああ!これすいません、お友達(歳上の男子)に噛みつかれちゃって、すぐにこちらでも冷やしたのですが」と。おお、マジかよ、どいつだよ、それ。傷物にしやがってと一瞬焦ったものの、腫れも引いてきているとのことなのでまあ、一安心。多少戯けながら、「君、痛かったなあ。やり返さなかったかい?ちゃんと許してあげたかい?」と問いかける俺。イエス・キリストも驚きの敵を憎まずの精神教育を我が家はしているのですよ、先生。どうですか。と多少誇らしげに「えらいねえ、復讐からは何も産まれないから、ねえ、君。」なんて娘に嘯いていている、滑稽な俺の様子を見ながら、先生がどこか言いづらそうに苦々しい表情をされている。
どうかされました?と、目線を先生にパスする俺、先生、半笑いで

「あのぉ、どちらかというとそのぉ、復讐された、ほうかなぁ、リンちゃんが」
「お友達の上に馬乗りになって、全身で乗っかちゃって、それで、うわぁってなって噛みつかれてしまったんです。」

おいおい、おまえから先に手出してたのか。ゼロ歳児。

赤面しながら全力で詫びる俺、「はやく帰ろうぜ」といわんばかりにブスっとされている娘、笑いながら慰めてくれる先生。外は夕立、稲光。「明日は最後のプールの授業だってねえ、よかったねえ、君」なんて話題を変えながらどしゃぶりの五反田を二人で早足に帰る9月のとある日。
あと3ヶ月もしたら、一歳だぜ。君。


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