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うちのばあちゃんは、毎晩ビールを1本空ける。

「今日、何飲む?」

このセリフから我が家の晩酌は始まる。
完全なる亭主関白の祖父と、チャーミングな祖母と、生真面目な父と、おしゃべりな母と、私。
亭主関白の祖父にお伺いを立てて、その答えがビールならビール、日本酒なら日本酒から夜が始まる。

常にテーブルにアルコールがあることを、「当たり前」だと思っていたがどうやらそうではないらしい。世間には「休肝日」という概念や、アルコールを飲み過ぎると眉をひそめられる傾向があるらしいのだ。
でも、我が家でアルコールを飲まないということは、絶不調を意味する。「飲まない」なんて言おうもんなら、本気で心配される。

どれくらいの飲酒量かをわかりやすくいうと、近所の酒屋さんが瓶ビールをケースで運んでくるくらい。
特にビールが大好物のばあちゃんは、毎晩大ジョッキでビールを空ける。

私が富山を離れていた7年間も、その晩酌スタイルも変わっていなかった。
そして去年、会社を辞めてUターンした私が再び晩酌のメンバーとして迎えられ、「今日何飲む?」が5人で再開された。

でもそれと同時に始まったのは、ばあちゃんの不可解な行動だった。

年齢よりも10歳は若く見えていた彼女の腰は曲がり、歩き方がおぼつかなくなって、「ちょっと変」な言動が増え、家族の不安が募っていく。

わかっているのだ。そんな変化が起こった時は、否定してはいけないこと。
全てを受け入れ、優しく受け止めなければならないということ。
自分の時間を割いて、ばあちゃんに向き合う必要があること。

でも、祖父も父も母も、そして私も、それが大の苦手だった。

しどろもどろになって電話しているばあちゃんを叱って、受話器を奪って電話をかわったり、
料理するのが疲れたというばあちゃんを手伝わずに「それもリハビリのうち!」なんて言ったり。
時折、ばあちゃんを気遣うような言葉を発しているけれど、それはきっと、近所の人や知り合いに、自分自身が陰口を言われないようにしているだけなのだ。ばあちゃんのためじゃない、自分のための優しいことば。

ああ、また傷つけてしまった。

今という夏に乾杯したい。
いつか「あの夏」なんて懐かしがって、ホロリとして、いい思い出にしたい、今という夏に。
いつか終わってしまうかもしれない、5人の食卓、生ぬるい夏の夜の風が吹き込む、故郷の食卓に。
毎日が、最後かもしれないけれど、その事実に誰も向き合えていない、不器用な私たちに。

「お酒はほどほどにしておきなよ」

かつての我が家では想像できないほどの、気遣いと、思いやりと、自己防衛とが入り混じったこの言葉に、ばあちゃんは

「ビールなんて、水みたいなもんよ」

そんな言葉を呟きながら、今日もジョッキを飲み干す。

すてっぴぃ@家族がいちばん難しい

#あの夏に乾杯

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