雑記:わたしの「推す」とはなにか

※だいぶ公開時期を逸していますがお許しください。



『弱虫ペダル』の公開記事に入れ込もうとしたらなんか本題からずれすぎたのでここに。

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こう振り返ってみると、このひとに尊敬の感情を抱かないわけではないしむしろ尊敬しまくっているんですが、「推す」っていうのは感情としてそういうものとはレイヤーが違う気がするんですよね(でも単なるレイヤー違いなので重複して独自の色を成すことは有り得るような)。「好き」も同様にレイヤーが異なる気がします。

いや、なんか「推す」=「カワイイ」/尊敬=「カッコいい」みたいなのもまあ分からくもないんですが、ちょっとズレてる気がするんですよ。

「担タレ」(○○担は○○に似る)っていうのは、価値観の基盤が理想の自分や今の自分とバランス良く似ているひとを選んで、その人が輝くところに(過去のor今のor未来の)自分の姿を見る行為そのものを「推す」と呼んでることの表れなんじゃないかなーって思ったりします。あくまで自分の見え方、持論ではありますが。

こうすると、だから3次元に拘るのかなーなんてひとつの答えも出たりするような。「現実で何かを達成する」ひとである必要がある、というか。

でもお前は担タレなのか、と言われると全然違うので難しいところ…。

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